おはようございます。住職です。
このブログで以前フロイトの宗教批判について綴ったことがあるので、そちらをリンクしてみます。
私の解釈が間違っている可能性もありますが、間違っていたならば、教えてください。
現代の私達は、科学を信頼していますし、それが故に、何でも頭で理解しよう、納得しようとします。
非科学的なものは、怪しいと考え、なかなか信頼することができません。
つまり、科学的な知見こそが信頼できるかどうかの線引きとなっているような気さえします。
こう考えると、現代の私達は、少し慢心になっている気がします。つまり、私達にとって間違いないのか?
を科学で判断したがる姿勢に疑問を持たないことです。
この考え方は、中動態という動態が薄まってしまった・・・みたいな今朝の話しと通じてくるような気が
します。
今は、能動態(主体的に行う動態)と受動態(客体によって、~されるという動態)の二種類は、現代でも
通じます。しかし、中動態という動態は、私も始めてききました。
しかし、すぐにわかりました。おそらく、「あるがまま」という、主体や客体を取り払った動態でしょう。
そこには、非科学的なものでも、あるがまま受け止める姿勢がみてとれます。
しかし、現代は「あるがまま」では駄目で、白黒つけたくなってしまっていそうな気もします。
できれば、これからの日本人の価値観に私は中動態の価値観を再構築する活動なども、西照寺での活動
として考えてみたくなりました。