日記

寺院消滅 お寺の必要性を考えると・・・ 副住職のお寺つくり

おはようございます。副住です。
こんな本が一か月前ですが、出版されました。
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私はとても大きな関心を抱き、すぐに買いました。が、時間がなくてまだ読んでいません。
私が読む前に、読書はあまり好きではない住職が読んでしまいました。
読書嫌いの住職が3日で読み終えていましたので、この分野に興味がある方は、すぐに読めると思います。
因みに、筆者は日経ビジネスの記者であり、お寺の副住職という立場。地方の寺院(かなり地方の)のあり方に興味を抱き、地方寺院の取材を通じ書かれたて本です。
300ページ弱あります。
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私は大学時代(今から20年弱前)から、お寺に対する危機感を何気なく感じていました。
今後のお寺は存在価値的にも、経済的にも大変になっていくだろうな。との感覚です。
あくまでも感覚。
今やそれが現実となってきてます。こんな本まで出版されているのですからね。
(ただしこの本は、以下に綴る私の危機感とはある意味別の視点(地方そのものが消滅するという意味)で、お寺が消滅するというあり方も明記されているようです)
私がお寺に危機感を抱いた理由は、私が知っている「お寺」と「人びと」の間に「無言の距離」がでてきていると感じ始めたからです。これはあくまでも感覚的なもの。
どんな距離かと言えば、一番は「必要性」に対する心の距離かな。「無言の距離」なので、心の距離とも言い得るでしょう。
例えば、お寺側ではお経を読む。これが大事。だから読経を大事にしているのだけど、人びとにとっては、大事にしている意味がわからない。(お寺が大事なことを伝えきれていないとも言い得るでしょう)
なんとなく「供養」だからとりあえず大事なんだ!と感覚的に思っている人がほとんどだろうと、当時の現状を感じたのです。
でも、お寺は読経を大事にするあげく、その意味を伝えきれていなかったり、沢山あるそれ自体は「小さなこと」(合掌の仕方や、焼香の意味など色々)を、ほとんど伝えきれていない。
そうなってくると、人びとは「お寺」の必要性が感覚的なものとなっていくに従って、ある時に「お寺って別になくても大丈夫じゃない!?」と変化する可能性がある。そう漠然と感じたのです。
だから世代が変わってくると、今はお寺を大切にしてくれる人が多いけど、それが突然逆転するんじゃないかな!?と感じるようになったのです。
ただし、逆転した時にお寺側が「どうしよう!?」と焦ったり、反省を活かして改めようとしても、時すでに遅し。
そうならない為に、人びとに「お寺」って必要でしょ!と思ってもらえるように、変えていかないといけないな!と思っていました。
学生時代を終え、一人で数年色々と考えていたのですが、なかなか答えがでませんでした。まさに暗中模索。
そんな時、松本圭介さん
と知り合いました。(数年前にお会いして話したことはありましたが、お寺の未来について話したのは、この時ということです)
彼はその時、インド留学を終えて、MBAを取得し、これから「お寺のマネジメント」について広めたいと考えていた時期でした。
そこで、私は彼が開設した「未来の住職塾」の第一期生として学ぶことを決めたのです。
住職塾を卒業し、3年ほどたちますが、私の視点(世俗の視点です)は確実に変化をし、活動そのものも変化をしました。
青年会議所へ入会したこと事体も、大きな変化です。おかげでさらに忙しくなりました。昼夜家にいない生活です。
お寺の未来を考えていく時、どうしても外せないことは、実はお寺が存在する地域との関わり合いだと今の私は考えています。
(お寺の方で、このブログを見てくださっている方がおられましたが、振り返ってみてください。地域との深い関わり合いはありますか?)
もしかしたらですが、住職という立場でお寺をしっかりと機能させる為には、お寺がある地域事体をしっかりと考えることが必須かもしれません。
地域といっても、市や町というレベルでです。
もちろん、行政に直接的に関わることは宗教団体ですから、無理ですが、もっと根っこのところ。
例えば、青年会議所や商工会など、その地域事体を盛り上げようと頑張っている団体に属し、共にどのような地域にしていくべきかを切磋琢磨して考える。そして行動する。
そのような「地域事体をしっかりと考え、行動している」組織と関わることが大事だと考えます。
その組織に真面目に関わると、地域の方々が「私のお寺のイメージ」を素直に教えてくれます。あるいは、お寺に対する「必要性」の素直な感想も教えてもらえます。
さらに仲間ができます。地域を考える仲間ですから、これが相当大事かも。
また、これは私の一側面の見方ですが、意外に「団体が考える、その地域(市や町)の進むべき方向性」については、あいまいだったりします。(笑)
だからこそ、この地域には何が大切で、どのような方向性で進むべきかを共に考えることができます。(もし、その地域で明確な方向性が示されているならばシメたものです)
ここにこそ、これからこの地域で、お寺がどのように活動を進めていくか ということが見えてくるはずなのです。
地域の活動とお寺の活動が噛み合うとき、必然的に「お寺は必要な場所」となっていきます。
もしかしたら、今後のお寺は2つにわかれるかもしれませんね。
1つ目は、旧来型の寺檀関係を維持し、檀家さんを中心にお寺を続けていくというタイプ。
2つ目は、寺檀関係という枠をひろげ、檀家さん以外にも関わってもらう。いわゆる地域を中心にお寺を続けていくというタイプ。
私が描く西照寺の理想は、その地域で関係がもてるかたがたの心の拠り所として「お寺」が存在することですね。
ですから2つ目のタイプということでしょうか。
最後に「お寺」には、教義が存在します。その教義は、生き様の柱となりえる 揺るぎない思想があります。
これはどんな会社も、どんなNPO団体も、どんな組織(宗教以外)も持ち得ません。
最強の武器なのです。これを活かせるようなお寺にしていきたいものです。

寺院消滅 お寺の必要性を考えると・・・ 副住職のお寺つくり” への1件のフィードバック

  1. なぜお寺が必要なのでしょうか?
    自分は日蓮宗の家に産まれたましたが、転勤が多い職につき、歎異抄に触れて浄土宗の教えに感銘を受けたものです。
    自分は阿弥陀様が救って頂けるのに、ご先祖様方は阿弥陀様に救って頂けたことに感謝します。
    阿弥陀様への感謝の気持ちの他、この上なにをお寺様に求めれば、もしくは奉ればよいのでしょうか?

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