日記

わかりやすい仏教(13.仏教を学ぶとどうなる②)

おはようございます。副住です。
本当に久々の連載の続きとなりました。
今、確認したら、どうやら8月4日以来みたい。
だから1ヶ月ぶりの連載。やっと連載に戻ろうかな。
という気持ちになりました。
それでは今日も書いてみます。
私の場合、仏教を学んだ(体感)ことで、生き方に芯ができまし
た。揺るがない芯です。
わかりづらいと思うので、換言しようと思います。
私たち生きていれば、色々な状況が訪れますね。
例えば、人間関係でも、どっち派?などとなる場合。
とある人間関係のグループ内に入っている時、A派とB派に
別れてしまう時がありますね。AさんとBさんが決裂しそうに
なった際、あなたはどっち派?みたいな状況になる場合あります
ね。こうなった場合、巻き込まれて困ります。
一番困るのは、自分の存在意義が、そのグループ内のあると思っ
ていたとしたら大変です。女性だったら、友人グループとか
男性だったら、会社のグループとか。
そうすると、Aさんについていった方がいいのか。Bさんなのか。
あるいは、Aさんに多くの人がついているから、Aさんについて
いくべきなんだけど、本当はBさんの方が人間的に好きなんだけ
ど。・・・そんな風な場合、フラフラ揺れ動いてしまいます。
何故かって? それはきっと、どっちを選べば自分の特になる
か?という視点で考えるから。だからフラフラ揺れ動いてしまい
ます。別に悪いことではありません。ただ、シンドイと思いま
す。芯がある生き方とは、フラフラしない。
そもそも自分にとって、どっちが得か?ということで選ばない。
仏教に照らしあわせて判断するから。
大勢がAさんについていっても、Aさんの主張が仏教に照らし合わ
せ違うと思ったら、Aさんにはついていきません。
かといって、Bさんの主張も仏教と照らし合わせて違うと思った
ら、Bさんにもついていきません。私は一人になっても構いませ
ん。もし、仏教と照らし合わせ、Bさんの主張が納得できるもの
であれば、少数派でも、私はBさんに迷いなくついていきます。
つまり、芯があるという生き方は、何か極限状態にも近い時が訪
れた場合、とても頼りになるもの。
揺れ動かないから。
また、そのような極限状態に近い状況での判断基準が、
自分の損得ではなく、仏教となっていることです。
これが最大の特徴。
ただし、時に普通とズレる場合がでてきます。ちょっと変わり者
と思われる部分もあり得ますね。普通の人が拘らない部分に
強烈なこだわりをもったり。普通の人がこだわる部分に
全くこだわらなかったりもします。
ですから、私は「変わった人ですね」と言われることもあります
そこはちょっと自覚してます。
おそらく、芯を持たなかったら、きっと極限状態に近い
状況の時の判断基準は、自分の損得感情となりそうな
気がします。もちろん、「そうではない」と思いたいけど、
実際はそれに近い状況になるでしょう。これは悪いことでは
ないのです。むしろ、人間だったらそうだと思うのです。
ただ、理性は、自分の損得感情なんかで、決めたくない!
と思う場合もあるので、よくわからない状況となってしまい
大きな悩みになっていくと思います。
兎に角、仏教を学ぶ(心から受け入れる)と、人生に
芯ができると思います。

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