皆様 こんにちわ 西照寺の住職です。
色々とコメントをいれていただき、ありがとうございます。皆様に励まされ、私も毎日楽しみにしております。ゆいてんさん、埼玉に遊びにおいでください。
さて、今朝は昨日雨でできませんでした、参道の掃き掃除を副住がしておりました。なぜか半分だけ。副住、あとの半分はどうしたのでしょうか?西照寺の参道にはヤマモモの木が並んでいます。そのヤマモモの木は、この時期に実と葉を落とすのです。ですから、参道にはヤマモモの落ち葉が溜まりやすいのです。この落ち葉の掃除は副住が担当してくれます。決まりがあるわけではないのですが、気づいたらそんな感じになっているのです。しかし困ったことに、副住の気分は変わりやすく、見ていて面白いことがあります。西照寺の参道に落ち葉などが溜まっていれば、副住のやる気が低いのだな!と感じていただけたら お参りの楽しみの一つになるかもしれませんね。
“副住のやる気” への2件のフィードバック
えーえー!そうだったんですか。
今度、お参りした時に気にして見てみます。
住職様、ありがとうございます。住職様とお会いしたのは、二度あります。
豊和君の結婚式の時と学生時代に副住職の下宿先です、ドルチェシバタってマンションだったかと思います。
住職はコロッケがお好きだからと、お皿いっぱいに用意していた副住職を思い出します。
学生時代の豊和君はいつもいっしょにいて楽でした。今もそうです。
お互い好き放題いう間柄でしたが、まわりとの付き合いをみていると、表面上は明るくいい人であり、活発なんですが、
本心は違うところにあったように思います。心の中でさめていて、クールであって合理的にすべてをとらえてしまって自己完結していたような。
ほんとはひとずきあいがにがてだったように思います。
表面上はうまくつきあいができるんですが、本人が本当に楽しんでいるようにも思えないとずっと感じていました。
ところが、卒業して数年先にであってみたら、いい男になっていました。東京仏教学院で講師をしていることなど、自信に満ち溢れていました。
くやしいくらいに。
ただ、まじめなせいかくなので、あれこれやろうとすると思うんですが、中途半端になってしまう危険性もあるようにおもいます。
今まで、頑張りすぎでストイックな豊和君は我慢する忍耐力も努力ももちあわせているし、尊敬しています。
ただ、頑張りすぎないように楽しんでほしいと思っています。
わたしの価値観ですが、我慢するような努力も大事かもしれませんが、つらいだけで、長続きもしないし、自己の意欲の発展にはなかなかつながっていかないように思います。
要は、本当に自分がしたいことをみつける、たのしめるくふうをすることが、努力というより、一生懸命になり、充足感をもち、他を巻き込んでいいサイクルができるようになると、最近になって思うようになりました。
「自分に優しく、人にも優しく」が、ほんとうかなあと思います。
最近ダイエットしていますが、まわりからすごい努力だねっていわれますが、努力なんて少しも思ってませんよ。
痩せたらもてるだろうとか、ジムにはかわいい子がたくさんいるので目の保養にいってるだけです(笑)
西照寺の掃き掃除で、半分だけというのは、いいかげんとはおもいませんでした。
かれなりの理由があると理解できるし、まじめなところが、かえって不器用さになっているだけのようにおもいました。
そんな豊和君を、後継者として、たずなを引っ張っている住職様がとてつもなくおおきく、やさしく、コメントの裏側にある思いが胸をついてくるようです。
入寺したわたしですが、明日、住職とゆっくり話をしたいように思います。
一方的にぶつかったり、理解できないこともありますが、わたしが嫌いで怒っているわけでもなく。
わたしの理解力不足と、身勝手さだとおもいます。
わたしの一番身近なところに、私を育ててくださる義父と義母がいるように思います。
ながながとすいません、豊和君、いろいろかきすぎたけど、ごめんね。
テニス楽しんでね。
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