日記

49日の意味 満中陰

こんにちは 副住です。
今日は日曜日で、ご法事が勤まりました。
昨年末、西照寺の役員のご門徒がご往生され、私も精神的に弱りました。
今日はそのご門徒の49日(満中陰)にあたり、ご法事の後、お墓にご遺骨を納骨しました。
私的には、とても早い気がします。
昨日は法話会でしたが、今でも 笑顔でヒョッコリ法話会やお寺などに顔をだしてくれるんじゃないかと思えてしまいます。
そもそも中陰(ちゅういん)とは、昔のインドでの思想(輪廻転生)から影響を受けてのものだったと思われます。
確か、私たち迷いの世界には精神的世界として四有(しう)という状態があるというのです。
四有とは生有(しょうう)・本有(ほんぬ)・死有(しう)・中有(ちゅうう)というものです。
私が生まれる瞬間を生有
私が生きている時のことを本有
私が死ぬ瞬間を死有
そして、新しく生まれ変わるまでを中有というのです。(中陰ともいわれます)
この生有→本有→死有→中有→生有→本有・・・・・・と迷いの世界が続いていくと考えるわけです。
その中有は49日間とも言われ、49日を満中陰と呼ぶのです。
つまり49日経過したので、新しい生をうけたことになるので、ご遺骨はお墓に納骨してもいいだろう!とのことで
日本では49日を期に納骨をすることが多いのです。(しかし、必ずその時に納骨をしなければいけないというわけではありません)
浄土真宗では、阿弥陀仏の救いによって、迷いの世界から仏様の世界に往くので、迷いの世界の輪廻転生というサイクルから抜け出す為、
49日や満中陰ということは、そのような意味では勤めません。あくまでも、中陰という風習が根強く残っているので、その縁をいただき
仏縁とし、皆で仏様をお参りするのです。
ただし、49日でご遺骨を納骨するには、時間的に短く、精神的に決意できないご遺族もおられます。そのような場合は、49日での納骨を無理にすすめません。
一方で、淋しいけれども、いずれは納骨をしなくてはいけないし!と言うことで、頑張って決意をされる方もおられます。
いずれにしても、納骨をすることは一つの大きな契機となり、遺族の生活も、納骨を期に変化していきます。
(あえて表現するならば、「前にすすむ」ということかもしれません。もちろん、皆が皆、前に進めているわけではありません)
そう考えてみると、49日で納骨をするという一般の風習があることによって、そこに助けられ、納骨を決意される方が多いのですから、49日(満中陰)は大切な機会であると思えます。