イタリアからのお土産

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
ちょっと前のことですが、西照寺のご門徒が、イタリアに行ってこられました。ご門徒Hさんです。
このご門徒は、ご主人を亡くされ、しばらく家にこもっておられました。
娘様などに励まされたりしながら、徐々に外出されるようになり、3回忌の時には気持ちも前向きになられたようで、
今度イタリアに誘われているので、行ってこようか迷っているのですが・・・などと私に話してくださいました。
旅行に行こうか、迷われていた理由は、ご主人様のことでした。
ご主人様に申し訳ないのではないかと悩まれていたのです。
この奥様は、かなりご主人様にも尽くされてきた方だったので、ご自身の思いがまだ残っていたようです。
お話を一通り伺って、奥様の思いを知ることができました。
でも、お話されていくうちに、笑顔がでてきて、次々と話題が展開していきました。
普段はあまりおしゃべりされないのですが、その時ばかりは30分ほどお話されてました。
もうすでにご自身の中で、イタリアに行こうと決めておられたのかもしれません。
私は「行ってこられたらいいんじゃありませんか?」「ご主人様も嬉しいと思いますよ」とお話すると、
嬉しそうに「3回忌が終わったら、行ってもいいでしょうか?」と確認されてました。
背中を押されたかったのでしょう。そんな気持ち、とてもよくわかります。
「素晴らしい機会ですから、是非行ってきて。行くんだったら、楽しんで行くんですよ!」とお話しました。
すると、ちょっと前になってしまいますが、私にお土産を買ってきてくださいました。
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イタリアの三越で、ウエハースです。嬉しい。
私はチョコレートは好きなのです。〈和菓子は苦手〉
ありがとうございました。美味しくいただきました。イタリアの味でした。

