こんにちは 副住です。
昨日の続きです。
私は以前、坂本龍一さんのお話しを聞きました。
坂本さんが作曲された「戦場のクリスマス」
あれは自分が努力して生み出して完成した曲ではないとの事です
そうではなくて、空からメロディーらしきものが降ってきて、
それを譜面にのせてあげただけ。
それで完成した曲なのだそうです。ですから作曲者として
名前があげられてますが、自分が生み出した曲ではないとの
ことなのです。
私はマイケル・ジャクソンが好きだったのですが、
マイケルさんも、同様のことを言ってました(TVで)。
「上から降ってくる音符をつかまえてあげればいい」
というのです。
そうやって出来た曲が、名曲になった!というのです。
ですからお二人とも、自分が作った曲というよりも、
「人類への贈り物」だと受け止めているのです。
誰からの贈り物かといえば、「私を超えた世界」からの贈り物
ということです。優れた芸術というものには、きっと共通点が
あるはずです。それは、「私を超えた世界」に触れ、それを
私がそのまま表現する。
換言すれば、「私をして表現させられる」とも言えるかもしれ
ません。そのような受け止めは、親鸞聖人に見られます。
親鸞聖人は、本当に論理的な方だと思わされます。
ここに他力があるのですから。
ただ、芸術の世界でも同じような境地があると思います。
その境地と触れることで、そしてそれをそのまま表現することで
素晴らしい作品が出来上がるのです。その作品こそが「本物」。
「本物」には、当然人間の力を超えた「何か」が含まれて
いるのです。その「何か」とは、もはや表現できないもの
なのです。「私を超えた世界」ですから。
だから仏教では、「不可思議」と言ってみたりします。
「私を超えた世界」ですから、私の頭で考えることができ
ない世界でしょ。だって、私を超えているのだから。
私の頭で考えられることを「思議」といいます。
「思議」を超えた世界ですから、「不可思議」。
仏教も凄いし、芸術も凄い。共通点があるのですね。
それは「本物」ということです。
では、「本物」はどうやってわかるのか。
これが難しい。
私がここまで、「本物」に出会った方に色々と聞いて
みてます。その中で、ぼんやりとした返答ながら、
それはおそらく、「本物」の作品などと出会うことから
「本物」の作品に触れることから、何かが発展する可能性が
あるとのことでした。
ただし、この世界では偽物は沢山あります。
偽物ばかりに触れていては、「本物」もわかりません。
だからこそ、「本物」が大事となるのです。
西照寺には、「本物」の作品があります。
是非、「本物」を触れる為に、西照寺を利用してください。