こんにちは 副住です。
うぉ!一昨日が結婚記念日でした。
覚えていたのですが、ブログで綴ることは忘れていました。
結婚して10年になりました。
親鸞聖人は、僧侶として結婚された最初の方だったと思います。
師の法然聖人からの勧めによって、結婚されたと伝えられています。
法然聖人からの勧めは、間違いなさそうですが、そこに2説があります。
1つ目の説は、親鸞聖人が、師の法然聖人に、自分の悩み(女性を想う気持ち)を告げたそうです。
すると、法然聖人は「結婚することで念仏が繁盛(すすむということ)するなら、結婚したらよい。
結婚することが、念仏の邪魔になるようであるのなら、結婚すべきではない」(要約)と告げられ
親鸞聖人は結婚に踏み切ったとの説です。(こちらが有力)
2つ目は、法然聖人を尊敬されていた、当時の摂政であった九条兼実(当時の誇称は月輪殿)が
「煩悩を持ったままでも、浄土に往けるとの教えは誠か?」と法然聖人に聞いたそうです。
法然聖人は、「本当です」と答えられました。
そこで、九条兼実は「そうであるならば、証明してほしい。あなたの大事なお弟子と私の娘を結婚させてみてくれ」
と言われたそうです。(当時は僧侶が結婚することなんてありえません。戒律があったし、常識的にあり得なかったのです)
(でも、結婚してなくても、夜に僧侶が女性のところに趣いていたという説もあります)
そこで、法然聖人は親鸞聖人を呼び出し、九条兼実の娘である玉日姫と結婚させることとなった。という説です。
こちらの説は、少数派。
因みに、西照寺の近くにある「つきのわ」という駅は、九条兼実の誇称、月輪殿が地名になったので、
そこからつきのわ駅と命名したらしいです。
(ここには、九条兼実の荘園があったのだそうです)
さらに、「つきのわ」がある滑川町の福正寺さんというお寺さんは、玉日姫が生まれた場所と伝えられています。
今度、調査に行ってみようと思いますが。
ただし、玉日姫は九条兼実の子供ではない という説があるのです。
九条兼実は『玉葉』という日記を書いており、そこに、玉日姫の記録がないのです。
また、当時の九条兼実の血脈系譜の記録に、玉日姫の存在が書かれていない。
そこで、玉日姫が九条兼実のこどもではない という説が強くなり、2の説が少数派となっているのです。
でも、火のないところに煙はたたない。 「つきのわ」という地名と、玉日姫の生誕場所と言われる
お寺がある以上、なにかしらの理由があるのだと思います。もはや想像の域。
これは私の勝手な推測ですが、九条兼実が「つきのわ」という所に来て(自分の荘園を見に来たとか)、
ちょっと悪戯してしまった結果、玉日姫が生まれたのではないか?という西照寺副住説。新説。
そもそも、京都にいる摂政(内閣総理大臣みたいな国を代表する権力者)の九条兼実が、埼玉に来るはずがないでしょう。
なぜ埼玉のこの地に、荘園があるのでしょう? きっとそこには比企一族と関係があるのではないかと想像します。
比企一族が土地を寄進したとか。有力な一族からの寄進となれば、九条兼実も断れない。
そこで、一度、仕方なく現地を見にいって、そこで歓迎されてもてなされた。
結果、玉日姫が誕生する。
しかし、記録にとどめるわけにもいかず・・・ってな感じです。
そう考えると、2の説もまんざら否定しきれない。
想像を豊かにして、綴ってみました。
私の結婚の話から、だいぶ脱線してしまいました。
“親鸞聖人の結婚 玉日姫” への1件のフィードバック
面白い説ですね。
火のないところに煙は立たず。
比企の事についてのページです。
宜しければ、ご一読ください。
http://www.hikisouken.jp/
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