日記

自分に自信をつける方法 

おはようございます。住職です。

今朝は、通常よりも早くにトレーニングをしてきました。

もはや、習慣となってしまいました。もちろん、トレーニングは気が進みません。

またやるのか!と、ちょっとばかり思います。しかし、やらなきゃ!という強い気持ちがあるので

続けられています。やらなきゃ!と強く思うのは、自分で決めたことだからです。

自分で決意したことは、必ずやり遂げる!というのが、私のルール。

もちろん、万事がやり遂げられる事ではありませんよ。そんな慢心はありません。

しかし、自分の努力で何とかなりそうな事ってありますね。

例えば、体重を何キロにする!とか、仏教が何を説いているのか、自分で納得できるまでやる!とか。

これらは、自分の努力次第でできることですね。このような事に関して、私は決意したことは、必ずやり遂

げる!と自分にルールを課しています。何のために、そんなルールを課すのか!?と言われれば、それは

自分を信じてあげる為にです。自分を信頼してあげる為には、自分で決めたことはやり遂げる!必要が

あります。

私は若い頃(大学生くらいまで)は、自分に自信がありませんでした。全く。

何の面でも自分に自信が持てなかったですね。

しかし、不思議と自分に自信をつけたいなどと思ったこともありませんでした。

というのは、自分は落ちこぼれ!と思い込んでいる節もあって、なおらないと考えていたからです。

だから、自信をつけたい!などと考えたこともなかったわけです。

それが、たまたま大学で必死に勉強をすることになって、自分が仏教の教えに納得できるようになった

時に、不思議と自分に自信が持てるようになっていたのです。

自分に自信がなかった時は、自分の意見に反対などされたら、すぐに謝って引っ込めてしまっていた

ようなことが、自分に自信が持てるようになると、自分の意見に反対されても、対話ができるように

なりました。つまり、自分は自分!と、自分を認めてあげることができたのだと思います。

それにしても、どうして自分に自信が持てるようになったのだろう!?と、今、振り返ってみれば

おそらく、自分で自分のことを認めることができるかどうか?という事に関係しているように思います。

若い頃は、何の努力も苦労もしたことがありませんでした。

嫌なことはしない!そんな生き方をしてきたのです。勉強はわからないし、嫌い。部活も練習がつまらない

し嫌い。筋トレも嫌。学校は行きたくなかったけど、行かないとダメだし、友達と話すことは楽しかったの

で、嫌だったけど友達に会いにいっていたようなもの。

全てがこんな感じで、いわゆる頑張る!とか、努力!をしたことがありませんでした。

努力をしたことがないと、おそらく自分が頑張れる人間であることを知らないままとなります。

だから、ちょっとでも嫌なことがあれば、逃げに走ろうとするのです。

つまり、頑張ることから逃げるわけですね。

(因みに、学歴社会とか言いますが、一理あると思うのは、努力を知っている人間が良い大学に入る確率が

高い訳でしょう。人間の頭なんて、さほど変わらないはず。一部例外はいるでしょうが、ごく一部です。

となると、ほとんどの人は、勉強で努力をした人が良い大学に入る。つまり、良い大学を出た人は、努力

を知っている人間なわけです。逃げないで、頑張る事を体現した人なわけです。若い頃にそれが出来る人が

優秀なんじゃないか!?と企業は見做すでしょうね。私は出遅れて、大学で努力をしましたが・・・だか

ら、出身大学が全てではないですね。努力をしたことがあるかないかです。)

色々な嫌な事から逃げている内に、自分は臆病な人間である事が染みついてくるのです。

私は自分に自信をつけたいと思うことはなかったのですが、逃げる人生は嫌だったのです。

自分が父の後を継いで僧侶となったとして、ご門徒から仏教の教えについて尋ねられたとしたら・・・(-_-;)

自分が納得できていない仏教を、今後の人生の中心にするのだとしたら!?

想像したら、きっとご門徒から質問された時、逃げの自分のままだったら、適当に誤魔化すのだろうな!と

思えてしまったのです。そんな自分を想像した時、とても嫌だ!と思ったのです。

そんな背景があって、大嫌いな勉強でしたが、取り敢えず人生かけてやらなきゃ!と決意ができたのです。

ずっと嫌な事から逃げてきた自分に嫌気がさして、正面から向き合うぞ!と、勉強することを決意したので

す。そこで、決意したことは必ずやり遂げよう!と仏教を学びました。

そしたら、とーても苦労しましたが、猛烈な勉強を2年続けたら、縁が整ったのでしょう。

仏教が私の中に入ってきてくださったのです。つまり、仏教に納得させられた訳です。

すっっっごく嬉しかったし、充実感満載でした。

この時、ようやく自分の努力も認めてあげることができました。つまり、逃げなかった自分を信頼して

あげられたのです。それが自分で自分を認めてあげられた瞬間だったのでしょうね。

それ以降、自分に自信を持つことができるようになりました。やればできる!と知ったからです。

私は自分で自分を認めてあげられているので、幸いにして、今でも人生の満足感は高い方だと思います。

そんな居心地がいい状態を保つためには、自分で決めたことは守る!一貫する!ことを自分のルールとして

いるのです。もちろん、できないことは決意しない。簡単なことは当然決意するまでもない。

ちょっと大変そうだけど、きっとできる!ということに対して決意する!そんな事を続けています。

それが今は、トレーニングとなっているのです。

だから、トレーニングをする時でも、ちょっと大変だな。辞めたいな。と思うことはありますが、

そんな大したことない逃げの気持ちよりも、もっと大きな自分への信頼の方を優先するのです。

だから続けられる。

もし、このブログの読者の方の中に、自分に自信がない!というような人がいたならば、

私もそうでしたよ!と伝えたいです。

と同時に、私は上記のように、そんな自分を変えられましたよ!とも伝えたいです。

最終的には、すべて自分との闘いとなるのだと思います。誰のせいでもないのです。

因みに因みに、自分に自信が持てない人で、もしこのブログをみて、始めて何かに取組もうとするならば、

始めから実現が難しそうな決意をしてはいけません。今の自分が頑張ったらできそう!という

レベルが丁度いいです。

最初は怖いからといって、あまり低い目的を設定すると、やり遂げても自信となりません。

理由は、無意識の中の自分が、「こんなことくらいできるわ!」と知っているのです。

そんな時は、自分に課す努力の負荷が小さすぎると考えてください。

難しいのは、自分に丁度いいレベルの努力を、ある程度続けていくことです。

私が一番最初に行ったことは、アルバイトして、一年で100万貯める!ということでした。

最初から正面突破で勉強を頑張ろう!などと、私もさすがに思えませんでした。

最初だけ、逃げない自分を確かめようとして、チャレンジしてみたことが、一年バイトをして貯金する

ことだったのです。

これは成功しました。結構バイト三昧でしたし、この時は、貯金する為に、家賃を払いたくない!と考えた

くらいでした。でも、この程度は頑張ったらできること。

別に100万円じゃなくてもいいんです。今の自分の状況にあわせて、ちょっと頑張らなきゃ実現できな

い位の目標を実現していくイメージです。それが実現できたら、次はもっと大きな目標を実現させていくの

です。そうやって、自分が実現できる容量を大きくしていく訳です。