日記

教育ということ

こんばんは 住職です。

今日は遅くなってしまいました。でも、ブログ更新を思い出しました。

さて昨日の続きですが、私の考える先生って、子どもを上手に導いて、勉強が楽しく感じられるように

育てて下さるプロフェッショナルだと思うのです。子どもは一人ひとり違うわけで、その違いに目を向け

その子に合ったやり方を探して、導いてくださる方だろう!と思うのです。

しかし、現実の先生は、教室に20~30人の子どもを一堂に集め、一斉に授業をする。

子どもは一人ひとり違うのに、その違いは考慮せず、一同に集めて一斉に授業をするのである。

授業についてこれない子どもは落ちこぼれてしまう。テストをやって子ども達の理解度チェックをする。

理解度が低い子どもがいても、その子が理解できるように特別授業をするわけでもなく、悪い点数のまま

放置し、成績をつけていく。

この日本の授業制度に、子ども達は知らない間に巻き込まれ、競争させられ、この制度に合わない子ども

から競争についていけなくなるのである。

気づいた頃には、勉強ができない、出来損ないの落ちこぼれなんだ!と自認するようになっていく。

授業についてこれなければ、塾で補え! 自宅学習して追いつけるように努力してこい!

色々と真っ当そうな理由を言われるけれど、一番悪いのは、日本の教育の仕組みだろうと私は思う。

子ども達を一律に考え、先生一人に子どもは数十人。

子どもの違いを考慮せずに一斉授業をするこの仕組みこそが、最大の過ちだと思う。

子どもは一人ひとり違う。好奇心もそれぞれ。しかし、子どもの好奇心などお構いなし。

こちらの話しを聞きなさい! 授業をしっかり受けなさい! ついて来れなければあなたが悪い!

大人の都合を子どもに押し付けるこの制度こそが、私は最大の誤りだと思っています。

大人の都合を子どもに押し付けるから、子どもは好奇心を失っていくのだろうと思えてしまう。

そうではない。逆なんだ! 先生が子どもに合わせて教え導けよ! と思う。

子どもに合わせて教え導けるからこそ、先生は心から敬われるべき存在だと思う。

でも、大人の都合を子どもに押し付け、理解度の低い子どもを放置し授業を進め、自分の担当範囲を終え

ることが自分の仕事だ!と考える人で先生と呼ばれる人であったならば、そこに本当の意味での敬意は抱け

ないかもしれません。

この先生の話しを聞いてみたい! この先生好き! そう子どもから認めてもらうことが根本的な土台だと

思います。大人のいう事を押し付けるのではなく、一人ひとりの子どもを、そのまま認めてあげて、受け入

れてあげて、子どもの居場所を作ってあげることこそが、根本的な土台なのではないだろうか?と私は

思ってしまうのです。

以上の内容は、落ちこぼれで出来損ないと自認してきた私の体験からくる感想です。

落ちこぼれの私だったけど、大学で本気で勉強したら、それなりになりました。出来損ないでもなかったし

劣等生でもなかった。単に勉強に好奇心を抱けなかっただけでした。

でも、大学の先生の話しに共感でき、そこで専門の勉強に興味を抱けました。興味を抱ければ、出来るんで

す。放っておいても勉強するんです。

だからこそ、子どもの興味を引き出しながら、導いてくれる先生が大事なのです。

できれば、小学生の頃に、そのような先生と出会えれば、嬉しいですね。

でも、今の先生の数では無理。

先生一人で子どもに合わせられるのは、せいぜい3人くらいじゃないだろうか。

教育はとても大事だと私は思っています。子どもの教育は、将来への投資です。