おはようございます。住職です。
突然ですが、今日は宗教の話しをしてみます。
私は浄土真宗本願寺派の寺院に所属しておりますから、仏教徒です。
ですから、世間でいうところの、世界三大宗教の一つとなります。
その他は、キリスト教やイスラム教です。
私はキリスト教やイスラム教の信者ではありませんが、おそらく世間的に世界三大宗教という括りがなされ
ているので、宗教の信者という枠では、スタンスは同じであると理解できます。
日本の多くの人は、特にオウム真理教(もう古くなって知らない若い人も多くなっているでしょうが)
事件以降は、宗教を信じることが危ないようなイメージを持たれていると思われます。
確かにそのような一面もありますね。宗教を悪利用すると、戦争や悪い方向に行ってしまうことは事実です
ね。
しかし、宗教にはとても良い側面もあります。むしろ、本当はそっちの意味で宗教はあるのですが(-_-;)
さて、宗教を「信じる」と言っても、日本人が普通に使用する「信じる」とは、かなり意味が違います。
私達が日常的に使う「信じる」は、確証が持てない状況に対して使用する言葉です。
例えば、私の机に百円を置いていたのに、無くなっている。 妻に「とった?」と聞いてみる。
すると、「とってないよ」と言う。そうすれば、妻の言葉を信じますね。
理由は、妻が日常的にそのような行為をしていない。妻は嘘をつかない。などの背景があるからこそ、
妻が信じられるわけです。しかし、少なからず数パーセントの疑いがあることも事実ですね。
例えば、妻以外に、私の机の百円を取れる人などいない! などの状況であったならば、数パーセントです
が、妻を疑ってしまいます。だけど、妻の人柄を信じているから、妻の言葉を信じます。
このような意味で、私達は「信じる」を日常的に使うのです。
従って、「信じる」という言葉の意味の背後には、数パーセントでも「疑い」があるのです。
だから、確証が持てない状況に対して、私達は「信じる」と使っています。
逆に、確証が持てる時には「信じる」とは言いません。
例えば、私の机の上の百円が無くなっているので、監視カメラで確認をしてみた。
すると、私が席を立つ時に、私の服に百円が触れて、机の下に転がり落ちたことが判明した。
この場合、もはや妻を「信じる」とは言いません。妻ではなかった!となりますね。
妻を疑った私が反省をし、謝らなければなりません。申し訳ありませんでした🙇
このように、確証が持てない状況に対しての言葉が「信じる」なのです。
宗教にも「信じる」などと使われることが多いです。信者とも言いますしね。
しかし、本当の宗教者が使う「信じる」の意味は、このようなあやふやな状況に対して使う言葉ではないの
です。
例えば、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人も、自分の書物で「信じて」と使っています。
でも、この「信じる」は今の私達が使っている言葉のニュアンスとは全く違うわけです。
この場合の「信じる」とは、全く疑いがない状態のことなのです。確証が持てるからこそ使っている「信じ
る」なのです。
ですから、宗教を「信じる」とは、本来の意味からすれば、その教えに疑いがない状況の時に使われるべき
なのです。しかし、今の日本の多くの人は、おそらく宗教に対しても、教えに確証がもてないという意味で
「信じる」と使っています。もちろん、確証を持ちたいと思って、教えを求めることだってないのですが。
これだと、宗教はずっといかがわしいもののままとなってしまうのです。
この状況から早く脱しないといけないと思います。ここにはお寺や宗教者の責任もあると思います。
頑張っていきましょう!!!