徳島市の僧侶の事件  

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
色々なことがありますね。昨日は家族のことで、病院にいったりしていたので、更新ができませんでした。
また、昨日・今日と連日のTVニュースに驚いています。
お寺のブログで取り上げるものどうなのか!?と正直迷いましたが。
しかし、このブログはお寺のことを知ってもらうため、あるいはお寺に属す僧侶の人間性などを知ってもらうために続けているものです。
ですから、都合の悪いことを敢えて避けるのは、何だか卑怯な気もしたので、敢えて触れてみます。
もちろん、私個人〈一僧侶〉の意見として綴ります。
今朝、TVを見ていると、「徳島市のお寺に属す僧侶が女性を殺めた」という報道がなされていました。
その後、顔写真がでてきました。僧侶の格好をした若い男性でした。
髪の毛が生えているので、私は「え!?」と思いました。また首から下げている袈裟〈輪袈裟といいます〉には、見たことがある紋が見えたので、「まさか!?」と思いました。
その後、僧侶が属するお寺が映りました。お寺の門が撮され、右側の門にはお寺の名前が、そして左側の門には、そのお寺が属す宗派名がありました。
残念ながら、同じ宗派だったのです。
この宗派は、全国にお寺が1万以上、僧侶は3万人以上いるとされています。沢山あるのです。
ですから、同じ宗派だからといっても、知らない人ばかりです。
今回の容疑者を、私は知りません。
ですが、同じ宗派ですから、当然同じ仲間ということです。
その僧侶が女性を殺め、警察の事情聴取に応じ、犯罪を認めていると報じられたのです。
正直 「嘘だろ」と思った瞬間でした。
私も同宗派の僧侶として、今回の事件が事実であるならば、被害者の方や皆様にお詫びを申さねばなりません。
誠に申し訳ありませんでした。ただし、お詫びをすればいいというものでもありません。
被害者の女性の命は絶たれてしまったのですから。
僧侶は仏教という教えをたよりとし、信仰の中に生きる人だと私は思っています。その信仰の中から、その人その人なりの規律や生き様が切り開かれてくるものだと思います。ですから、よく言えば「芯のある人生」が歩める人と見えるでしょうし、悪く言えば「頑固」にうつる場合もあるでしょう。それらの違いは、僧侶自身の人間性が関係していると思います。ですから各僧侶の周りの方がどう感じるかは、僧侶の人間性による部分が大きいのかと思います。ただし共通事項としては、信仰の中から芽生える「何にも優先され得る、ゆずれない確かなこと」を持っているということだと私は思います。もちろん、それらは感じ方の違いはあれ、各僧侶共通しているものです。これこそが、僧侶の行動指針となり得、すべての判断基準となり得るものです。これを大切に考え生きているから、「芯のある人生」にもなり得るし、あるいは「頑固」とうつる可能性もあるのです。
 「何にも優先され得る、ゆずれない確かなこと」と聞けば、ある種怖いような気もしますが、私が感じているところによると、まったく怖いようなものではなく、むしろとっても大切なもの。有難いものです。もっと言えば「人生で巡り会えてよかった」と思えるもので、巡り会えたことで、自分の人生が充実した!と思えるものです。〈これらについての詳細は、日を改めましょう〉
〈もちろん、僧侶は信仰だけでは生きられません。この世界の規律も守りながら、世俗に通じた生活も送ります〉
そのような信仰の中から、「いのちの尊さ」や「死んで往く世界」など沢山の気づきが生まれ、人生を有り難くいただくことができる。これが私の感じる僧侶としての道です。
 ですから、今回の事件はとても悲しいです。ある種の「規律」や「いのちの尊さ」などを説くことができる僧侶〈それを感じることができる人だからこそ〉が、反対の行動とも受け取れる事件を起こしてしまったのですから。〈本当にこの事件を起こさざるを得なかったのか? こればかりはご本人にしかわからない部分なので、私がどうこう言える立場にはありませんが〉
 ただし、より深いレベルで、私という人間は、縁があればどのような行動を起こすかわからない心をもった人間であるということも一方では事実だと思います。親鸞聖人は、そのことを指摘されます。
私だって、今後どのようになるかはわかりませんし、絶対悪いことはしない!などと言い切れません。それだけ縁によって揺れ動く可能性がある不確かな心をもっているのです。その不確かな心に芯を持たせてくれるものこそ、信仰だったりするのだろうと感じます。
もちろん、心に芯が入ったからといっても、芯を中心に揺れ動く心はあります。芯を持たない心の揺れ幅よりも、小さくなることは確かだと思ったりもします。
ですから、今回の僧侶が起こしたとされる事件は、「嘘だろ!?」と感じているのです。
やはりあってはならないと思ってしまうのです。
同時に、あってはならないことが起こるのも事実であり、これが不確かなこの世界の現実なのでしょう。
その不確かな現実に生きる者だからこそ、確かなものが大切なのです。
仏様は確かなものです。お浄土も確かなものなのです。〈ものといっても存在論を言っているわけではありませんが〉
いずれにしろ、今回の事件、あってはならないことでありました。
浄土真宗本願寺派の僧侶として、深くお詫び申し上げます。

