こんにちは 住職です。
江戸時代の後半になると、幕府も財政問題を抱える事となり、お寺に補助金を配布できなくなりました。
この頃から、幕府が補助金を出せない代わりに、様々な権利をお寺に許してくれたそうです。
つまり、お寺は各自で食い扶持を得ることをしなさい!となったのだそうです。
そこで、現在の「宝くじ」のような事もお寺でやっていたそうです。
また、お寺の縁日としてお祭りを催したり、「秘仏などの開示」を行い、旅行者の観光目的にもなっていた
そうです。
いわゆる、多くの人を集めて、収入を得る形がでてきたそうです。また強力な檀家制度に支えられ、ご葬儀
やご法事を勤めることとなります。
一部のお寺では、境内で火葬も行われていたそうです。
また、お墓がお寺の境内に建てられてきたのもこの頃です。これらの
お寺の活動を考えると、この頃の役割は、民衆の娯楽施設的な側面も大きかったのだろうと推察できます。
因みに、この頃までのお寺の経済的な側面を考えると、特に鎌倉時代以降から江戸時代以前のお寺には、広
い荘園が与えられていたと思うので、荘園から取れるお米によって維持運営されていたはずなのです。
ですから、ある意味安泰ではあったのだと思われます。
荘園とは、お米が取れる田んぼのことです。
当時は、お米が現在のお金の役割を果たしていました。
ですから、田んぼ(荘園)を持っているという事は、現在で言えば、都心や市街地に広い土地を所有してい
るようなものでしょう。
当時は荘園を民衆に任せ、米作りを行い、収穫したら一部を納めてもらっていたのです。
現在で例えてみれば、都心や町中に広い土地を所有し、不動産として貸出ているようなものだと思います。
その収入で、お寺を維持管理していきたのです。
江戸時代に入り、寺請制度ができたことにより、お寺は激増することになりますが、幕府からの補助金(当
時はお金やお米でもあったのかも)があったようなので、荘園がないお寺も維持運営できていたのだと思わ
れます。
しかし、江戸時代後半になると、補助金が無くなったようで、お寺は自分たちで何とかしなくてはならなく
なったのだと思われます。その為、多くの民衆を引き付ける必要があったのでしょう。