日記

得たものと失ったもの

おはようございます。住職です。

今朝は運動ができました。良かったです。

これから梅雨の時期になるので、朝に雨が降っていたら運動ができません。

だからこそ、できる時にしておこう!と思い、頑張って続けることを意識しています。

さて、早いもので5月も終わり、昨日から6月となりました。

昨年の始めから、ずっとコロナ禍によっての在宅勤務が増え、私もすっかりと慣れてしまいました。

昨年は、コロナ前までかなり移動が多い生活を遂げていたこともあり、在宅仕事が許される社会的環境に

とても嬉しく、身体も休めたことや、自分の時間が増えたことを、喜びに感じていました。

コロナ禍の期間を利用して、大きく前進したこともあったし、ある意味、在宅できる素晴らしさを満喫でき

ていました。

最近は、そんな環境にすっかり慣れてしまったことで、逆にちょっと物足りない部分を感じ始めてきてしま

ったのです。例えば、コロナ前まで時々一緒に食事に出かけたJCの友人と全く会わなくなりました。

築地本願寺にも、あまり行けなくなったことで、逆に現場でなければ進められない仕事があることも確かで

した。

コロナ前までは、普通に色々な方々とお会いし、気遣っていた部分に疲れを感じなかったのですが、

コロナ禍になり、人と会わない生活が続いたことで、人と会うと気遣って疲れを感じるようになりました。

これまで普通に行っていたことが、退化したような感覚も色々な面であります。

能力が衰えた!と感じるのです。変化って、凄いですね。

最初は、コロナ禍で得られたものが大きい!と思っていたのですが、最近は失ったものも大きかったな!

と感じることとなってます。

もちろん、完全に失ったわけではありません。むしろ、環境が伴ってくれば、慣れていって、取り戻すこと

はできるはず。一時的な退化ということだと理解しています。

そろそろ、コロナも明けて欲しいものですね。