こんばんは 副住です。
続きです。
私は、「私」を超える世界が確かなものだと納得しました。
仏教では、それを「浄土」というのでしょう。
つまり、仏様の世界ということです。
私も、いずれ「私」という濁った心、囚われの心が
尽きる時、いわゆる死ぬときだと思いますが、その時に
仏様の世界に往けるのです。それが明らかとなったわけです。
ただし、今は「私」という濁った心があって、それが邪魔して
仏様の世界に、往けていません。
さて、雑に書くと上記のようなことなのです。
そんな経験があったけど、明らかに普通じゃないから
こんな話をしても・・・と思い、これまで20年近くも黙った
ままにしてきました。本当の近しい人、数人には話したこと
あります。家族とか。
しかしここ数年で、仏教に関係ないお二方から、驚くような共通
点がある話をしてもらったことで、私も共感し、自分の経験を
話すことに繋がりました。
今回は、そのうちの一人から聞いた話をご紹介します。