そろそろ終わりそうな気配が・・・

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
今朝も小一時間の運動をしてきました。
最近は、毎日がくじけそうです。
朝起きると、寝不足気味だったり、スッキリしない寝起きも
手伝って、動きたくない。と感じてしまいます。
今は何とか続いてますが、6月に入り、2日も休んでしまいました。
休んだ分は取り返さないといけないけれど、そんなメンタルはもはやありません。
何とか、計算上一日100キロカロリーを運動で消費してます。
最初は、たいした運動でもないから、余裕だと思ってました。
でも続けていくと、本当にシンドい。はや1ヶ月半が経ちましたが
ハードな運動となってます。しかも体重減らないし・・・
一ヶ月で500gの減ということは、3500キロカロリーを消費する必要があります。
一日100キロカロリーを減らすとして、1ヶ月で3000キロカロリー。
6月はまだ半月ですし、減ってるわけありませんね。
目に見える効果って欲しいですね。

西照寺こどもまつり 2016 こども達に向けた「お坊さんの話」

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
今年も「西照寺こどもまつり」を開催いたします。
日時は2016年7月17日の10時からスタートです。
因みに、10時から「お坊さんの話」があります。
一ヶ月前になったので、告知いたします。
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「西照寺こどもまつり」は、こども達に「敬う心」を伝えることを目的に
お寺で行っている行事です。
今年のテーマは「みえないものでもあるんだよ」という話をします。
例えば、「感謝の気持ち」とか、「繋がり」「おかげさま」など。
そんなことって、大事なんだよって!子供達と考えたいと思います。
その果てに、「みえないもの」の大切さを、こども達に持って帰って欲しいと
思います。
「西照寺こどもまつり」の特徴は、こども達にお寺に来て、楽しんでもらう中に、
「お坊さんの話」を盛り込んでいることです。
「お坊さんが伝えること」を、どこか心の片隅でも構わないので、しまっていて欲
しいと願って開催するものです。
こども達が成長し、いつの日か「そういえば、こどもの頃、お坊さんから聞いた
話ってあったな」とか、こどもが成長する過程の中に、お坊さんの話が活きている
なら、それだけでも十分です。
だいたいが完全に忘れてしまうものかもしれない と思っているのですが、一人で
も覚えていてくれる子がいたとしたら、それだけでも十分かもしれません。
宗派とか、ちっちゃなこだわりありません。誰でも来てください。
西照寺の檀家(門徒というのですが)にならなくって構わないし。
むしろ、西照寺と関係なかった方々に沢山来て欲しいです。
 
 

睡眠がおかしいぞ。

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日は雨。私は4時半くらいに目が覚めてしまいました。
なんだろう?どうなっているのだろう?おかしい。
今は眠いけど、眠れない。そんな気だるい感じです。
あぁ、今日は頭がまわらない。朝の運動も控えています。
こんなブログでごめんなさい。

芸術と宗教

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨日は、熊谷のNさんが数年ぶりにご来寺くださいました。数時間お話させて
いただき、勉強させていただきました。楽しいひと時でしたね。
また、いらしてください。
その後、夜にはJC関係で坂戸へ。帰りも遅くなりました。
おかげで、寝坊。(JCメンバーに告ぐ)だから言ったんだ!早く帰ろう!!って。
今日は築地なので、早く出かけねばなりません。ああ、時間がない。
西照寺MS委員の皆様、ありがとうございます。是非、よろしくお願いします。
さてさて、続き。
人間界の世界を超える世界との出遇い。これは芸術などの分野でも顕著に言われる
ことです。例えば、音楽家の坂本龍一さんが作曲した「戦場のピアニスト」。
あれは空から音符が落ちてきて、坂本さんは、それを捕まえてただ譜面に載せてあ
げるだけだったと話されたそうです。私が好きなマイケル・ジャクソン。
あの方も空から音楽が降ってくる、と話しています。また、ある著名な仏師の方
は、原木にすでに仏様がいらっしゃるので、私はただその仏様を取り出すだけと話
されます。またとある刀を磨く方は、手が勝手に動く瞬間がある。
と話されました。
つまり、人間界を超える世界と出遇い、その世界から私達に向けられた「はたら
き」を受け取ることで、優れた芸術は生まれるのでしょう。
上記の方々に共通することは、人間界を超えた世界からの「はたらき」が、その方
を突き動かし(受け取る人間からすると、手が勝手に動く、とか、音符を捕まえる
だけなどのように)、あらゆる芸術を生み出す(生み出すのは「私」ではなく、人
間界を超えた世界があらゆる芸術を生み出す)ということです。
これが宗教の世界だと、例えば浄土真宗の場合、阿弥陀仏が私の口をついて念仏と
なってでてくださる。そのような「他力」(阿弥陀仏の力)と言われる世界になる
のだと私は理解しています。芸術の世界も宗教の世界も、それが人間界を超える世
界との出遇いである以上、ある部分で共通しているのでしょう。
まさに不可思議という世界です。ただただ、その不可思議と出遇い、突き動かされ
る、任せる、委ねる。不可思議からの「はたらき」を受け入れる。
私を動かしてもらう。そのようなことが本物といわれるのかもしれません。まぁ、
当然といえば当然ですね。だって、人間界を超えた世界から生み出される「芸
術」、あるいは「救い」なのですから、人間を超えているのです。
私たちからすれば、完全になり得るわけです。
おそらく人間には誰にでも、その世界と出遇える機会が与えられているはずなのだ
と思います。ただ、受け取るのが難しい。「たまたま」という他ないのです。
だからこそ、それを感じ取る(受け入れる)感性が非常に大切だと思うのです。
そこには、知識は邪魔でしかないのかもしれません。
 

