師走

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

いよいよ、正念場の一週間が始まってしまいました。

一週間を迎えるにあたり、調子を整えられていれば良かったのですが、実はあまり調子は良くないのです。

しかし、無理をしながらでも乗り切らねばならないので、頑張ろうと思いますが、咳喘息など再発しないで

欲しいです。

師走は、師(僧侶)が走り回るほど忙しい月というところから名付けられたそうですが、現代でも本当にそう

なのです。ここ数年は落ち着いてましたが、数年前は、大晦日になって仕事が一息つける!となって高熱を

だして、お正月に寝込むことが続きました。今年もそうなりたくないので、休み休みやっていこうと思いま

す。

チャンス期間

投稿日: カテゴリー: 日記

こんばんは 住職です。

昨夜は、久しぶりに懇意にしているJCのOBの先輩と食事をしました。

2年ぶりでしたが、久しぶりに会ったのに、全然そんな久しぶり感がありませんでした。

仲間の一人であるUさんは、未だに、このブログを見てくれていました。

驚きました。私の2年間を何気に知っていたのです。

まさか、ブログを今でも見てくれているなんて思ってもいなかったのですが、チョイチョイ

見てくれていたのです。

正直、Uさんに見てもらうには、内容がつまらなかったようで、「面白くないな!」と言われました。

もっとも、面白さを求めているブログではないので、面白くなくていいのです!(笑)

それにしても、久しぶりに色々な話しも出来たし、良かったです。楽しかったし。

何だか、オミクロン株もついに日本国内で立て続けに確認されてきたみたいなので、海外みたいに感染爆発

になっていくような気もします。第6派?ですね。そうなると、また外食などもできなくなるので、今のう

ちが一番いいのかもしれません。

来年になったら、日本の感染状況もわからなくなるし、とはいえ、オミクロン株は重症化しづらそうな情報

もあるし、どのようになっていくのでしょうかね?

それにしても、今こそ観光や外食、久々に集うチャンス期間ではあります。

水たまり

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

今日は晴れて良かったです。

最近、体調を慮って、朝の運動をやめています。ストレスがかかっていそうなので、

無理して咳喘息を再発したら嫌だから、運動をやめているのです。

そんな時なのに、昨日みたいに雨が降ると、私の運動ルートに大きな水たまりができてしまい、通りづらく

なることもあって、とても気になるのです。今は運動しないのに、気になってしまってました。

今日は晴れているので安心なのですが、冬場に晴れても、水たまりはあまり解消されません。

きっと、昨日の雨でできた水たまりは、数日間は消えないでしょう。

私も今は運動控えてますが、可能であれば再開したいと思っているのです。

でも、来週も忙しいし、水たまりもしばらくあるだろうから、来週までは運動を控えようかと思います。

今年も残りわずかですが、私は来週が山場です。来週は移動も含め、疲れそうな一週間となりそうです。

何とか、元気に乗り切りたいな。

教育ということ

投稿日: カテゴリー: 日記

こんばんは 住職です。

今日は遅くなってしまいました。でも、ブログ更新を思い出しました。

さて昨日の続きですが、私の考える先生って、子どもを上手に導いて、勉強が楽しく感じられるように

育てて下さるプロフェッショナルだと思うのです。子どもは一人ひとり違うわけで、その違いに目を向け

その子に合ったやり方を探して、導いてくださる方だろう!と思うのです。

しかし、現実の先生は、教室に20~30人の子どもを一堂に集め、一斉に授業をする。

子どもは一人ひとり違うのに、その違いは考慮せず、一同に集めて一斉に授業をするのである。

授業についてこれない子どもは落ちこぼれてしまう。テストをやって子ども達の理解度チェックをする。

理解度が低い子どもがいても、その子が理解できるように特別授業をするわけでもなく、悪い点数のまま

放置し、成績をつけていく。

この日本の授業制度に、子ども達は知らない間に巻き込まれ、競争させられ、この制度に合わない子ども

から競争についていけなくなるのである。

気づいた頃には、勉強ができない、出来損ないの落ちこぼれなんだ!と自認するようになっていく。

授業についてこれなければ、塾で補え! 自宅学習して追いつけるように努力してこい!

