廃品回収

投稿日: カテゴリー: 日記

こんばんは 副住です。
今日は土曜日ですが、朝から地域の廃品回収がありました。
まず、地区毎の集会場に、新聞紙や雑誌、衣服やダンボールが集められます。
集められたそれぞれの物を、地区の担当者が車をだし、小雨学校まで運びます。
西照寺には、軽トラックがあるので、私が毎年駆り出されます。
軽トラックを運転し、地区の集会場に7時半に到着。
すでに山積みされた新聞紙などをトラックに乗せたのですが、沢山ありすぎます。
そこで、軽トラックの荷台の三方にベニア板を立てかけ、積載物が落ちないように準備し、
載せられるだけ、新聞紙などを山積みしたのです。
載せ方が悪かったのか、最終的に軽トラックは傾いてしまいました。(笑)
これ以上乗せられないので、傾いた軽トラを運転し、小学校まで向かいました。
すると、40キロまでスピードをあげると、荷物が重たかったのでしょう、車輪が右往左往。
危ないのでスピードを落とし、農道を選んで、ゆっくり走っていきました。
もしかしたら、過積載だったかもしれません。
いや、きっとそんなことはないでしょう。過積載ではなかったと思います。
小学校に到着するや、待ち構えていた方々が、荷台から次々と荷物を降ろしてくださいました。
それぞれ専用の大きな回収箱が設置されていて、新聞紙や雑誌など仕分けをされながら、定位置に降ろされました。
一年に一度の廃品回収。来年も軽トラださなきゃいけなさそうです。
ここら辺は田舎だから、軽トラの所有率は高そうに思いますが、若い方々は農業をしなくなっているし、
軽トラはあまり持っていないようです。
西照寺のも含め、地区で車を3台手配していたそうですが、西照寺の軽トラ以外は普通の車。
トランクに古紙など載せても、載せられる量は知れています。
それを考えると、やっぱり軽トラ凄い!と思ってしまいました。

デジタル看板の講習会

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日は午後から講習会があります。
私たちお寺の者が、デジタル看板の文字創作などをするために、講習を受けるのです。
西照寺のほとんどの者がアナログ人間であり、デジタル化についていけておりません。
そんな中でのデジタル看板文字創作講習会。不安しかありません。
講習を受けても、上手くできるのだろうか?
講習の内容をビデオ録画しておこうと思っています。
講習は1度きりなので、集中と記憶が大事です。
ああ、もうお昼が近づいてきました。そろそろだ。
頑張って受講しようと思います。

予習

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日は本当に寒い1日でした。
さすがに、ヒートテックのスパッツを履いてしまいました。
空気も乾燥しているし、風邪をひかないように気をつけたいものです。
さて、西照寺では雨が降り始めてきました。
小雨ですが、寒い日が余計に寒く感じられます。
もう寒くならないで欲しい。(>人<;)
さて、今、電話がかかってきて、急なことですが、明日、東京仏教学院の講義をお願いされました。
後半の講義で、時間は19時半~21時10分まで。
ちょうど28日に私の講義が入っていたので、その分と交代だそうです。それはちょっと有難い。
28日は西照寺の報恩講なので、できれば講義日の変更をお願いしたい気持ちだったからです。
でも、明日の講義だから、今から予習をしなくっちゃ!!