思議と不可思議

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨日は、所要で朝のご法事を勤めた後、鎌倉まで行ってきました。
東松山ICから圏央道を通り、新湘南バイパス経由で、茅ヶ崎までいきました。
何と、東松山ICから茅ヶ崎まで1時間で行きました。凄い。
茅ヶ崎から鎌倉までは20キロ。混んでたので、全体で2時間弱でした。
便利になりましたね。茅ヶ崎なんて、これまでは遠すぎて行こうなどとも思わな
かったですが、圏央道を通れば、1時間でついてしまうのです。
東松山から池袋にいくような感覚です。近い!
さてさて、続きます。
因みに、「死んだらどうなるのだろう・・・?」という問いと、「死なないとわか
らない」という答えは、人間界での論理に基づく、問いと答えです。
「死んだらどうなるのだろう?」との問と答えは、人間界の論理では、説明がつき
ません。証明もできません。
だって死んだ後のことは不可思議(人間の論理を超えているもの)なのだから。
科学的に説明ができないのです。しかし、不可思議という世界を受け入れる方に
は、死んだ後の世界も不可思議と受け取れるはずです。
私達の論理を超えた世界を受け入れているからです。
だからこそ生前に、不可思議という世界と出遇う、受け入れることが何より大切で
す。この出遇いは頭で考えていても出遇えません。
だって、私達の論理を超えているのですから。頭で考えても無理なのです。
では、どうしたら出遇えるのか。どうしたら受け入れられるのか?
それは感性です。感じる以外にありません。経験する以外にないのです。
現代人は、頭でっかち(科学に汚染されている)なので、感性が衰えているので
す。もっと感性を育む必要があります。私達人間界の世界を超える世界を感じるの
です。昔の方は、現代人のように科学的な視点をもっていなかったと思います。
その代わり、感性は鋭かったはずでしょう。現代人のように不可思議ということを
受け入れ辛い環境ではなかったと想像します。
私達は、昔の人より現代の人の方が優れていると思っている方もおられるでしょう
が、逆かもしれません。(科学的な考え方や知識の量などを比べれば、現代人が優
れているかもしれませんが) むしろ(感性というか、人間界を超えた世界を受け
入れるあり方というかを比べれば)昔の方の方が優れている可能性があります。
現代人は昔の人よりも目線が狭くなっている恐れさえあり得るのです。

科学と不可思議

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
皆さん、最近ダルくないですか?疲れるというか。
あと、とても眠い。
私は上記2点が酷く、昨日は朝の運動を取りやめました。
体がとても疲労を感じていたからです。
聞く所によると、どうやら気圧のせいのようです。
それを聞いて安心し、今朝はいつもの倍運動してやりました。
しかし、ダルイ。
さてさて、昨日の続き。
科学とは、例えば再現性が証明できる因果関係を言うのだと思います。
例えば、摂氏0度以下になると水は氷となる。
これはそのような条件が整えば、必ず再現ができるので、科学的なわけです。
私たちは、再現ができる、証明ができる科学的な考え方が好きですね。
ある意味、私達現代人は科学的な考え方に汚染されているのです。
科学は再現できるからこそ「間違いない」と思ってしまう心が私達に生じます。
だからこそ、私達は科学的な物事の見方に重きをおいてしまいがちなのです。
一方で、この世界には、再現性がないものもあります。例えば出会いです。
出会いは、その時にしか訪れません。ある意味で偶然ですね。
再現性なんてあるわけないのです。
再現性がないので、これは非科学的となります。
出会いを科学で説明しろと言っても、それはできないでしょう。
もっと言えば、私がこの世界に生まれてきたのは・・・これも非科学的ですね。
偶然というか、たまたまなのです。科学的に説明ができません。
(お父さんお母さんが産んでくれたからと言っても、そこに「私」が生まれてくる
とは限らないでしょう)
どうして、この親の子供として「私」が生まれてきたのか・・・?
ここに科学的な説明なんてあり得ません。たまたまなのです。
まさに不可思議(思議とは、私達の頭で考えられることということです。
不可思議とは、私達の頭では追いつかない(理解不能)ことをいいます)です。
この世界には科学を超えた、人間界での論理を超えた不可思議の世界があるので
す。私たちは意識しないだけで日々、不可思議の世界を体感しているはずなので
す。例えば、この世界に私が生まれてきた不可思議。親子や夫婦として関係するこ
ととなった不可思議。(この不可思議というのは、人間界の論理では把握できな
い、説明がつかない、人間界の論理を超えている事柄のことを言うのです)そんな
世界に触れているはずなのに、私たちは科学的な考え方に重きをおいてしまい、非
科学的なことは「怪しい」と理解してしまいがちです。まさに、考え方が狭いと言
わざるを得ません。
もっと不可思議という世界の重要性を受け入れるべきだと私は思います。
宗教は人間界の論理を超えていく世界観をもっています。
だからこそ、難しいのです。人間界の論理が通じないのだから。
人間界の論理で生きている者にとっては、受け入れ難いのです。

死んだら終わり? 死んだらどうなるの?

