こんにちは 住職です。
昨日のブログ更新を忘れてしまいました。お彼岸で忙しなくしておりました。
さて、連日元々のお寺の役割を振り返っているのですが、お寺に〇〇山〇〇寺などと言われる山号
について、豆知識程度に触れてみました。
つまり、お寺に山号が付けられているのは、最澄や空海の頃のお寺の役割がお坊さんの修行の場として成立
していた名残りであることを説明したのです。
ですから、この時代(平安時代頃)のお寺の役割は、僧侶の修行の場としての役割だったのです。
その後、鎌倉時代に入ると、多くの宗教者が現れるのです。
例えば、浄土宗の宗祖、法然聖人。浄土真宗の宗祖、親鸞聖人。曹洞宗の宗祖、道元禅師。
臨済宗の宗祖、栄西禅師。日蓮宗の宗祖、日蓮上人などです。
平安時代の仏教の代表宗派は天台宗(最澄様)と真言宗(空海様)ですから、お寺は人里離れた山にあるこ
とが多かったのです。これに対して、鎌倉仏教の代表格である「浄土系」(浄土宗や浄土真宗)の宗派は、
教えの特徴として、自分で厳しい修行を積んでいく教えではなくて、阿弥陀仏に救ってもらう事に感謝する
教えの為、多くの人々と教え(阿弥陀仏から救ってもらえること)を喜ぶことが大事となります。
つまり「阿弥陀仏に救ってもらう事とは、どういうことなのか?」を多くの人に説明(説法)していくこと
が大事になってくるのです。その説明を聞いて、「そうだったのか!」と喜ぶ人や、仏様に救われる教えを
もっと聞きいてみたい!と望む人に向けての活動がメインとなってくるので、人々が多く集まる集落に
お寺を建てる必要がでてきたのです。だから「浄土」が付く宗派のお寺は、これまでお寺が建てられた山
ではなく、集落に建てられてくることとなるのです。これが、浄土真宗のお寺に山号がなかった理由です。
これらは、各宗派のご本山のお寺の在り処をみれば、だいたいわかってきます。
禅宗の永平寺は、山の中にあるから、修行がメインだったのかもしれません。禅をするには、騒音から離れ
た方が良さそうだし。浄土宗の知恩院は、京都の比較的山側の麓にありますが、人里にあります。
浄土真宗の本願寺は、京都の街中にあります。日蓮宗の久遠寺は山にあるけど、池上本門寺は町中にありま
すね。
もっとも、現在の本山になるまでに、移転などをしている本山もあるので、すべてが今の本山をみればわか
ることではありませんが、自分の修行をメインに考えるお寺は、人里離れた山にお寺がありますね。
もしかしたら、日蓮宗もそうかもしれませんね。教えを勉強してみないとわからないんだけど。
という訳で、浄土系のお寺は人里にある理由として、その役割は阿弥陀仏の教えを伝え弘める役割と
教えを信者で共に喜ぶ為の役割があったのです。