日記

はたらけど はたらけど

おはようございます。副住です。
昨日から涼しい・・・というか、今朝は寒いくらいですね。
予報では土曜日まで肌寒いようで、来月からはまた暑くなるような話をしておりました。
体調管理には気をつけたいものです。
(これからの季節は、気をつけていても風邪をひき易いので、体力をつけることに重きをおこうと思います)
さて、昨日の「経済」について、引き続き愚見を綴ってみます。
「経済」の素人ですが、素人なりに学んでみて、さらに現状のあり方などを体感したなかでの感想です。
今の日本社会は、長らく景気が低迷し続け、働く若者も「お金」に希望が持てなくなっているようにも思えます。
「はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり 」(石川啄木)のような言葉が身にしみる時があります。
(私も・・・(;_;))
私の場合、生活に困っているわけではありませんが、仕事が多くなっているのに、所得は増えていない・・・と思うことは良くあります。
(もちろん、贅沢な暮らしを追いかけているわけではないので、現状でいいのですが、仕事量(自坊以外の)が増えているのに、無給ということは結構あります)
そんな状況になってみた時、「会社の残業手当はでない」などのよく聞く話が脳裏をよぎります。
こうなってみると、働く意欲が減ってくるでしょうね。モチベーションの低下です。
その背景には、対価がないことが大きな要因であると思えてきます。
では「対価」とは・・・? きっとそれは「お金」なのでしょう。
現在の日本社会では、仕事評価の対価は結構「お金」になっているのではないか?と思っています。
では何故「対価」が「お金」なのか? 「対価」が「お金」ではなく、上司などからの「褒められる言葉」ではいけないのか?
これまでは、ダメだったように想像します。理由は「お金」によって「生活」が潤っていったからです。
しかし、少しづつですが「対価」が「お金」ではなくなりつつあるようにも感じています。
努力しても「お金」が増えていかない=何の為に努力してるのか?=だったら自分が納得できることをしよう。
このような方向性が少しですが、確認できるようになってきました。
例えば、二枚目の名刺
これは「お金」ではなく、「やり甲斐」を求める生き方を模索する若者がでてきたことを意味しているように思えます。
仕事以外にやり甲斐を見つけて生活する。仕事で最低限、生活できる賃金を得て、残りの時間は自分の生き甲斐の為に使う。
あるいは、好きなことを仕事にする。
特定の人物(尊敬や好意、あるいは魅力ある)についていき、その人の為に働く。
このような人々は、「対価」が「お金」ではなく、「仕事そのもの」であったり、「特定の人物からの褒め言葉」が「対価」となります。
もはや、「お金」の価値が低下している時代と言ってもいいかもしれませんね。
徐々に、若者から「お金」離れが確認できるような時代となってきました。
ごく少数ですが、このような人々が出現してきていることが、大きな現象です。
「お金」が手に入りづらくなることで、生き甲斐や働き甲斐を「お金」以外にみつけようとする流れが、今後大きくなっていくことも
想像できます。
しかし、日本の多くの人(特に若者)に「お金」は入りづらくなっているのですが、世界では「お金」が余っているのだそうです。
ジャブジャブなのだそうです。余りに余っている「お金」ですが、行き場所がないのだそうです。
逆に言うと、「お金」の行き場所に「日本の多くの人」が該当していないということでもあるのです。