こんにちは 副住です。
昨日は今年最後の日曜日。
2015年、西照寺における最後のご法事でした。
ご門徒Wさんのご法事だったのですが、W家のおじいちゃんが昨年末にご往生され、一周忌のご法事が昨日だったのです。
W家のおじいちゃんは、長崎県出身。
数十年前に東松山市に移住し、工場を建て自営業で続けてこられました。
お墓の一部を長崎のお寺から西照寺に移してきました。
このおじいちゃん、稀にみる念仏じいちゃん。
私が驚くほど。全国でもなかなか稀なじいちゃんだと思います。
私はこのじいちゃんに色々と教わりました。そういった意味で、お育ていただいたわけです。
このじいちゃんは毎朝、仏壇の前で夫婦で正信偈をお勤め(時に阿弥陀経なども)されるのです。
おばあちゃんが数年前にご往生されましたが、ご葬儀ではおじいちゃんが柩に寄りかかり「世話になった」と
涙ながらに話していました。
後で聞いたら、「ばあちゃんが毎朝お勤めに寄り添ってくれてなかったら、続けてこられませんでしたよ」と朝のお勤めを
第一に取り上げ、「世話になった」と言っていたのだそうです。これも驚きですね。
普通だったら、食事や身の世話という話が第一にでてきそうなものなのに、朝のお勤めが第一にでてくるのだから。
また、じいちゃんは普段から自然と「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」とお念仏が口をついてでてきました。
じいちゃんが幼い頃、長崎の村では、それはそれは念仏が繁盛していたのだそうです。
だから、じいちゃんの生活は念仏の生活でした。
人柄も、魅力あったのでしょう。家族親族からずいぶん親しまれ、尊敬されてもいました。
その後、残されたじいちゃんの子供である娘さん夫婦は、じいちゃんと同じ道を歩みたいということで、
毎朝正信偈をあげられてます。相続ですね。
毎朝じいちゃん夫婦のお勤めを聞いていたからでしょう、すぐにお勤めできるようになりました。
また、じいちゃんの最晩年に誕生した曾孫さんは、今では仏壇参りが趣味なのだそうで、おりんにチンチンやって
お参りしているのだそうです。まだ3歳くらいの子でした。
本当の念仏の生活とは、近くにいる人を巻き込み、憧れを抱かせ、そしてその方々の道しるべとなっていきます。
手本なのです。
念仏の生活は、人生に芯ができ、安心と余裕が生まれます。だからこそ、やさしさに繋がっていくのでしょう。
念仏に生きる者は、誠に人を思いやれる人生を歩むことができるのでしょう。
身近な家族親族が、その生き方に憧れ、そして尊敬しているのだから、それこそが証明です。
じいちゃん亡き後、別の親族の方が私に話してくれました。
「私もじいちゃんと同じように生きたいけど、なかなかできない。だからせめて死んだら同じお経で往きたい」と。
念仏の生き方は、なかなか大変な道でもあるのです。
毎日の歩みだからこそ、大変と映るのでしょうね。