日記

人生の土台

こんにちは 副住です。
人生いろいろありますね。
何かに一生懸命のめり込む時、
周りが見えなくなってしまう時、
結果がでなくて、凹む時、
人から言われて、立ち止まる時、
自分の進む方向性が解らなくなってしまう時、
色々とあります。
生きていれば、多々、このように悩む一時期ってあるのだろうと思うのです。
これらは人生の根本的な問いとなって、私を襲ってくるものです。
そんな時、人に言われてフラフラ揺れ動いてしまうものでしょうし、
自分を見失ってしまうものでしょう。
人生の土台がしっかりとしていない私達は、フラフラ揺れ動いてしまうもので
とても弱い存在ですね。
フラフラ揺れ動いてしまうのを、私は悪いとは思いません。
むしろ、当たり前だと思います。
揺れ動いていいのです。
私たちは、その場の状況や自身のおかれた環境によって、色々と揺れ動いてしまう
徹底しない存在なんです。だから弱いんです。
私は浄土真宗の教えを通して、このことを痛く教えられました。
そんな弱い私だからこそ、ちゃんと頼れるものがないと、人生が落ち着かないのです。
ちゃんと頼れるものこそ、仏様の教えなのです。
仏様の教えは真実と言われます。
真実ということは、フラフラしないで済むということ。
真実だからこそ、いつでも揺れ動かないのです。
でも、私たちの生きる世界は真実ではないから、フラフラ揺れ動いてしまう。
仕方がないのです。
だからこそ、仏様の教えを通すことで、私の生き様がフラフラしないものとなっていきます。
そうなることで、私の人生が落ち着いてくるのです。
もちろん、色々なことに影響を受け、活動をしても結果がでない、そんなことも多々あります。
苦しい時は当然あります。でも、だからといって揺れ動かないのです。
自分の進む方向性が見失われることなどありません。
進む道が、仮に苦労の連続だったとしても、その先に真実があるので、
迷うことがなくなります。
現代の環境はとても大変な時代ですから、揺れ動きそうになる方が増えてくるでしょう。
だからこそ、仏教は必要とされるはずです。
ここら辺が、仏教に生きるお坊さんと、そうでない方の一番の違いだと私は思います。
でひ、お坊さんに相談してみてください。