こんにちは 住職です。
昨日は築地本願寺に会議の為、出勤してきました。
また、私の所属する部所は、東京教区にある寺院を包括する事務局となるので、今後の対応など
部所内で話し合い、情報共有をしてきました。すると、かなり多くの仕事がでてきました。
そのような背景もあって、今日も朝から築地に出勤。もちろん車でです。
同職と情報共有を行い、仮に首都封鎖された場合など、情報共有や各寺院への情報伝達の仕方などに
ついても話し合ってきました。出来ることは限られてますが、非常時の想定をしておくことは有意義です。
さて、志村けんさんの訃報を知り、昨日から気分が暗くなってしまいました。
私は幼少期、ドリフターズを見て楽しみました。カトちゃんケンちゃんご機嫌テレビも観ていました。
その頃まで、志村けんさんによって笑わせてもらい、育ったようなものです。
ですから、私の中では「志村けん」は、何か存在を超越したキャラクターみたいな感じなんです。
それが、今回のコロナで・・・さすがに、信じられないような、変な喪失感があります。
また、感染症と診断されて亡くなると、今の日本では直接火葬となる場合がほとんどらしいです。
葬儀社さんから聞いた話しですが、日本では、亡くなると医師から死亡診断書が出されます。
死亡診断書が出されないと、火葬はできません。死亡診断書の中には、感染症かそうでないか、を
記載する項目があるのだそうです。感染症を拡げない為です。
もし感染症で亡くなると、ご遺体からウイルス感染が拡がる可能性もあり、家族であっても面会はできませ
ん。感染防止の為です。ご遺体はウイルスを拡散しないよう、袋(カバー)に入れられるそうです。
ETなどの映画に出てくる光景だと思われます。また、法律で亡くなって1日間は火葬ができないのです。
感染症で亡くなった方は、死亡時から丸1日を経て、直接火葬されることとなります。
感染症で亡くなった場合は、おおよそ、それに対応できる専門の葬儀社さんが火葬・収骨まで行い、
親族にご遺骨が引き渡されるようです。一般の葬儀社さんが施行されることは、ほぼないそうです。
今回の志村さんの件で、その事が報道されていますが、以前からそうなのです。
ですから感染症で亡くなる方は、入院しても面会できないし、亡くなった後も、遺族は面会出来ません。
感染症の恐ろしい部分です。ご遺族の辛さといったら、察するに余りあります。
私達が、ご葬儀は大切だ!という理由は、儀式を通じて、故人とお別れをしていくことと、故人が仏様と
なられたことを共有する場であるからです。ケジメとも言えるかもしれません。
この頃は、葬儀が簡略化していると言われますが、簡略化していても、上記の意味は薄れません。
しかし、その場が許されないとなると、遺族側は心の整理がつけられません。
葬儀を行えば、必ず整理ができるという訳ではありませんが、しっかりとその場が確保されることで、
私達は亡き方と心の整理をしていく過程が経られるのです。
宗教者がその場に携わる意味は、故人が次の世界に往かれたということを、ご遺族に導く為でもあります。
お別れだけではありません。浄土真宗では言いませんが、メディアでは、天国で安らかに・・・などと言わ
れますね。亡くなって終わりではない。死んだら終わりではないのです。亡くなって、次の世界に往った!
のです。だからこそ、「天国で・・・」と言う人もいれば、「ご冥福(冥界での福があるように)をお祈り
します」などと言われるのです。
さて、この感染症の怖さは、志村さんのように亡くなった後も、ご遺族の心の整理の機会まで奪うことにも
あります。遺骨で引き渡されても、慣れ親しんだ姿はそこにはありません。お別れするのは、慣れ親しんだ
姿をみて、触れて、話しかけて、涙をながして・・・それでやっと受け止めていけるのかもしれません。
死を受け入れ、お別れを行えることで、やっと次の世界に送り出せる。
新型コロナウイルスは、今の所、致死率は高くないですが、それでも人によっては重症化し、短期化間で
亡くなってしまいます。甘く見ないことです。感染しないに越したことはありません。
後悔先にたたず。何かあってからでは遅いのです。気を付けるに越したことはないと思います。
気を付けても感染してしまえば、仕方なかった!と納得できるでしょう。
でも、甘く見てて感染し、失うものがあれば、一生後悔し続けることにも繋がります。
ぜひ、賢明な行動をしていきましょう。