おはようございます。住職です。
今日の話題は、大変に専門的で内部的なことなのですが、ちょっと綴ってみます。
今年に入ってから、浄土真宗本願寺派では「新しい領解文」というものが出されて
その内容を巡って、本願寺派の内部で些か論争まがいなことが起こっているのです。
そこで、私個人的に、その論点が気になって、ここ数日、信楽峻麿先生の本を開いて
みました。因みに、信楽先生は元龍谷大学学長で真宗学がご専門の先生です。
すでに他界されておられます。
この先生は、現在の浄土真宗本願寺派の教学を牛耳る伝統宗学の最高権威、勧学(寮)から
何度も呼ばれて、教義の理解について悶着があった先生なのです。それが特徴。
つまり、一見表面的にみれば、先生は間違った理解をしているぞ!と見なされていた先生なのです。
龍谷大学学長までされて、真宗学をご専門に、勧学と同等以上の学的研鑽を積まれた先生なのに。
しかし、この先生は私の理解が間違っているのではない! 間違っているのは伝統宗学の方だ!と
一歩も引きません。また、先生の話は非常に的確で解り易く、従って一般の人からは絶大な人気がありまし
た。
私は今回、その先生の著書を読んでいるのです。すると、驚くことに、先生の見解に納得せざるを得ない
部分が多い事。ただし、気を付けなければいけないことは、先生の論を鵜呑みにしないこと。
私自身が先生の説を検証しなければ、腹の底から同意とまではいきません。
ただし、未検証である現時点で、もし先生の説を鵜呑みにするならば、先生の説に私も同意するのです。
これは、私も異安心であることを意味しています。ただし、異安心というレッテルは伝統宗学側が勝手に
貼るレッテルなので、基準はあくまで伝統宗学の方にあるだけ。
先生の言う通り、そもそも伝統宗学自体が間違っている側面だってある可能性はあります。
伝統宗学というのは、江戸期以降に整った本願寺派内部の教義の整合性を取り仕切る学的伝統のこと。
江戸時代に、全国各地でそれぞれに伝わっていた教義の説を、本山に集約してきて、体系づけて整合性を
つけたのです。本願寺派の中での話です。
それで、今の浄土真宗本願寺派の教義の柱ができあがっているのです。
しかし、浄土真宗本願寺派の教義は、宗祖である親鸞聖人の教えを拠り所とするはずなのに、どうも伝統
宗学では、本願寺派初代の親鸞聖人と、3代目の覚如上人と8代目の蓮如上人の、それぞれの見解を同列に
みなし、教えを構築しているようなのです。
それはつまり、親鸞聖人が書き残していない部分を、覚如上人や蓮如上人が拡大解釈している部分がある
として、そこまで含めて、浄土真宗本願寺派の教義に据え置いている。
ここに大きな問題がある可能性がでてくるのです。だって、親鸞聖人はそう考えていない可能性があるのだ
から。または、親鸞聖人の見解とは違う解釈を、覚如上人や蓮如上人がしているかもしれない部分もあって
その検証も特にされないまま、今日の伝統宗学が成り立っている恐れもあるということが理解できたわけで
す。これまでの私の勉強不足が招いたことですが、こうなってくると、今回の内部問題にも関係してくる
部分となるので、もう一度、根本から確認していかなければならないという、大きすぎる問題点が発覚
することとなったわけなのです。大きすぎる問題に気づいてしまった。