親鸞聖人の生涯について 〈親鸞伝絵・絵伝から再考する〉本を紹介 

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日は私が非常勤で属する浄土真宗本願寺派総合研究所〈東京支所〉のお仕事をすすめています。
仕事の内容は、仏教書レビューという、最近出版された仏教書を紹介するサービス。
その為に、仏教書を一冊読破し、その紹介文を書いて、どのような本なのかを説明するのです。
今回、私が担当する本が、こちら
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親鸞聖人という方は、自身の著作の中でも、自分のことなどについては触れない方でした。あまりにも自身についての記述が少ないのです。
また明治期には、親鸞聖人在世の歴史的資料から、親鸞という名が確認できなかったことから、親鸞という人物は実在しなかったのでは?
と疑問視されていたのです。いわゆる親鸞非実在説ですね。
つまり、真宗教団がつくりあげた架空の宗祖として考えられたのです。
しかし、大正期に入って 親鸞聖人の妻〈恵信尼さま〉の消息〈お手紙〉が発見され、親鸞聖人の行実など具体的な記述がみつかり、存在が証明されたというわけです。
以後、親鸞の生涯について研究がすすめられています。
ただし、歴史的資料が乏しい〈自身の著述でも自身について語らないので〉という点は変わらず、その生涯には多くの謎が残されたままなのです。
そこで、その謎を解き明かすため、現在も行われている作業が、二次的資料の活用です。
つまり、親鸞聖人が亡くなった後、数十年してから身内の者によって書かれた伝記的文献などの活用ということです。
ただしこれには注意点も必要で、例えば身内の者だからこそ、歴史的事実の他に、伝記的な側面を盛り込んでしまったりすることが予測できます。
確かにある文献では、「親鸞聖人は夏に生まれて、秋には歩いていた」とか、「親鸞聖人のお母様は、夢に観音菩薩が現れ、一尺ほどの五葉松を授けられたことから、親鸞の幼名に十八公若と名付けた」〈松の漢字をばらすと、十と八と公になるから〉とか、そんな伝記が残されているのですが、私はとっても疑問に感じています。(だって、生まれて3ヶ月で人間歩くか?)
さてさて、そんなことは置いておいて、今回の本は二次的資料として扱われる「親鸞伝絵」「絵伝」にみられる親鸞聖人像を再考するという本です。
因みに、「親鸞伝絵」と「絵伝」とは何か?ということですが、
親鸞聖人が亡くなられて32年後、親鸞聖人の曾孫の覚如〈第3代本願寺宗主〉が制作した「善信聖人絵」というものがありました。41年後に消失したようです。
「善信聖人絵」は消失しましたが、写本が数本残されています。
因みに、親鸞聖人は房号〈つまり呼び名〉を善信房と呼ばれていたので「善信聖人」となるのです。
因みに、曾孫の覚如さんは親鸞聖人と面識はありません。
その覚如さんが、親鸞聖人の33回忌を機として、伝記を制作したのです。それが「善信聖人絵」ということです。
その写本が数本残りましたが、いずれも若干異なる部分があるようで、原本がどのようなものだったのかはっきりしていないようです。
構成は、親鸞聖人の生涯の主要な部分がピックアップされ、絵と説明が書かれてあります。
そんな場面が十数箇所あるようです。
その後、親鸞聖人の伝記をより多くの人びとに伝える為、絵と説明が別々にされ、絵だけを集めたものが「伝絵」と呼ばれ、絵巻形式のものです。
説明だけを集めたものが「ご伝ショウ」と呼ばれるようになりました。
さらにその後、絵巻形式の「伝絵」を模して、掛け軸形式にしたものが「絵伝」なのです。
「絵伝」の発生時期は南北朝初期にまでさかのぼれるようです。
現在は報恩講の際、各浄土真宗本願寺派のお寺の本堂には「絵伝」がかけられたりします。〈西照寺はまだもってないけど・・・汗〉
その「伝絵」と「絵伝」は数種類存在して、特に「絵伝」は掛け軸で複数の人が同時に鑑賞できる利点があり、布教に有効な道具として需要が多く、
長い歴史の中で、地域を変えながら色々な内容が盛り込まれながら作成され、今に伝わっています。
(布教では、「絵伝」を用いた絵解きが盛んだった時もあるようです)
今回の本は、それらの諸本を比べながら、また、いまだに未決着の学説を考慮しながら、親鸞聖人の生涯を推測するというのが本書の内容です。
厚さも結構あります。300頁以上
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このサービスは、「もっと仏教書を手軽に読んでもらいたい」との思いから、研究所の所属メンバーが、どのような本なのかを紹介し、
読んでもらうための判断材料として欲しいと行っているサービスです。
今回、私が取り上げた本は、ちょっと素人向きではなくて、若干専門的な感じがします。
寺院の住職や、親鸞の生涯の研究をしている方が読まれると相応しいのではないかと感じます。
〈それくらい、緻密なことも書いてある〉

