おはようございます。住職です。
今、放映されている大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。ここでは源頼朝の乳母である比企尼が取り上げられて
います。もちろん、比企能員も。
この比企一族の出身地こそが、西照寺がある地なのです。
因みに、鎌倉に行く前に比企尼が住んでいた場所こそが、西照寺から2キロほどのところです。
昔、西照寺があるこの地域は、力を持っていた豪族(比企一族)が住んでいました。
縄文土器が出土する地ですから、人類が昔から住んでいた場所であり、平安時代~鎌倉時代も有力豪族が
住んでいたわけですから、土地的に魅力ある場所なのでしょう。
因みに、東松山市と隣接する滑川町には「月輪」や「月の輪」という地名や駅もあります。
この名の由来は、平安末期から鎌倉時代に摂政・関白として活躍した九条兼実から来ています。
九条兼実は「月輪関白」や「月輪殿」とも呼ばれていたのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E5%85%BC%E5%AE%9F
その月輪殿(京都に住んでいた)が有していた荘園が滑川町にあり、そこから「月の輪」という地名が付け
られたそうです。
また、ときがわ町にある「慈光寺」は、とても歴史あるお寺で、当時は東の比叡山とも呼ばれるほど有力
寺院であったようです。比企一族の没落と共に、衰退の方向に動いてしまったようです。
私も観光に行きましたが、どことなく、当時の有力な風情は残っていました。
慈光寺には、頼朝の必勝祈願みたいなお手紙も残っており、宝物館にありました。
さらに関連することを言えば、昔は紙は貴重なのです。
今みたいに大量生産できるような物ではありません。
お寺ではお経を書き写したり、紙が非常に大事になるのですが、その紙が貴重品であり、高価なもので中々
手に入らないのです。
そこで、昔の有力寺院(全国的な意味での相当の有力寺院)は、紙を入手する方法を持っていたはずなので
す。なぜなら、お経を書き写す為に紙が必要だからです。
そこで関連してくるのが、小川や東秩父村で伝統工芸として栄えてきた和紙なのだろうと思われます。
数年前ユネスコで世界遺産に指定されましたが、この和紙が作られていた土地が、慈光寺のある、ときがわ
町に隣接する小川町や東秩父村です。
おそらく、鎌倉時代に超有力となった比企一族の隆盛と、慈光寺や和紙なども関係しているはずだと思いま
す。しかし、誠に残念ながら、比企一族が没落したと同時に、地域の力も一気に失われた感がありそうです
。ですから、西照寺のある近隣は、700年頃前から鎌倉時代まで、おそらく500年間ほどは、全国的に見て
も、結構栄えていた有力地域なのだと推測されるのです。
しかし、北条家によって比企一族は滅亡させられてしまい、以来、この土地も力を失ってしまいました。
ただ、今でも比企の名残りがありまして、例えば、西照寺のある東松山市を中心とする吉見町、川島町、
滑川町、嵐山町、小川町、鳩山町、ときがわ町などを比企郡と呼称しています。
確か、平治の乱で破れ、源頼朝は伊豆に流された時、頼朝の乳母であった比企尼が、この地から支援してい
たようです。それから、頼朝が鎌倉幕府を開くこととなり、乳母であり、支援してくれた比企尼を、当地か
ら鎌倉に呼び寄せたのです。だから、鎌倉には今でも比企郡にある地名が、色々と使われています。
観光には、ぜひそのような背景も感じて頂きたいと思います。
因みに、西照寺ではこれら上記の流れとは別に、先祖繋がりの貴重な文化財もあります。
文化財鑑賞会として毎年2回、一般公開しています。
5月のGWや11月3日(文化の日)に2日間づつ行っているのです。
ぜひ、こちらも観光を兼ねて足をお運びください。