こんにちは副住です。
2015年03月14日からの連載です。本日で5回目。
今日は、経済合理性から話を移して、感性について綴っていこうと思います。
ここで言う感性とは、外界からの刺激を感じとる機能としての感受性のことであり、
また広げて、感じたことを心で思うこと、いわゆる感情のことも含みます。つまり感性=感情ということです。
現在の日本社会では、合理性(特に、経済合理性)に重きがおかれてしまっているような気がします。
そこでは、私たちの感性はあまり重要視されません。
というのも、「人間の感情におぼれないで、論理の法則に従うことを優先すること」が合理性の意味だからです。
ですから、日本社会の状況が、経済に重きをおいた合理性を優先するとき、個人個人の感性は後回しになっていく恐れがでてきます。
合理性で大切なことは、「感情におぼれない」ことなのですが、
一歩間違えると、感情を「ないがしろ」にして考えようとする傾向がでてきてしまいます。
現在の日本社会は、だんだんと、その傾向が見え隠れするような状況ではないか!?と個人的に感じています。
私たちはロボットではありません。
当然感情があって、時には論理よりも感情が優先する世界を生きているのです。
ただし、日本社会の雰囲気が合理性を優先するものだから、なかなか感情に視点があたりません。
感情は大切なのに、そこに視点があてられないものだから、心を疲弊させていく人も多いのではないでしょうか。
人間にとって、「感性」はとても重要です。
「悲しいと感じる心」「嬉しいと喜べる心」「他人を思いやれる心」「自然の力を感じとる心」「生きている素晴らしさを感じる心」「大きなはたらきを感じとる心」などなど・・・
これらの心は、論理や理屈から生まれてくるものではないのです。
すべて感性からくるものです。
感性を磨くこと、育むことは、人間の心を豊かにし、様々な満足感を高める可能性を有します。
もっと感性に軸足を移せば、新たな価値観に出会える可能性がでてくるのではないかと思うのです。
(明日は、お寺の果たすべき役割について綴ってみたいと思います)