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
今日から久しぶりに、濃い内容を連載で綴りたいと思います。
人間は死んだあと、どうなるのでしょう?
きっと死んでみないとわからないのかもしれませんね。
しかし、宗教には私が死ぬ前に、そのことについて、確信とも言える世界観を与え
てくれる力があります。私はそう感じています。これは一人の宗教者として綴るこ
とです。私が感じる確かなことは、「死んでも終わらない」ということです。
たぶん死んだら肉体や意識などは、もしかしたら役目を終えるのかもしれません。
一方で、終わらない部分もあるのです。
(これを言葉化するのが、難しい。誤解される可能性が高いからです。
言葉は意味を限定していくので、非常に使い方が難しいですね)
死んでも終わらない部分。これがとても大事。
しかし、それらは目に見えるものでもないし、触れられるものでもありません。
だから、今の私たちにとって確認が難しい。
だからこそ、今は「死んだら終わり」と思う人が多くなっているのだろうとも思い
ます。科学にすっかり慣れた現代人の頭では、それは、ある意味当然です。
しかし、科学では説明できないものがあります。私は科学は大切だと思ってます。
しかし、所詮科学などは人間界における論理で説明ができるものだけを、ある意味
の正としているだけ。説明できないものに対しては、正も誤も判断しません。
「科学的ではない」となるわけです。しかし、現代は「科学的でないもの」を誤り
と考える人々が増えているような気もしなくはありません。たぶん多くの科学者は
それを「誤り」とは思ってないでしょうし、「科学で説明がつかない」と表現する
のだと思いますが。しかし、一般人はそうではない。「誤」的に捉えます。
科学は人間界だけの常識なのです。人間界という狭い世界観だけで物事を判断
する物差しでしかないのです。だからこそ、科学だけに頼る物事の見方は狭いと
言わざるおえないのです。そのような見方で、物事をみると、多くの過ちをおかし
ますね。誤った方向に進んでいくのです。現代の危うさは、多くの方が科学的な
考え方が好きで、非科学的なものには重きを置かなくなりつつあるような気がしま
す。本来人類という(長い時間のスパンで考えたとき)ものに大切であるはずの
様々な事柄も、現代という短い時間のスパンでのブームである科学の目線によって
崩壊されていく様子が、ここ数年の悲しい流れです。
どこかで、この流れを反省することも大切だと思います。
明日以降も、より具体的に綴ろうと思います。
 
 
 

7月の法話会 7/9 西照寺別院

投稿日: カテゴリー: 仏事・情報・更新日記

7月の法話会ですが、9日に西照寺別院(新東松山斎場)で開催されます。
法話会は毎月(8月は除く)第二土曜日の
13時半~勤行 14時~ 法話
となっております。お時間の許す方は法話の後、お茶会をしています。
どなたでもご参加いただけます。どうぞお気軽に仏教の話を聞いてください。

もっと寝たかった

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
今朝は2時半に目が覚めてしまい、そのまま眠れず。
明るくなってきたので、4時頃に起き出して、ブログを更新しております。
どういうわけか、眠れません。
昨夜は、睡魔にかてず22時半頃就寝してしまいました。
そのまま4時か5時頃まで眠りたかったです。
目が覚めて、携帯を見たら2時半。ちょっとショックでした。
私は2度寝がなかなかできないタイプで、一度目覚めると
次が眠り辛いのです。
そんな訳で、現在4時すぎですが、頭の芯が眠っている状態で
意識は起きているという、何ともすっきりしない朝を迎えています。
今日から、ちょっと時間ができますが、昼寝も得意ではないので、
夜までこのまま頑張ります!!

機種変更、ラインが上手く引き継げず

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨日、埼玉組の組会を無事終えることができました。
これで、埼玉組の役職として解放されました。ヽ(´ー`)ノバンザーイ
でも、教区の役職になってしまったから、今日も築地に出勤です。
(むしろ、忙しくなったよΣ(|||▽||| ))
昨日は、組会の會所で携帯を落とし、画面全体にヒビが入ってしまいました。
もう使えそうもない状態のようにひどい。
だから、急いでお役御免を見計らい、機種変更をしにお店に駆けつけました。
新しくなったのはいいけれど、ラインという機能が上手く引き継げず、困惑してお
ります。
ラインは結構使うので、特に比企青年会議所の連絡において。だから、ご迷惑をお
かけしてしまってます。早くなんとかしないと・・・