読書

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

新型ウイルスに、劇的回復薬!と報じられてます。

タイで、インフルエンザとエイズの薬を混合したら、患者の症状が劇的に回復した

という内容のようです。おれが証明されるかは、もう少し様子見が必要でしょうが

何となく、よかったですね。何よりも患者さんの症状が回復したんだから。

後は、その薬が新型ウイルスに本当に効くのか?の検証が必要でしょう。

もし、効果的であるなら、素晴しいですね。特効薬みたいになるから。

新型ウイルスを恐れる心配もなくなります。朗報を待ちます!

さて、昨日から読書を少しづつ始めました。自分が読みたい!と思ったら、嫌いな読書も

ドンドン読めます。ただし、読書には大切なことがあります。

それは、「読みやすい本を読む!」ということ。

私は小さい頃から読書嫌いだったので、読書なんてしたことがありませんでした。漫画だけ読みました。

それが、大学に入って自分が勉強しなきゃ!と本気で思ってから、専門書や論文を読む生活が

始まりました。正直、専門書って読んでて眉間にシワが寄る程のものなのです。

当然ですが、専門用語ばかりでてくるし。

特に私の専門である真宗学は、宗派で伝統的に伝えられてきた教えについても守備範囲。

浄土真宗本願寺派では、宗派の教学が江戸時代に特に掘り下げられたこともあって、江戸時代以降の書物や

論文が多くあり、それを理解する為、どうしても読まなければならないことも多かったのです。

だから、言い回しが昔の言葉だったりするんですね。(最低だったのは、江戸時代だから全部漢文の書物と

かもある。あれは最低だった。ちゃんと読めない。苦労する)

昭和初期の偉大な研究者も言い回しが独特だったり、「いふやうな」とか使う。今とは違うのです。

これは、真宗大谷派(お東)の偉大な研究者、金子大栄先生が書いた当時の本を改定した本です。

これは読みやすい(大栄先生の文章は独特だけど、普通に読みます。他のはもっとわからない)のですが、

言い回しが当時っぽいことがわかってもらえると思います。専門用語も多いですね。

こんな本ばかりを読んでいたので、読書嫌いな私は、さらに読書が嫌いになったわけです。

本を読むって、精神的に相当の覚悟がいる!と、私の中では擦り込まれているのです。

でも、最近は普通の本を読む機会も増えてきて、本って、読みやすい本もあるんだ!と気付くように

なってきました。読みやすい本だと、スラスラ読めます。しかも楽しい。

逆に読みづらい本は、読まなくていいのかもしれない。と思うようになってきました。

読んでて、読みやすい本だけ読めばいいんだ。と、今は思っています。

楽しく生きる お寺づくり

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

先月末から、一層責任が重い日々を過ごしています。もちろん、これまでも責任の重さを自覚をしておりま

したが、実際に事が起こると、やっぱり責任が重すぎる・・・と。そんな事を思い知る日々でもあります。

でもあまり気負いしすぎると、疲れてしまうし、気持ちを切り替えないといけません。

読書でもしよう! 少し外出でもしてこよう! 自分の考えを資料として纏める為に時間を費やそう!

今、私がやりたいことは、上記のことなのです。些細なことかもしれませんが、やりたいことをやってみよ

う!という人生を心掛けているのです。もちろん、当然ですが悪いことはやってはいけませんよ!