東松山市のMEGAドン・キホーテ 反響 ハコモノの最初とオープン日

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おはようございます。副住です。
4月末に東松山市に激安店のドン・キホーテがという記事を投稿しました。
今回〈2015年〉6月上旬から中旬にオープンする「MEGAドン・キホーテ 東松山店」のハコモノは、10数年前〈20年前まではいかないかな!?〉に
「オリンピック」というお店でした。私の記憶では、「オリンピック」が最初に建てたハコモノだと思い、そのように綴ったのですが、
昨日「学生時代、東松山に住んだことのある人」からコメントが入りました。
コメントから、実はハコモノは「オリンピック」の前に、「ある団体の大会ホールとして使用」されていたのだとか。 (;゚Д゚)! 知らなかった。
つまり、「オリンピック」が建てたものではなく、おそらく「ある団体」が建てたものなのかもしれません。それにしても、勢いある団体でしたね ヽ〔゚Д゚〕丿スゴイ
しかし、驚きました。東松山市民の私も知らない情報でした。
コメントで教えていただき、嬉しかったです。「学生時代、東松山に住んだことのある人」、ありがとうございましたm(_)m
そういえば、数日前、夜の9時半頃に一本の電話が。
この時間帯の電話は、住職宅の知人だったり、あるいはお寺ですから、急な連絡だったりするのです。
私は後者かな!?と思い、電話にでるのをちょっとためらったのですが〈急な連絡とか、お寺の副住職でも、心の準備がいるのです〉
、心構えをして受話器をとってみました。「もしもし」・・・すると先方の若い男性と思われる方から
「東松山のドン・キホーテはいつオープンするんですか?」と一言・・・
え!?Σ(゚д゚lll) 何!? どういうこと!??
私はちょっとだけ、頭が真っ白になりました。(笑)
「すみません、ここはお寺なのですが」・・・というと、先方も驚いたようで「え!?・・・だって書いてあったんです」と一言。
そこで私は「あ!」とひらめきました。 「ブログを見てお電話くださったんだ!」・・・と。
詳細はわからなかったのですが、ドン・キホーテのハコモノには「MEGAドン・キホーテ 東松山店 6月上旬オープン」と書いてあったので、
「6月上旬にオープンすると書いてありましたよ」とお答えしました。
どうやら「東松山 ドン・キホーテ」で検索すると、西照寺ブログが一番始めにくるようです。
私も、東松山市に「ドン・キホーテ」ができるんだ!と思い、嬉しかったのでブログの記事に綴ったのですが、
結果、紛らわしくなってしまったようです。申し訳ありません。

田植えの季節

投稿日: 1件のコメントカテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
6月に入り、西照寺の近辺の田んぼでは、田植えが行われています。
5月下旬あたりかただったでしょうか、ここ数日連日田植えをしている農家の方々の姿が目立ちます。
今の田植えは機械で植えていきます。
運転をしているのは、もちろん農家の方。
機械の後ろに小さな稲を設置し、あとは機会を運転して田んぼを走っていきます。
慣れているからでしょうか、とっても上手に田んぼに稲が並んでいきます。
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私が小さな頃は、近所で田植えを手伝ったこともあります。
あの時は、各自が稲をもって、腰を曲げて田んぼに手で植えていきました。
子供の頃だったので、腰とか痛くありませんでしたが、年齢があがれば、大変な作業だと思われます。
水が入った田んぼはぬかるんでいて、一歩一歩進むのが大変。
気持ちは先に進もうとするのですが、土から足が抜けないで前のめりとなって、転んでしまう。そんなことも楽しい思い出です。
手に稲をもっているので、転ぶ時に手をつけず、身体全体で土にまみれてしまう友達も多かったです。
私はとっさの判断で、稲を放り出し、手をついて難を逃れたタイプです。
緊急時は手に持っているものを投げ出して、手をつく!という当たり前のことが、どうしてもできない方々もおられます。
田んぼでは、泥まみれになるだけですから、笑ってすみますが、アスファルトの上だったら危ないものです。
本当に壊れたら困るものや、投げ出せないものならば仕方ありませんが、放り出しても問題がないものであるならば、手をつくことを重視しましょう!
さて、西照寺近辺の田んぼでは、都会から来たこどもたちでしょうか、団体で田んぼに入って田植えをしているこども達を見かけます。
あれはきっと農家の方と学校が連携して、こどもの教育を助けているのでしょうね。
都会では田植えとかできないでしょうし、そもそも田んぼがありませんからね。
大切なことです。