色々と真っ当そうな理由を言われるけれど、一番悪いのは、日本の教育の仕組みだろうと私は思う。

子ども達を一律に考え、先生一人に子どもは数十人。

子どもの違いを考慮せずに一斉授業をするこの仕組みこそが、最大の過ちだと思う。

子どもは一人ひとり違う。好奇心もそれぞれ。しかし、子どもの好奇心などお構いなし。

こちらの話しを聞きなさい! 授業をしっかり受けなさい! ついて来れなければあなたが悪い!

大人の都合を子どもに押し付けるこの制度こそが、私は最大の誤りだと思っています。

大人の都合を子どもに押し付けるから、子どもは好奇心を失っていくのだろうと思えてしまう。

そうではない。逆なんだ! 先生が子どもに合わせて教え導けよ! と思う。

子どもに合わせて教え導けるからこそ、先生は心から敬われるべき存在だと思う。

でも、大人の都合を子どもに押し付け、理解度の低い子どもを放置し授業を進め、自分の担当範囲を終え

ることが自分の仕事だ!と考える人で先生と呼ばれる人であったならば、そこに本当の意味での敬意は抱け

ないかもしれません。

この先生の話しを聞いてみたい! この先生好き! そう子どもから認めてもらうことが根本的な土台だと

思います。大人のいう事を押し付けるのではなく、一人ひとりの子どもを、そのまま認めてあげて、受け入

れてあげて、子どもの居場所を作ってあげることこそが、根本的な土台なのではないだろうか?と私は

思ってしまうのです。

以上の内容は、落ちこぼれで出来損ないと自認してきた私の体験からくる感想です。

落ちこぼれの私だったけど、大学で本気で勉強したら、それなりになりました。出来損ないでもなかったし

劣等生でもなかった。単に勉強に好奇心を抱けなかっただけでした。

でも、大学の先生の話しに共感でき、そこで専門の勉強に興味を抱けました。興味を抱ければ、出来るんで

す。放っておいても勉強するんです。

だからこそ、子どもの興味を引き出しながら、導いてくれる先生が大事なのです。

できれば、小学生の頃に、そのような先生と出会えれば、嬉しいですね。

でも、今の先生の数では無理。

先生一人で子どもに合わせられるのは、せいぜい3人くらいじゃないだろうか。

教育はとても大事だと私は思っています。子どもの教育は、将来への投資です。

居場所づくり

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

この頃、猛烈な疲れを感じ、眠くなります。私はあまり、日中に寝ることができないタイプなのですが、

ここ2日ばかりは、昼間なのに眠気に襲われます。どうにかなったのでしょうか?

さてさて、昨日の好奇心について、もう少し思いを綴ってみようかと思います。

私は幼少期(特に小学4年生から小学6年生まで)、自然の中の探検や遊び、あるいは宇宙についての好奇

心は強かった方だと思っています。

西照寺の近隣は、里山で自然豊かな環境です。川や海はありませんでしたが、里山を探検したり、アケビや

フキノトウを取ったり、田んぼの用水路でザリガニやドジョウ、メダカやタナゴを捕まえたり、カブトムシ

を幼虫から育て上げたり、里山遊びを楽しみました。

今では危険すぎて怒りますが、冬場、厚い氷が張った沼に降り立ち、友達とどこまで進めるか競ったり、

ドロドロの工事現場に無断で入って、泥田に落ちないように、一本丸太木を渡りきれるか?度胸試しをした

り、メガザリガニを求めて、ずっと色々な沼や溝を一日中探し回ったり、夜空を眺めてみたり。

小学生の高学年時は、勉強なんて全くしないで、帰宅したらランドセルを自宅に放り投げ、夢中で遊び呆け

ていました。勉強は全くできませんでしたが、自然の中での経験は、五感を通じて堪能しました。

裸足で泥田の中を歩く感覚は、今でも鮮明に覚えています。

遊びに夢中で、無茶苦茶するタイプだったので、予想外の事態が起こると、楽しくて笑い続けられました。

遊んでいるときは、目が輝いていたと思います。

これ以上は危険かもしれない!と思う事態でも、あとちょっとチャレンジできないだろうか!?