そういう意味ではなくて、一度しかない人生だから、やりたい事をやってみよう!という、人生楽しく

生きていこう!!!という心掛けです。西照寺はこれを意識していきます。

その基づくところ(指針)は、仏教ですね。仏教の教えの中でも「天上天下唯我独尊」という教え。

つまり、「この世界に生まれてきて、東西南北、上下(天上天下ということ)のあらゆる方向を見まわして

みたけれど、自分が一番大事に感じてしまう(唯我独尊)」という風にお釈迦様は生まれてすぐに感じられ

た!という教えです。私達もそうですよね。自分が一番可愛いです。ただし、お釈迦様の本意は、続きがあ

って「私が自分が一番大事だと感じるのだから、他の人も私と同じように自分が一番大事に思っているはず

だ。だったら、他人と接する時は、自分と接するようにしないといけない」 つまり、「自分がして欲しい

ことを他の人にしてあげよう。自分がして欲しくないことは、他の人にもしないようにしよう!」という教

えになるのです。西照寺ではここを根本的な指針として、自分のしたいことをやっていこう!そんな人生を

歩んでいこう!というお寺にしていこうと思います。西照寺の理念に共感してくださる方々を集めて、

「楽しく生きる」そんなお寺にしていこうと思っているのです。

もちろん、お寺ですから教えをもってます。だから人生で迷ったときとか、疲れた時には教えに導いてもら

って、再び人生に戻ってもらう。それの繰り返しを行っていこうと思うのです。だからお寺が必要なわけで

す。西照寺はオアシスみたいなものになるのかな。

第三次感染!?

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

あらあら、新型コロナウイルスの日本国内での第三次感染が疑われています。

第三次感染とは、ウイルスの病原地(今回は武漢市)で羅漢した人から、その地に行ったことがない

人への感染(人から人への感染=二次感染)、そこから一歩前進して、二次感染した人から、さらに別の人

に感染することを言うみたいです。

第三次感染までいくと、病原地に関係なく、ウイルスの拡散が確認される訳ですから、一気に感染が身近に

なります。あとは自己防衛のみ!やっぱり懸念していた通りとなってきました。最悪だ。。。

私は先月末から心配だったので、マスクと消毒液を購入してました。(大量には買い込んでません。必要

な分だけ。ただし、何時頃まで必要になるのか?がわからないのですが、一か月分くらいはあります)

家族からは当時、心配し過ぎ!大袈裟!とバカにされてましたが、今となっては、ほら!予想通りだ!と

思ってます。

さて、このウイルスは、あまり死亡率も高くはないので、蔓延しても現状のままであれば、さほど心配する

必要はなさそうですね。中国の武漢市で死者数が増えてますが、これは、現地の病院に多くの感染者が来院

しており、病院がパニックになっていて、適切な処置を受けられず、重症化した患者さんが亡くなっている

からだと言われています。確かに納得できる理由であるし、そうなのだろうと思います。

今の所、それを証明するかのように中国以外で感染者が死亡したという情報は入っていません。

そこから考えても、感染しても適切に処置をしてもらえる環境であれば、大丈夫そうです。

また、ウイルスが変異したとは聞かないし、現状は過度に心配する必要はないでしょう。

今日までの情報を聞く分だと、そんな風に思います。

ただし、感染したくはないから、マスクや手洗い、消毒、さらにはストレス溜めない生活が一番大事。

あとは、飛沫感染で、目からウイルスが入ってくることもあるそうです。

今回のウイルスは知りませんが、サーズの時はそうだったようです。

だから、眼鏡やゴーグルが大切だとのことです。私は先月末から伊達メガネをかけてます。(笑)

自己防衛はやっていきたいですね。

あとは、重症化しやすい高齢者や持病を持っ方などへの注意をしたいものです。

私の両親も、その範囲内にありますから、気を付けたいと思っています。

今は、無駄な外出や人込みに行くことは控える時期でしょうね。

もう一週間もすれば、罹患者が多く確認されてくるでしょう。

先月末の警戒感が薄い時期に、自己防衛意識が低いまま動いていた方々の中から出るはずです。

これは仕方のないことです。集団で生活しているので、周りの環境に流されてしまうのですから。

さてさて、最後になりますが、お坊さんでも病気にはなりたくありません。

自己防衛を考えます。お坊さんでも死にたくありません。

ただし、死んで往ける世界を持っているので、仮に死ぬとしても、心配はしてません。

死ぬのは嫌ですが、死んだらどこにいくのか?などという不安は全くありません。

だって、お悟りの世界に往くのですから。これは事実なのです。

おそらく、そこが普通の人とは違うのかと思ってはいます。

もちろん、今回のように病気になりたくないから、自己防衛するし、正しい情報をなるべく判断して

掴んで、対策などをしています。