日記

「②一体性」④

おはようございます。住職です。

以前私は、北大路欣也さんとプライベートでたまたま直接お会いして、お話をしたことがあります。

ちょうど、「華麗なる一族」というドラマがあった頃の話です。

その際に北大路さんが仰っていたことが今でも忘れられないわけです。

私との会話で「華麗なる一族」の話しになったのです。

私は「北大路さんの目力の気迫が凄かったですね!」と感想を述べながら、演者としての苦労話などを教え

てもらいました。

特に、演者として満足できる時はどのような時なのか?を訊ねたのです。

すると、北大路さんは舞台の話しを例にとって話してくださいました。

これがとても興味深かったわけです。

演者として、自分が身震いする瞬間があるのは、「一体感がなった時」であると言うのです。

これは、舞台でなければならない!と言われていました。

舞台では、「脚本」(監督)と「役者」と「観客」という別々の視点があります。

それら「全てが通じあえた瞬間」こそが、演者として身震いするほどの満足感を得られる瞬間があると仰っ

ていたのです。

そんな舞台は良い舞台だ!と仰ってくださいました。

つまり、自分(役者)だけがどれほど頑張って自身の役を演じていても、ダメだ!ということなのです。

脚本を役者の全員が心から理解し、監督と意思疎通がしっかりできていて、それが演者全員の心身を通して

表現される。

さらには観客が、そんな舞台を求めて観にきてくれていて、演者の方向に歩み寄ってくれる。

そして、それぞれの想いが合致する瞬間がでてくることがある。

会場全体が、その時だけ、皆が通じあうことができる瞬間がある!そのような時、演者は演じながら内心で

「ここで拍手! ここで盛り上がる」などと思っていることが、そのまま実現されてくる境地があるのだそ

うです。

そうなると、自分も全体の一部となって役者として酔ってしまうのだそうです。

そんな瞬間に出あうと、舞台や役者を辞められなくなるのだそうです。それが良い演技だそうです。

ですから、良い演技は、自分の力だけではどうにもならない。ということのようです。

そんな一体感を感じられるのは、直接のライブだけです。

画面を通じては、そのようなことはできないそうです。当然ですね。観客がいないのだから。

リアルでなければダメ!というのは、そこなのだと思いました。

こう考えていくと、欧米文化と全く違う質の違う文化が、日本にはあった可能性があるのです。

日本文化として育まれた感覚は、欧米人には真似できませんし、真似されたとしても、勝負したら負けませ

ん。

だからこそ、今後の日本人は、世界に勝負(技術やアイデアや経済など)にでなければなりませんから、そ

の時、武器として日本文化の特徴(核心)を持っていくべきだと思うのです。

欧米の土台で勝負したって勝てる訳がないのです。

日本の土台で勝負しなければならないのです。

しかし、誠に残念ながら、その日本の土台を明治期に手放してしまった可能性が高いので、今後はそこを意

識した取り組みこそが、今後の日本にとって貴重になるはずだと思っています。