あと一歩進んでみたらどうなるんだろう!?と、ドキドキしながら前に進んでしまいました。

幸い、事故にはならなかったので、結果OKなのですが、そんなチャレンジする時は、ドキドキワクワクが

止まらない時間でした。楽しかった。

そんな私の好奇心を奪ったのは、おそらく教育だったと思います。

遊んでばっかりいたので、成績は学年最下位。通信簿でわかるのです。

親から怒られ、小学6年生の時が最悪だったので、2つの塾に通わされました。

遊ぶ時間が無くなって、やりたくもない勉強をやらされ、それ以後、私は好奇心を失ってしまったように

振り返ります。中学生の時も、それなりに楽しかったですが、高校以降は楽しくありませんでした。

やりたくもない勉強をやり続けなければならない苦痛、当然成果も出づらいわけですね。

偏差値もあがらないし。消極的努力では、結果はついてきません。

私はずっと落ちこぼれ人間だったので、できない人の気持ちがよくわかるのです。

今思えば、頭が悪いわけではないのです。勉強に対する好奇心がないだけ。

勉強に好奇心がでたら、たちまちできるようになる。

人生で一度でも好奇心をもって、チャレンジできるような機会を経験していたら、勉強に好奇心を

もったらすぐに努力できるし、成績なんて爆上げできるのです。

一番難しいのは、勉強に好奇心をもっていない人間に対し、好奇心をもたせてあげる事。

これは難儀だと思います。

正面突破なんて、おそらく厳しい。だからこそ変化球が重要かも。

その人の好奇心にあわせて、そこに勉強の要素も盛り込んであげる。

そんな事出来るか!?と思われるかもしれませんが、そこの努力できる人こそが先生なのかもしれません。

私は妻から、先生になったら?と言われたことありますが、私は向いていない。そんな苦労できないから。

だから、先生には興味がないのです。難しそうだし、自分が落ちこぼれだった経験があるから、できない人

の気持ちもわかるし。

だからこそ、その人の居場所になる空間づくりからが大事なんじゃないかな!?と思ったりします。

失いかけてる好奇心

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

先日、築地本願寺に出勤した時の事です。部所内の同僚(後輩)にお目出度い事があり、皆でプレゼントを

させてもらいました。そこで以前皆から集金したお金に残金がでた!ということで、500円を返金されまし

た。「皆のコーヒー代の足しにでもして!」(もちろん、部所には10数人いるんだから、全然足りな

いのですが)と伝えたのですが、「いえ、この500円を見てください!リニューアルタイプです!」と返金

してくれたのです。私も、「おぉ!リニューアルタイプか!新しい500円でたんだ!」と思い、何故かわか

らないけど、嬉しくなり、受け取ってしまい「ありがとう!」とまで言ってしまいました。

ちょっと違いますよね! 少しだけじっくり見て嬉しさを味わい、素に戻りました。

しかし、ちょっとだけですが、幼いころの好奇心みたいな、今ではほぼ忘れかけている、あの頃の気持ちを

味わえたことが、何よりも新鮮でした。

どうして大人になると、子どもの頃のあの好奇心、目が輝くような高揚感が無くなるのでしょうか?

大人の皆様は、今でもあの頃の好奇心をお持ちですか? 私だけ失ってしまっているのだろうか?

今でも幼少期に抱いた好奇心や高揚感は、鮮明に思い出されます。

しかし、今はそのような気持ちになることは、ほぼありません。何故だ!?!?!?!?

