おはようございます。住職です。
今日は日曜日、西照寺ではご法事が勤まります。
しかし今日は、西照寺においては近年でも稀にみる件数のご法事が勤まる為、私と父の
二人で分担し、勤めさせていただきます。さすがに、一人で勤めると、時間が押してしまうことと
一生懸命勤めるからか、件数が多いと、どうしても最後の方になると声が出づらくなってしまうのです。
そうすると、勤めるこちら側の気持ち的に、何だか申し訳なく思えてしまうのです。
父も年齢的に80に近い事と、前々から喉が弱く、すぐ声が出なくなってしまうのもあり、お願いできて
2件なのです。3件やってもらうと、さすがに声が出なくなってしまい、こちら側が気になります。
私はまだ若いので、頑張って勤めて4件までは大丈夫。5件から声が持たなくなってくる感覚です。
因みに、西照寺でのご法事の読経時間は約30分ほど。読経を終えて、閑話を10分前後させていただき、
その後、お墓参りに行く場合もあり、全体で約1時間ほどとなります。
30分間、一生懸命お勤めをする。それを4件行えば、合計2時間となります。
ある意味で、声を出すことだけを考えたら、ライブを行っているようなものなのかもなぁと、稀に
思ったりします。もちろん、歌のように頻繁に音階を変えることがないし、結構一本調子な部分もあるので
一概には比較できませんが。ただ、ライブの場合はマイクあるけど、こちらはマイク無しです。
マイクがないので、私の場合は、読経の響きを意識しています。音が響く声の出し方もあるので、
そこら辺を意識しながら、読経をするのです。
私が指導いただいた先生は、喉は関係ないよ!と言っておられました。鼻とか頭の上から音を出すような
発声が大事!と教えてもらったことがあるのですが、なかなか難しいのですね。これが。
ただ、意識していることもあって、昔よりもそれに近いだろう発声になっているような気はしています。
色々な事がありますが、やはり意識は大事だと思います。
向上心がなくなったら、成長はそこで終わってしまいます。今までできなかったことにチェレンジし、
できるようになる。年齢を重ねても、できることはあるし、成長できます。もちろん退化する部分もある。
現状に満足してしまった途端に、それ以上にはなろうとしません。だから頑張り続けることは大事なの
だと思います。私が見てきた世界では、頑張ってチャレンジしている人は、衰えることが遅いような気もし
ます。むしろ、衰えは気持ちから始まるような気がしています。
チャレンジ精神がなくなると、急に衰えてしまうことってあると思うのですね。
だからこそ、私も諦めないでチャレンジ精神をもっていたいなぁと思っています。