日記

農業社会から工業社会へ

こんにちは 住職です。

今日は私の個人的なお仕事を進めようと思っていたのですが、連日の疲れもあり、

休むこととしました。何も予定が無かった日であり、今日を迎えても何もないからです。

頭のリフレッシュが一番の目的です。

さてそんな中、昨日の続きを考えて見たいと思います。

明治時代に迎えた近代化。それまで長く続いてきたお米中心の価値観が、揺らいできます。

江戸時代は鎖国で海外との接点がほぼ無かった日本は、明治時代に入って、海外との関係性を持つことで

近代化していきます。いわゆる工業化です。

ここで価値観が大転換していくのですね。

これまで長らく続いてきたお米中心の価値観、いわゆる農業を主体とする社会と、そこで培われてきた

日本文化が崩壊していくのです。その代表例として、武家社会・武家文化が終わります。

武家はそもそも、昨日のブログ?で綴ったように、公家が地元で支配していた農地を代理管理する役目

(地頭)だったわけです。公家の農地のお米を盗賊から守る為に、じょじょに武装化していきました。

その果てに、武力を持つこととなります。地頭が武力をもって、さらに地元を放っておく公家を裏切る形で

公家の農地を実効支配して、そこで取れるお米を実効支配するのです。公家は自分の部下に裏切られ、弱体

化していきます。そこで公家社会は崩壊し、武家社会が誕生します。鎌倉以降がそうなります。

武家は武力をもっているのが特徴なはずです。おそらく、この頃から日本刀が大きな意味をもってきます。

それは武家の象徴だからでしょう。日本刀は、特に鎌倉時代から一層の特徴というか、進化を遂げています

。簡単に言えば、鎌倉以前、刀はまっすぐとした形の直刀でした。鎌倉以降に、直刀は曲がっていきます。

理由は、直刀は他人を刺す武器でしたが、鎌倉以降の曲がっていく日本刀は斬りつける武器となるのです。

武家社会では武力が象徴となりますから、この頃から日本文化の中でも、戦闘文化が表出されてくるのだと

思われます。その代表例が日本刀でした。ですから、鎌倉以後、特に日本刀は武家の宝みたいな扱いを受け

ているはずです。武家の命、武家の誇りでもあったはずです。鎌倉時代から江戸時代まで、武家と日本刀

の歴史が、そこにあったのです。それらの価値観こそ、農業社会が土台となって成立していた日本文化だっ

たのでしょう。

それが、鎖国を解いて、海外との交流が始まって、さらに世界は近代化していく中で、日本の価値観も揺ら

いできます。工業化の進展です。徐々に、農業社会から工業社会への転換が進展するのです。

こうなると、これまで社会の中心に位置付けられていた「お米」が、これまで通りの価値には感じられず、

人々の関心は、機械によって物を産み出す方向へとうつっていくのでしょう。

つまり、機械の工場を支配する資本家が影響力を強めることとなっていくのです。

これまの農業社会であれば、農地を支配する者が、影響力を強めていましたが、近代化が、その常識を覆し

たわけです。もはや、お米に興味はなし! かのような感覚でしょうか。

工業こそが新時代! 工場を持って沢山労働者を働かせ、物を創り出すのです。

工業化の初期はエネルギーを産み出すことが中心のようですね。動力などを産み出すことで、多くの人を移

動させたり、大きな動力を得て、物を動かしたり・・・機械で動力を得ることに成功した人々は、その動力

を有効活用し、様々な物を生産するようになっていくのです。当然、お米だってこれまで以上に生産性が

高まります。こうなると、もはやお米よりも欲しい!物がでてくるのです。

だからこそ、工業社会で影響力を強めた人こそ、工場を持っている資本家だったりしたのでしょう。

農地を支配していれば、影響力を確保できる時代が終わったのです。つまり武家社会が終わりを迎えたと

いうことでしょう。武家社会は換言すれば武力社会でもあったので、その象徴である日本刀文化も

この時に終わることとなりました。(ここで言う意味は、一般的な意味で広く影響力をもっていた時代

の終わりという意味です。日本刀文化は今でも残っていますが、当時よりも脆弱になってしまった訳です)