日記

わかりやすい仏教(5.分別)

こんにちは 副住です。
さてさて、自己中心性の中でも、核となっているのは
「自分」です。
つまり「自分」の事を自分と思う心のことです。
自分とは「自ら分ける」と漢字で書きます。
つまり、全体から「自を(ら)分ける」のです。
仏教では、全てのものは、繋がって(支え合って)いる
と考えます。仏教と言わなくても、考えてみればわかることです。
分かりやすいように狭い範囲で具体的に綴ってみましょう。
例えば、家族。両親は私を育ててくれましたし、
家族は私を支えてくれます。友人もそうですね。
楽しい時間をくれたり、時には成長を助けてくれます。
違う方面で考えると、私は空気を吸わないと生きていけません。
空気は私の命を支えてくれる何より大事なものです。
あるいは水や食料も同じですね。
もっと大きく考えると、太陽や地球だってそうです。
太陽の引力によって、地球が太陽と程よい距離感(私たちにとって)
を保っており、そのお陰で、私は太陽の適度な温もりを感じられる。
だから生きていけます。
また、地球の引力があるから、私は今のように動くことができるのです。
その他にも、地球の裏側にいるであろう、私の知らない人だって、
地球規模や歴史的に考えれば、何かしらで繋がっているのです。
そう考えると、私は色々な繋がりの中に存在しているのです。
色々な支えによって、存在ができているということです。
つまり、全体的な相互作用の中で私は存在しているにも関わらず、
全体の中から「自を分け」ようとする心が、私の根源にはあるのです。
本来全部(宇宙レベル)が繋がっているにも関わらず、
私の根源にある自己中心性の心が、全体的な繋がりを見ようとしないで、
「自ら分け」孤立していこうとするのです。
ここに必然的に「自分」と「他」(自分以外のもの)と区別しようとする心
がでてきてしまうのです。この区別を分別(フンベツ)と呼びます。