日記

勉強会

こんにちは 副住です。
今日は浦和カウンセリング研究所で仏教のお話をさせていただきました。
10時から12時までが講座の時間でした。
お寺ではなく、カウンセリング教室にて、仏教を広めるという不思議を有り難く思います。
また、今年の6月からは学校で高校生にも仏教を広めるために授業をさせてもらえます。
最近はだんだんと、お寺ではなく 違う場所にて仏教を伝える機会ができていきます。
上記の方々は、普段はあまりお寺に来られるような年齢の方ではないと思います。
お寺だけに閉じこもっていたのでは、巡り合えない方々ばかり。
そのような意味からしても、私にとってもとても刺激になります。
仏教を自己流に噛み砕いて話しておりますが、皆さん共感してくれて、とても興味をもってくださいます。
仏教に「なるほど!」と思ってくれたり、大切な教えだと頷いてもらえているのだと思います。
そうなると、こちらも嬉しくなりますね。
仏教万歳!!!
さて、私は先ほどお寺の自宅に帰宅してきましたが、今から研究所で行う勉強会のレジュメをつくらねばなりません。
勉強会は今月の21日に築地で行われます。研究所所属の研究員たちと研鑽を深めます。
その勉強会、なぜか私が発表することとなってしまいました。
口火を切れ!とのことです。ですからレジュメをきらねばなりません(これが結構大変なのです)
勉強会の題材は『正信念仏偈』(親鸞聖人作)。
お馴染みの『正信偈』の始め「帰命無量寿如来 南無不可思議光」が凡その担当箇所でしょうか。
たった二行ですが、とてつもなく深い意味が込められています。
江戸初期以降、特に親鸞聖人の思想を解釈されてきたたくさんのお坊さんがおられ、その為、それぞれの思想的立場を背景に、親鸞聖人の残した文言に解釈が施されていき、
気づけば、現在に至るまで数種の学派が形成されてあります。
各学派によって、親鸞聖人の思想を解釈する立場が異なり、従って、上記 たった二行の解釈でさえも、たくさんの考え方が伝えられています。
親鸞聖人に真意をお尋ねするのが一番の正解なのですが、親鸞聖人が亡き後、その解釈をめぐって、「きっとこの文では、こういう意味を述べたかったのである」と
後に残ったものが親鸞聖人の思想を拝察したり、推察したりしてきた結果であるということです。
どの解釈が一番親鸞聖人の意と近いのか、それは知る由もありません。
もちろん、手がかりは、親鸞聖人が残されたお経そのものなのですが。
そんなわけで、これからレジュメで そこらへんの解釈の違いなどを紹介できるよう整えていこうと思います。
これから、暇な時間があれば、そちらに注力していきます。
はやく21日が終わればいいのに。