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直葬依頼 直葬の問題点 葬儀を見直そう 葬儀の意味 

こんにちは 副住です。
今日は朝から、西照寺の別院、(通称、新東松山斎場)の管理です。
8時前にご葬儀社さんが来られるとのことだったので、私は7時すぎに入りました。
今回は、霊安室にご安置されたご遺体を、そのまま隣の火葬場に移すという形の直葬でした。
霊安室を開けるため、管理に入る必要があったのです。
最初にご葬儀社さんが到着され、ご遺体を確認し、お別れの準備をされていました。
その後、30分後くらいにご遺族の方が到着され、霊安室に。
柩をあけて、ご遺族がお別れをされます。(花入れとはではなく、合掌したり、顔を見たり)
おおよそ5分から10分くらいでしょうか。
柩に蓋をして、霊柩車に乗せられます。
(隣が火葬場ですが、少しでも公道にでれば、霊柩車が必要となります)
そのまま火葬場に向かわれました。
あとで、葬儀社さんにお尋ねしたら、最近、東京では直葬が増えているそうです。
東松山は東京から距離もあるので、事情が違うそうですが、それでも今回のように直葬が確認されます。
最近、都市部では直葬が増えているようですし、もう少しすれば全国でも一定程度は確認されるようになってくるかもしれません。
色々な事情があるので、一概には言えないのでしょうが、私は直葬に絶対反対の立場です。
儀式はそれなりの意味があります(これをしっかり伝えられない僧侶にも問題はあるのでしょうが)。
もちろん葬儀にお金をかけろと言っているのではありません。
そうではなくて、儀式をしっかりと踏まえた上で故人を見送ることが、とっても、とっても大切なのです。
葬儀という儀式はお別れの儀式ではありません。
そうではなくて、故人が仏様の世界に往かれたことを皆で共有し、仏様の世界に往かれた故人と遺族とが、新たな出会いを築く為の儀式なのです。
もちろん、葬儀には悲しみもありますが、一方で新しい関係を築く為の儀式ですから、葬儀を契機に、遺族には以後やらねばならない義務が生じるのです。
例えば、日々のお仏壇参りなどの行為です。
悲しみの中、その行為に身を任せることによって、新しい世界が遺族の心の中に切り開かれてくるのです。
しかし、直葬は上記作業をすべて省くのです。
故人との新しい出会いの契機も築かないし、やらねばならない義務も生じません。
ただ、故人と別れるだけ。まさに告別式。(これは葬儀ではありません)
そこには、故人を忘れていく世界しか残りません。あるいは思い出としていく世界しか残りません。
その道をすすめば、「死んだら終わり」という世界観が切り開かれてきそうで心配です。
日本人はそうではありません。
昔から先人を敬っていく世界観が築かれてきました。葬儀はその中心にあったものです。
しかし、段々と葬儀の意味が伝わらなくなり・・・葬儀が告別式化していき・・・挙句、「単なるお別れだったら形式ばった儀式なんて必要ないじゃん」。
と考える人が増えても、不思議ではありません。理解できます。
しかし、本質はそうではない。葬儀はお別れを告げるだけの式ではない。むしろ逆。葬儀は故人(仏様の世界に往かれた故人)との出会いを築く儀式。
「死んだらそれで終わり」という世界ではない。
「死んでも終わらない世界」と遺族の出会いが大切。それが葬儀の本質。
その世界を表したのがお仏壇だったりするのです。だからその後のお仏壇をお参りする生活も大事。
(ここを僧侶が整えていく、遺族を道に乗っけてあげる。それが僧侶の大切な役目の1つだったりすると思う)
直葬をすることで、「新たな出会い」を築かない・・・その果てはお仏壇も必要なくなる世界を生きていくことと繋がります。
お仏壇の代わりに、「故人の写真などを飾るスペースをつくればいいや」となるでしょう。
そこに手を合わせたところで、過去の思い出の意味しかありません。
思い出は個々人によって違うので、故人を知らない世代が生まれてくれば、お参りはしなくなるでしょう。
それではダメ。そのような世界を生きていってはいけません。
そうではなく、先人が往かれた世界。そんな世界と関係を築くことで、仏様を敬い、お参りする世界が開かれてくるのです。
そこには、「仏様は私たちをみていてくれる」。「仏様が悲しむようなことをしてはいけない」。などと人生の規律が生まれてきます。
その世界を私たちが歩むことで、故人を知らない世代が生まれてきても、仏様をお参りする人間が育っていくのです。
安易な考えで直葬をしてはいけません。文化が崩壊することに繋がるから。
文化の崩壊に繋がれば、「誰も見てなきゃ何してもいいや!」と思う人間が育ち易くなります。「バレなきゃいいや」と考える人間が育ちやすくなります。
先人を敬うこと、弔うこと、葬儀を勤めること(お金をかけたくないのであれば、お寺に相談してもいいじゃないですか)これらはお金に変えられない大きな価値があるのです。
(もちろん、最低限かかる部分はかかります)
だからこそ、もっと葬儀を見直し、より良い社会を後世に残していきましょう。
最後に、「葬式は、要らない」という本を島田裕巳さんが書かれて売れましたね。
私は読んでいませんから、批判はできませんが、
もし、本当に葬儀が要らないと書かれてあったとしたら、それは間違いです。
本が売れる為に 敢えて言っているだけです。
確かに、本は売れたようで、次に「0葬」などと言い出しました(笑)
まあ、言論の自由がありますから、何をいっても構いませんが、それに踊らされたらいけません!!!
島田さんも、影響力あるんだから、大事なことは死守しながら、行動してほしいものです。
「仏様はすべておみとおしですよ」