あの頃の方が圧倒的に楽しかったし、めちゃくちゃでした。

好奇心に向ってただただ突き進み、笑い続けられました。

大人って嫌だな~。いつの間にか、ドキドキ感が無くなって、ただただ突き進む事よりも、慎重になって

余計な事を考えてみたり。あげく純粋に笑えない自分がいるような気がします。

これを「擦れた」と言うのか、「つまらない人間になった」と言うのか。

取りあえず、少なくとも私はそんな人間になり果ててしまった!と、リニューアルタイプから教えてもらっ

た気がしてます。

悲しきかな西照寺は、世界を目指さなくてはならないわけで、こんな面白くない自分になり下がった私に、

世界はついてきてくれないことは確かだと思う訳です。

リニューアルタイプを見た時、何故かちょっとだけ、あの頃の感覚が蘇ったのです。だから、全く失った

訳でもない。・・・ということは、私の中で、あの感覚は眠っているのです。長い間。

だったら、呼び起せばいいわけなのです。でも、呼び戻し方を知らないので、どうしたらいいものか。。。

兎に角、世界を目指すんだから、好奇心に向ってただただ突き進むような事をしたいと思います。

これやったら、次どーなるんだろ?ワクワク ドキドキ。 これです。これ。

地域のごみ拾い

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

今朝は、地域の「みちぶしん」があり、8時から行ってきます。

地域のゴミ拾い!ですね。確か「みちぶしん」とか名前があったような気がします。

一時間ちょっとですから、9時過ぎには終わります。9時過ぎに終わり、9時半までに帰宅できれば

10時からのご法事も何とか間に合います。

正直言うと、9時半に戻ってきても、心の準備が間に合わないのは確かです。

できれば、ご法事の1時間前くらいからご法事モードとなっていくので、9時前には帰宅したいのです。

しかしながら、地域の行事は毎回日曜日の朝から!が定番なのです。

でも、お寺やってると、これが出来ないのです。困りますね。

ですから、今日のような「ゴミ拾い」レベルの行事であれば、1時間程度で終わるので、何とか出席するよ

うにしているのです。もっとも、ご法事が9時~ 9時半~ など予定されている場合は、ゴミ拾いでも

無理なのですが。(そのような早くからのご法事は、西照寺では少ないですが)

という訳で、今朝は運動をやらずに、ゴミ拾いに行ってきます!

見事ないちょう

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

先日、ちょっと空いた時間があり、妻から言われて近所?15キロくらい離れたお寺のいちょうを見に行きま

した。妻も私は行ったことはなかったのですが、妻が知り合いに聞いたらしく、調べてみたらいちょうがキ

レイ!との情報がでてきたので、時期的にもベストかもしれないと考え、妻の要望に付き合いました。

東松山市から近い、嵐山町にあるお寺でした。確かに見事ないちょうでした。

夕方?(16時直前)だった為、明るさが足りませんが、晴天の時だったら、もっと鮮やかに写っていた

ことでしょう。

因みに、私達夫婦以外、誰もいませんでした。 そこら辺にある立て看板の中には、新型コロナウイルス

の影響もあり、お寺に用事がない人は、来訪をご遠慮ください!みたいに書かれた看板が数個建てられてい

たので、気が引けてすぐに失礼してしまいました。

ただし、いちょうはキレイでした。しかし、落ち葉は凄いですし、これだけ落ち葉がありながらも、

まだまだいちょうには沢山の葉がついているので、今後はもっと大変な落ち葉となるのでしょう。

いちょうを植えても綺麗だな!とは思いますが、落ち葉掃除を考えると、とても大変だと想像できるので、

やめておきましょう(笑)

ちょっとした気分転換も大事なのかもしれません。しかし、ストレスは相変わらずっぽいけど。

18日まで

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

先月末から、猛烈に予定が入り込み、西照寺の会議さえ、時間調整が難しくなってしまっています。

これは特殊だ。コロナ前は、猛烈に忙しない時もありましたが、約2年間、コロナ禍でゆったりとした

生活となっていたから、突然以前のような状態に戻られても、身体と頭が追い付いていけません( ノД`)シクシク…

 昨晩は、6日に行う研修会の資料作りが終わってなかったことに気が付き、整えました。資料作りを

忘れていたから、思い出して良かったです。もちろん、資料作りは研修会で話す内容を考えながら作成する

為、勉強にもなります。ある種、昨晩進められて良かったです。因みに、まだ最後までは終わっていないの

で、今日の午後か明日の午後に終わらせられれば大丈夫なのです。残りはあと少しなので、余裕です!

因みに、今月は18日までが予定が詰まってしまっており、そこまで頑張れば、今の所、凌げます。

それ以降は、西照寺に専念できそうです。もっとも、築地本願寺には出勤する可能性はありますが。

という訳で、私は取りあえず18日を目指して、仕事をこなして動き回るだけです!

健康だけには気を付けたいと思います。

急激にリアル?

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

何故だか、猛烈に忙しなくなってきています。

私個人が忙しくなってきているのです。コロナの感染者数が落ち着いてきたこともあって、

リアルが動き出してきたのです。

これまでは、皆さん落ち着いていたし、外出もなかったのに、突然、始まりました。

う~ん。いきなりだから、ちょっと準備運動から始めたいのに、ドンドンと出張や

これまで同様、ネットの打ち合わせも入ってきて、さすがに分刻みのスケジュールが組み込まれて

きました。コロナ前の時のようだ。 

コロナで価値観変わったんじゃなかったの? 社会の動きも変化して来たんじゃなかったんだっけ?

働き方改革がコロナで進んだんじゃなかったの? 師走だから!ということもあるけど、ちょっとストレス

が溜まってる!って言ってるのに、さらに忙しくなり、外泊も増えてきてしまってます。

もちろん、今月だけだろうとは思いますが、それにしても、色々と予定組み込まれても追いつけないよ。