運動強度

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

今朝も運動をしてきました。連日続けると、さすがに大変です。

実は数日前、久々に体重計に乗ったら、運動をしてきたのに変化がなかったので、悔しくなりました。

ダイエットが主目的ではないけれど、普通から考えて、痩せてるべき所! 副次的な効果があるべきです。

それが変化なしって! 運動を続けて1ヶ月して変化がないことに、少なからずショックを受けました。

そこで、悔しいから絶対に体重を落としてやろう!と決意し、運動量を若干増やしたのです。

ただし、これまで続けていた運動の最後に行っていた約1キロのランニングはやめました。

さらに、少し食事にも気を付け始めることにしたのです。

ダイエットが主目的ではなかったのですが、先日の変化なし!を確認したら、凹みながらも若干心に火がつ

いてしまいました。9月までに5キロ落としたいと思っています。

という訳で、いつまで続けられるのかわかりませんが、今の運動はこんな感じです。

今朝の運動直後のiPhoneのhealthアプリの情報の画像です。

本当に合っているのか?と疑問に思う部分もありますが、ネットで調べてみると、結構あってる!と

書かれてあったので、目安の参考にしています。

朝、約1時間、早歩きのウォ―キングをします。歩行速度はだいたい6.5キロなんですが、今日は疲れが

でました。途中から少し遅くなりました。

歩く速度が6.4キロで、運動強度の単位は5メッツだと、ネットで調べてわかりました。

そもそもそんな事を意識しないでやっていた早歩きでしたが、調べてみたら、私の場合は、この程度が丁度

よく当てはまっていたので、今はこれを意識するようになっています。

これをすると、結構疲れるのです。しかも連日やると、足がかなり疲弊します。ですから、ケアが大事にな

るのです。

得たものと失ったもの

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

今朝は運動ができました。良かったです。

これから梅雨の時期になるので、朝に雨が降っていたら運動ができません。

だからこそ、できる時にしておこう!と思い、頑張って続けることを意識しています。

さて、早いもので5月も終わり、昨日から6月となりました。

昨年の始めから、ずっとコロナ禍によっての在宅勤務が増え、私もすっかりと慣れてしまいました。

昨年は、コロナ前までかなり移動が多い生活を遂げていたこともあり、在宅仕事が許される社会的環境に

とても嬉しく、身体も休めたことや、自分の時間が増えたことを、喜びに感じていました。

コロナ禍の期間を利用して、大きく前進したこともあったし、ある意味、在宅できる素晴らしさを満喫でき

ていました。

最近は、そんな環境にすっかり慣れてしまったことで、逆にちょっと物足りない部分を感じ始めてきてしま

ったのです。例えば、コロナ前まで時々一緒に食事に出かけたJCの友人と全く会わなくなりました。

築地本願寺にも、あまり行けなくなったことで、逆に現場でなければ進められない仕事があることも確かで

した。

コロナ前までは、普通に色々な方々とお会いし、気遣っていた部分に疲れを感じなかったのですが、

コロナ禍になり、人と会わない生活が続いたことで、人と会うと気遣って疲れを感じるようになりました。

これまで普通に行っていたことが、退化したような感覚も色々な面であります。

能力が衰えた!と感じるのです。変化って、凄いですね。

最初は、コロナ禍で得られたものが大きい!と思っていたのですが、最近は失ったものも大きかったな!

と感じることとなってます。

もちろん、完全に失ったわけではありません。むしろ、環境が伴ってくれば、慣れていって、取り戻すこと

はできるはず。一時的な退化ということだと理解しています。

そろそろ、コロナも明けて欲しいものですね。

自分一人では全部できないよ

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

今日はお参りの為に、これからお寺を出発します。

その為、朝の運動はできず仕舞い。晴れているから、運動ができないのは少し残念なのですが

このように運動しない!という選択をすることも、身体的にもとても大事です。

ついつい、「やらなきゃ!」と義務的に考えてしまう私の癖を考えれば、強制的に休まざるを得ない

環境に身を委ねることも大切なことだと思っています。

さて、昨年末に西照寺の活動方針や方向性がようやく明確になった!のですが、最近は明確になった部分と

西照寺の活動が、いかに関連しているのか! あるいは新たな寺業を行うにしても、それがどんな魅力があ

るのか? と言う部分などを、よりわかりやすく纏めていかねばならないことに気づきました。

西照寺の方向性などが、私自身で明確になっていても、それが対外的にも明確になっていなければ、西照寺

の特徴がわからないし、そもそも意味が半減してしまうと思ったのです。

そこで、対外的にどのように伝えて行けるのか?という部分の問題が解決されていない現実に直面したので

す。これまで、お寺の方向性で数年も悩んでいたので、そればかり考えてきたのですが、ようやく方向性が

定まった時、その先に新たに見えてきた問題があったわけです。(それを知った時内心、またかよ!と思い

ました) いやいや、本当に苦労しますね。簡単には先に進めない。

しかし、今回の問題は解決するまでに、そんなに何年も時間がかからないと思っています。

理由は、方向性が明確になっている為、何をすればよいのか解っているからです。

ただし、見せ方というか、それをわかりやすく伝える仕方(方法)に工夫が必要であるということです。

ここが正直難しい。センスというか、何と言うか、それが必要だと思います。

実はこの分野、正直なところ、私が苦手としている部分っぽいのです。

私はこれまで、何か不明瞭な部分があった時でも、それを自分がどう理解できるのか?という部分について

探求していくことは、ある意味得意なんだと思っていました。だから、しっかりと見えなかったお寺の方向

性について、自分なりに咀嚼し、考えていくことは大丈夫だったわけです。

しかし、自分が理解したことを、他の人に魅力的に伝えていく方面に関しては、あまり興味が行き届いて

こなかったわけです。

今回、そこの部分が問題となっているから、私的には苦労しそうです。もっとも、一人で全てができるわけ

でもないし、仲間に頼ろうと思っています。