日記

失敗の受け止め

こんにちは 副住です。
昨日はブログ更新できませんでした。毎日更新していましたが、残念です。
理由は一昨日より築地本願寺で研修会や会議、並びに講義が続いていたからです。
築地に宿泊しておりました。
そんな関係で更新することができませんでした。
何だかわかりませんが、申し訳ありませんでした。取り敢えず謝らせてください。
・・というよりも、自分に残念でしたねと言いたいです。
もう2年以上?(3年??)ブログを続けておりますが、最近では日課というか習慣となっています。
こうなってくると、一日更新が途絶えただけで、変にテンションが下がります。
きっとブログ更新が無自覚の内に「やらねば気持ちが落ち着かないこと」となってしまったようです。
私たちはこうやって、自分のルールという「とらわれ」をつくり、ルールが果たせなくなった時、変な苦しみを感じるのですね。
やっぱり仏教で学んだ通り、自分が苦しみをつくっているということです。体感します。
私は大学前までは かなりチャランポランでしたが(ある意味今でもかな)、仏教を学ぶようになって、すこし生真面目になった気もします。
つまり、今までは「ブログ一日くらい途切れたから、何なの?」という感じでした。
生真面目となった今は「ああ!更新できなかった。今まで毎日更新してきたのに・・・ちょっと凹む」という感じです。
生真面目になって良かった点は、仕事を任されるということです。きっと、失敗しないように頑張るからだと思います。
例えば、時間厳守、準備も頑張る、体調が悪くならないよう整える、仮に体調がわるくても仕事を全うする。などが該当するかもしれません。
これが当たり前ですね。だからこそ、仕事であったり、法務であったりを任せていただくことがあります。
しかーし、これがチャランポランであったなら。仕事は任されづらいかもしれません。きっと失敗しても、まあ仕方ないじゃん!と開き直るからです。(というか責任感を感じないから)
例えば、時間ルーズ、準備は適当、体調管理など気にしない、体調が悪ければ仕事は休む。そんなところでしょうか。
これだと仕事や法務は任せづらいです。失敗して、依頼人が困ることになるからです。こうだと仕事などは任されづらいですね。
日本人って、かなりの割合で前者だと思います。(統計とってないけど) きっと国民性なのかもしれないとも思います。
しっかりやる!せねばならない!これが当たり前!みんなやってる!責任背負ってる!
そんな感じでしょうね。そう。当たり前のことです。
しかし、その「とらわれ」が却って危ういかもしれません。ちょっとした失敗が重なったり、あるいは立て続けに失敗すると
心にダメージがたまります。結果心の病に通じているという構造です。
私たち日本人(すべてを該当させるつもりはありませんが)の多くは、生真面目で これくらいやならきゃ!という「とらわれ」を各自でつくり
ある意味、常識化している部分があります。これが世界で「日本人は真面目」と評価をされる理由の一つかもしれませんが、却って自分を苦しめる一要素となっているのでしょう。
そう考えると、もしかしたら世界で心の病が潜在的な数も含めて 日本が突出していてもおかしくなさそうな気がします。
生真面目で、「とらわれ」をつくりやすい日本人には、「とらわれ」を見つめさせる仏教は必須なのかもしれません。
私たちに合っている教えなのです。
私も仏教を学んでいるので、ブログが一日更新できなかった失敗を引きづりません。
一日更新できなかった・・・そんなこと あるある!
一日更新できなかった失敗があるから、連日更新していた時の苦労も喜びも知ることができるんだ!
そうだ、ここまで2年?も続けていることって凄いことだよ。副住!お前頑張ってるよ。また今日から頑張ろうぜ!
(失敗の受け止め→心にストレスという傷が→仏教という薬を塗ってみる→心の傷が解消→傷を負った分だけ経験値が上昇)こんな感じかな。 

失敗の受け止め” への1件のフィードバック

  1. 師匠に見習い始めたブログですが、確かに1日更新できないと寂しい気がしますね。特に旅行先での電波状態が出かける前から気になります。
    ところで、キャプチャコードとやら、読みにくいですね。特に、小生のような老人にとっては・・・。今も失敗しました。やり直しです。今度で3度目です。アーメン!、願いことはしてはならないのでした。

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