西照寺法話会に中国の方が 〈今でも中国で信仰されている浄土の教え〉

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
今日から6月。衣替えです。
5月は暑かったので、半袖の日も多々ありました。なので今日から衣替え!という新鮮な気持ちとはなっていません。
しかし、今朝はちょっぴり涼しいような気がして、半袖よりも薄手の長袖を着たい気持ちです。
今朝の天気はどんよりしていて、6月に相応しい天気となっています。
さて、今月に入って少し予定を調節できているので、私もお寺にいられる時間がとれそうです。
Dさん、ご連絡しますので、是非お母様とご来寺ください。
Dさんは日本に在住している中国の方〈日本語はペラペラです〉で、お母様は今年から日本に来られ、娘さんのもとで住まれています。
お母様は、中国で浄土教の信者として歩まれてこられました。日本に来たことで、信仰のお取次場所を失ってしまい、不安だったようです。
ところが、不思議なご縁としか言いようがないのですが、西照寺の法話会にたどり着かれました
西照寺の法話会にたどり着いた所以は以下のようなことです。
娘さんは中国にご在住のお母様〈お父様が往生されたことで〉を日本に呼び寄せ、共に暮らしたいと計画されていたようです。
しかし、お母様は信仰の問題で、中国を離れることをためらっていたようです。
そんな最中、昨年娘さんが散歩中に西照寺の別院〈法話会をしている場所〉の前を通り、掲示板に書かれた「毎月第二土曜日法話会をしています」との張り紙を見たようです。
別院には浄土真宗本願寺派西照寺と書いてあるので、娘さんはお母様が信仰している浄土教だと思われたようです。
そこで、娘さんは様子見ということで一人で法話会にこられました。〈勇気がいったことでしょう〉
その後、しばらく数ヶ月法話会には来なかったのですが、今年の始め頃か、お母様を連れて法話会に来られたのです。
そんな理由を知らない私は、どうして中国の方が法話会に???と思ってました。
数ヵ月後にお母様を連れられて、再度法話会に来られたので、ますます???と思いました。
しかし、ともあれ法話会に来ていただいたわけですし、私も嬉しくなって、最初に質問をしてみました。
「中国でもお寺はあるのですか?」と。するとお母様は当然中国語しか話せないので、私の言葉がわかりません。
娘さんが通訳してくださったのですが、私は「言葉が通じないじゃん!」と焦ってしまいました。
だって、せっかく法話会に来てくださったのに、言葉が通じないのですから、どうしたらいいんだ!?となるでしょう。
しかし、どうにもならないので、その時の法話会はいつもどおり行いました。
法話会の後は、お時間が許す方を対象に茶話会をしているのですが、言葉が通じないからどうなのかな?と思いながらDさんを誘ってみました。
すると、ご一緒してくださいました。
茶話会も終わろうとする時、娘さんが私に、ちょっとお時間いいですか?と言ってくださり、その後ゆっくり3人で話すことに。
そこで、ようやくDさんの背景などを知ったわけです。
驚くことに、お母様が真の浄土教信者であって、往生を願われている願生者でありました。
お母様が中国でお参りをしていた阿弥陀仏〈ご本尊〉がこちらです。
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日本に来てからも、この阿弥陀様をお参りしてもいいのか?と言われたので、そのままお参りされてくださいとお話しました。
それ以降、娘さんが通訳をすることで、お母様と仏教談義が始まったのです。
〈娘さんは一番大変な役回りですが、お母様に導かれ、浄土の教えを学ぶ環境ができあがりました(笑)〉
そのようなことがあってから、以降法話会の茶話会の後は、仏教談義を2時間ほど行っています。
先月と先々月はそれぞれに予定があって、法話会後の仏教談義ができなかったので、時間を見つけて別日にやりましょう!と約束してるのです。
6月は、私もお寺にいる時間が増えそうなので、法話会ではない日にゆっくりと仏教談義ができることでしょう。
楽しみですね。