日記

バランス

おはようございます。住職です。

今月は、隔日更新となっていますね。

意識しているわけではありません。

たまたまです。

以前綴ったか忘れましたが、本来の予定では

文化財鑑賞会が終わったら、少し楽になるはずだったのです。

それが現況、逆になってます。

急に猛烈に忙しなくなってしまいました。

現在は、その真っただ中。

毎回、結局こうなるのです。本当に不思議。

なんで、ようやく楽になる!と思うと、その時に合わせたかのよ

うに、急に予定が入ってきます。

もっとも、こちらが忙しない時であれば、断るしかないのですが

どういう訳か、こちらが大丈夫な時に限って入ってくる。

これが摩訶不思議なわけです。どうしてなんだろう?

特に私の妻は、毎回こんな現況を見ているので、そういう定めな

んだよ!と言い出しました。あとは、私が断らないから、結局

ずっと変わらないよ。とも言ってます。

確かに!

でも、仕事でも何でも、必要とされるということは有難いことです。

私はそれをなぜか猛烈に実感していて、もちろん、忙しない日々

に愚痴がでるのですが、ご依頼されたことは本当に有難く思っています。

どうしても人間ですから、余裕がなくなったり、疲れたりするので、

その時は愚痴を言って不満を吐出し、前を向くことができるようにするのです。

一時期、自宅で愚痴を言っていたら、家族から、そんな話は聞きたくない!とか、

また愚痴が始まった!と呆れられたので、

もう「聞いてくれない!」「所詮家族だってわかってくれないんだ!」と諦め、

ブログで綴ることとしています(笑)

ブログを読んでくれる人が少なくなったりして(笑)

でもね、皆さん、お坊さんの私だって不満は沢山あるのです。

自分の思い通りにいかなければ、不満や苦痛がでてくるものです

それが生きているってこと! 普通の人間だってこと!

それを言い方を変えれば、迷いの世界に生きている者と

仏教では言うのです。俗の世界とも。

一方で、悟りの世界は、不満や苦痛が解決された世界のこと。

生きている以上、どうしても不満や苦痛は解決されません。

それとどのように向きあって、よりよく生きて生けるのか?

それを説くのが、浄土真宗。素晴らしい教えですよ。

さて、今の私を内省してみると、苦しみをブログで吐出し、

自分を保ちながら、前進したいと思っています。

不満を吐き出さなければ、きっと私は潰れてしまいます。

前も向けない。だけど、不満は吐き出しながらも、

一方で感謝の気持ちも同じくらい保てるのが大事だと思っています。

今回の件で言えば、忙しくて疲れる不満を吐出しながらも、

必要とされる有難さに感謝ができるのです。

どちらか一方だけ!というのは、浄土真宗の教えには

合致しません。

私の至らなさ(不満を言うとか)を自覚するのと同時に、

そんな私を受け止めてくれる(必要としてくれる)ものに

気付ける、気づけるから感謝できる。

そんな両面があって、バランスがとれることとなります。