日記

お寺を継ぐ・・・副住職の転機

おはようございます。副住です。
最近、ブログを更新できる時間がもてる生活です。
さてさて、一昨日からの続きです。
大学3年生で、勉強する決心をし、その後ゼミなどで先生の話を
よく聞いたり、ゼミの同級生との自主勉強会に参加したり、
これまで勉強嫌いの私でしたが、勉強に視点をあてた生活が始まりました。
大学3年の時は、大学の単位を取る為、ある程度大学に通い、
私生活ではバイトをしたり、お付き合いしていた方もいたりで、普通の生活をしていました。
しかし、大学4年になった時、卒業に必要な大学の単位もそれなりに取れていたので、バイトをやめ、
お付き合いもほどほどとなったことから、自分の時間が持てるようになりました。
ここからギアを上げ始めました。
毎日朝9時から大学の図書館に入って、夕刻まで、ずっと勉強をしてました。
(土日は勉強をやすみました)
相変わらず、意味がわからない専門書を開き、にらめっこ状態。
今から思えば、よくやったな。と思うほどです。
元来、頭は良くなく、成績も毎回最下位クラスの私でしたが、人生がかかっているので
頑張りました。
秋を過ぎるころには、1日中勉強してました。お風呂とご飯の時間以外はずっと。
たぶん、1日10数時間は勉強してました。この頃の状態は、勉強に命をかけてました。
それでも、表面的な知識は増えてましたが、教の本質を理解するには、ほど遠く、
例えるなら土台をつくらないで、家を建ててる状態でした。
基本的な教科書通りの知識は持っているのですが、ちょっと質問されたりすれば、対応できないような状態。
毎日先生の研究室を訪ね、質問。
しかし、肝心の浄土真宗の教えの本質がまったく見えません。
死んでも本望!と思いながら勉強を頑張っているのに、本質に近づけず、時間だけが過ぎていきました。
私はお寺を継ぐのか継がないのかを決めるため、教えが納得できるのか、できないのかを知りたかっただけです。
でも、1年間、ほぼ毎日勉強しても、教えが納得できるとか、できないとか判断できるレベルまでもいきつかないのです。
そんな状況で大学卒業の時期が迫ってくるので、周りのすすめもあって、とりあえず大学院に進学することを目指します。
大学院というのは、専門をより深く研究するための機関で、おおよそ全部で5年間あります。
最初の2年を修士課程(「マスター」とかいいます)といい、修士論文を書き上げ、修了すると、次のステップである
博士課程(「ドクター」といいます)を受験する資格が得れるのです。博士課程は3年間となります。
その修士課程に進むことに。
この頃は、表面的な知識でしたが、何とか修士の試験には合格できました。
4月から大学院で専門に特化した学びを深めるのですが、この頃はこれまで以上に求道の精神が強まっていました。
だって、お寺を継ぐのか継がないのか、これを判断しなくてはならないのですから。
早く判断しないと、一般社会にも受け入れられなくなります。この頃は、修士を修了してからでも、就職活動では不利には
ならなかった時代だと思います。博士までいった後だと、もう専門機関以外では働けないので、修士に在学中に何とか決断しないと
いけないわけです。
修士の1年目もある意味でイケイケでした。本質を知りたい!という学びの精神でギラギラしてました。
でも、努力はしているんですが、全然ダメ。そもそも地が悪いので、他の人以上に理解力も低いわけです。
仏教の基礎が書かれてあると、先生に進められた本(例えば『中観と唯識』)を読むのですが、内容がわかならい。
1行読んで理解するのに、1日かかることも当然のようにありました。
それほど、意味わかんない。
1年以上やってもダメなんですから、諦めたらいいのですが、こっちは自分の進路がかかっているので
諦められないんですね。もっとも、当時は諦めるなんて発想は微塵もありませんでしたが。
ただ、人一倍の努力だけはしていたような気がします。私の勉強時間に周りはついてこれませんでしたし。
しかし、何度も言いますが、私の場合、素地が悪いので、全然ダメなんです。
そんな私に、ようやく基礎が理解できる時期がいたのは、修士1年の秋になることでした。
真剣に勉強に取り組み、1年半を過ぎた頃だったのです。
続きはこちら↓

お寺を継ぐ・・・副住職の決心