日記

本物とは何か(その8)

こんにちは 副住です。
さて、話を日本刀に戻そう。美術館や博物館にあるケースに入っ
たままの日本刀は、鑑賞者自身が手にとって触れることができな
いので、光の当て加減など、見る者側の都合で扱えない。
直接に触れられなければ、刃紋や地肌そのものが見えないし、若
干見えたとしても、それぞれの日本刀の刃紋や地肌の見え方に違
いがあることにも気づけない。
現代の文化財は保存を目的とする為、国宝級や文化財級の日本刀
はケースに入れられて、実際に手にして気軽に見ることができ
る環境にはないのである。
だから専門家であっても、自身の専門分野の「本物」というも
のが何かがわからないという事態となってしまっているのであ
る。当然素人にとっては、尚の事であろう。
 
もはや、このような環境の中では、「本物を見分ける目」を養う
ことは難しいのである。
本物を知らない(知ることができない)ということは、何が良い
もので、何が悪いものなのか?ということがわからない、という
ことなのである。これでは全く面白くない。そもそも良し悪しが
わからなければ、追求心や探求心、向上心がでてこないだろう。
だからこそ夢など描きづらいことに繋がってしまう。
 
さて、これら骨董品の例えによって「本物」についての内容を
綴ってきたが、ここで話を軸に戻してみよう。「あの人は本物
だ」とか「あの会社は本物だ」などと言われる「本物」とは何
か?ということであった。
この場合の「本物」が意図する内容はおそらく【「その人その
もの」が、信念を持ちながら、無駄なことをせず、やらねばなら
ないことを手間暇かけ、きちんと実行している人生を歩んでいる
人(極まっている人)】と言うことができるだろう。それは会社
であっても同じである。そのような人や会社と触れ合うことがで
きた時、「本物」ということが、こちら側に伝わってくるのであ
る。一度でも「本物の人」と出会った実感がある人ならば、「本
物ではない人(偽物?)」もすぐに見分けられるだろう。人に対
しても「本物」と、「そうでない者」の判別基準ができることと
なる。きっと、「本物の人」を知った人であるならば、「本物」
への憧れができるだろう。それが「本物」の魅力であり、凄さな
のだ。ここに向上心や夢がでてくるのではないか。「本物」は
様々な分野にある。人であったり、会社であったり、陶器であっ
たり、絵画であったり、料理であったり、武具であったり、その
他いろいろある。それぞれの「本物」を体感することが大事であ
る。できれば、多くの分野の多くの「本物」を体感すべきであ
る。それらを体感できた時、「本物」の凄さに触発され、興味が
湧いてくる。その先に、探求心や憧れ、夢などが湧いてくるので
ある。つまり、換言すればワクワク感が生まれてくるのだ。面白
いと思える気持ちが生まれてくる。夢ができる。向上心がでてく
る。追求心・探求心が深まっていく。良いことだらけだ。だから
こそ、「本物」を体感できる機会が大事だと、今、私は言ってい
るのだ。できれば、幼少期とか、子どもの時代に、そんな場を体
感して欲しいと思う。もちろん、大人になってからでも構わな
い。でも幼少期の感受性は凄いし、何よりも大人よりも未来があ
る。だからこそ、子ども達にこそ「本物」を体感する場を提供す
べきなのだ。