日記

本物とは何かⅡ

こんばんは 副住です。
築地の教務所の関係で、昨日から箱根で会議をしてました。
その関係で、更新が遅くなりました。
さて、続き。
私が大学院(修士課程)の1年目のある時のこと。
その頃は、毎日猛勉強。仏教とは何を説いているのだ
ろう?と。毎日それを求め、勉強をしていました。
そんなある朝のことです。
朝、目が覚めて上半身を起こし、少しだけボーっとして
いた、まさにその時。突然。
目に見える景色は普段と全く変わらないのですが、
感じ方(受け止め方というのか)が全く異なる世界。
突然、そのような世界に触れることとなります。
目に見える全ての物が、遥か昔から繋がってきていて、
それぞれが関係していて、その果てに今ここにある。
だからこそ、それぞれがとても尊くて、それぞれの関係の
中に「私」が包まれている。しかしその「私」は意思をもち
その尊さの中に溶け込めないでいる。縁起の中にありながら、
縁起に溶け込めない私がいる。
凄すぎる有難さと、猛烈な自分の情けなさとに身体の置き場所
すら見つからない状況に。
私が寝ている床さえも貴重で尊い世界。
そこに私の愚かな存在が横たわらざるを得ない状況。
上手く説明できませんが、感覚というか、そう感じる瞬間が突然
やってきたのです。もう涙はボロボロ溢れ出るし、頭が下がるし
身体はひれ伏すかのように、脱力と言うか、
有り難い世界の中に、私の愚かな身を、どこに置けばよいのか
迷うというような、もうひれ伏すしかないような、
そんな状況となってしまったのです。
(私は五体投地が良く理解できました)
五体投地は、そのような特別な状況に触れ得たら、
必然的に身体がそうならざるを得ない、
一種の身体表現だと思っています。
私のこの経験は時間にしても3分くらいの出来事
だったように思います!?そんなに長くない。
(計ってないからわからないけど)
ちょっとオカシイでしょ!?だから他人には言わなかったのです
完全にイってしまったかのようですもんね。
自分でもわかってます
そもそも、人に分かってもらおう、なんていうものではないので
す。個人的な宗教経験だけでいいのだと思ってます。
その有難い世界が、これまで勉強してきた「仏様の働き」だと
私が頷けた瞬間でした。頭だけでは理解ができなかった世界。
私の場合、この経験があってから、仏教が、浄土真宗の教えが
以後スーっと入ってくるようになりました。
もちろん、だからといって、仏教の全てがわかるというほど、
簡単なものではありません。でも、一番肝要な部分に頷かされる
出来事でありました。
私は、「私」という世界を超えた世界を納得させられたのです。
 
 

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