稲城選恵和上のご往生

投稿日: 1件のコメントカテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
昨日はご葬儀の為、朝から自宅を出発。
ご葬儀を終え、そのまま築地へ。
築地本願寺で着替えを終え、そのまま浜離宮朝日ホールで落語の会の準備。
本番を終え、帰宅してきたのが、22時半頃。
疲れていたので、そのまま食事・お風呂を終え、23時半頃就寝してしまいました。
就寝前に、高倉健さんがお亡くなりになったとTVで知り、驚きながら就寝しました。
昨日の落語では、柳家さん喬師匠の噺を生で聞きました。
素晴らしいですね。
お噺だけなのに、鮮明に情景が思い浮かべられるのです。
また、お顔から滲み出る雰囲気も手伝ってか、噺にのめりこめるのです。
感服いたしました。
控え室で師匠と共に過ごさせていただきましたが、その際、色々とお話を伺えました。
どれも興味深いことばかり。
私はその後、対談だったのですが、対談のことよりも、師匠の話に興味津々。
その為か、対談にまったく緊張感のないまま突入してしまいました。
対談は、正直、纏まりがない感じとなってしまい、対談の難しさを痛感してしまうこととなってしまったのですが。
昨日の学びは、まったく緊張しないというのもいけないものだったということ。
本番では適度な緊張感を持たないといけないようです。
私はもちろん緊張するのですが、これまでの経験によって、緊張に呑まれると力が発揮できないことを学んでいました。
その為、緊張に呑まれないことが大事だと思い、昨日は緊張しないように平常心を心がけました。
(最近メンタルトレーニングというのか、自分で少し緊張をコントロールできるようになってきたように思います。)
昨日の対談では、まったく緊張感がなく、むしろ冷静すぎ。冷静すぎて、対談の内容に入り込めなかったようです。
冷静だったので、周りがとても見えてしまいました。だから余計なことを考えてしまった。
対談中、「この話の展開は難しいのでは?専門的すぎないか?」 「もう少し一般的な「あるある系」の話を聞いてみた方が皆さん聞きやすいかも」などと余計な思案をしてしまったのです。
きっと、対談では 余計なことを気にせず、お相手の話にのめり込んでいく方がよかったのかもしれないと反省をしました。
そこをもってすると、緊張に呑まれないくらいの適度な緊張感でもって、お相手の話に呑めりこんでいく集中力が大切なのであろうと反省しました。
きっと集中力は適度な緊張感によってもたらされるのだろうと今では思えます。
次からは、特に大事な場面では、適度な緊張感を保ちながら、内容に集中していく状態をつくりあげることが理想であると学びました。
また、対談の難しさでしょうか?それとも私が悪かったのでしょうか? 対談では結論がでないというか、纏まらないというか。
個人的には 結論がでないというのが、とっても納得できないモヤモヤした気持ちとなります。
さて、昨日の振り返りはここで止めておきますが、昨夜 稲城選恵和上(イナギセンエ ワジョウ)がご往生されました。
稲城和上は浄土真宗本願寺派の勧学(カンガク)でした。簡単に言うと、教義に精通している方が拝命される最高位。勧学の位の方を尊称を込めて、和上(ワジョウ)さんとお呼びしてます。
私は学生時代、稲城和上の本にとてもお世話になりました。特にお世話になった本がこちら
ほん
特に右側の本「法蔵菩薩論」名著です。(絶版なので、古書でしか入手できません)
古本屋さんで数万円しました。(私にとっては、お金では変えられない価値がありました)
稲城和上は、私の中では浄土真宗の教義の巨星というか、生きる伝説のようなお方でした。
法蔵菩薩論の最終ページの筆者紹介の所に、稲城和上のお生まれ年が大正6年とあるので、100歳近いお年だろうと思います。
個人的にですが、何か大きなものを失ったような想いです。
高倉健さんの訃報も手伝ってか、1つの時代が終わったというか、そんな感じがするこの頃です。

お葬式のホンネ 浜離宮朝日ホール

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
明日は浜離宮朝日ホールにて「お葬式のホンネ」という落語口演が行われます。
浜離宮朝日ホール 小ホール
お葬式のホンネ
落語は柳家さん喬師匠に「片棒」「佃祭」の2席の口演をいただきます。
その後、40分ほど釈徹宗(相愛大学教授)先生と私が、口演の中で確認できる「お葬式」について対談を行います。
「片棒」も「佃祭」も、共に「お葬式」がキーワードとなる落語です。
古典落語で演じられる演目の中には、当時(江戸時代)の人々の生活が垣間見られ、そこには沢山の仏教に関連する生活様式や当時の常識がひろがっています。
落語を通じて日本文化に触れ、日本文化の素地に広がる仏教(特に浄土真宗)について掘り下げながら、大切にすべき仏教の諸事の意味を確認していくことが 
「落語の中の浄土真宗」実行委員会(今回の企画主催者)の企画開催目的です。
今回は「お葬式」をテーマに企画開催される行事なのです。
(過去には、「浄土真宗」と「お仏壇」について開催してきました。今回は3回目なのです)
まずは、1部にて師匠の落語を楽しんでいただき、第2部にて釈先生と私が「お葬式」にポイントをあて、対談を進めていくこととなります。
因みに、定員は300名ほどで、すでにチケットは完売しているとのことです。
今日は前日となるので、私は最後の諸確認をしています。
特に、落語を確認しております。今日の確認は「佃祭」という落語がどのような話なのかを確認しております。
佃祭
ネットで探すと、古今亭志ん朝師匠が演じた「佃祭」がありました。上手ですね。驚きました。
因みに私は落語通ではありません。今回の企画によって、落語に触れることとなりました。
演じられる演じ手によって、同じ内容の落語でも、話から想像できる当時の雰囲気や情景などが変わってきます。
噺家の腕の見せどころなのでしょうね。
上にご紹介した古今亭志ん朝師匠は凄い方ですね。本当に上手。
私は話のあらすじを事前に知っているのにもかかわらず、笑ってしまいました。
いやいやこれまで落語に興味はありませんでしたが、言葉遣いや話し方、間の取り方など、多くが勉強となります。
上手な方の落語なら、沢山みたい気がしました。
明日の柳家さん喬師匠も大変なお方です。師匠の生の落語が楽しみです。

鬼ごっこ

投稿日: カテゴリー: 日記

こんばんは 副住です。
流石に夜は冷えてきましたね。
今日はご法事をお勤めした後、こども達と公園で鬼ごっこをしました。
久しぶりに、こども達と遊びました。
私は「おじさん」と呼ばれ、鬼の役を拝命いたしました。(笑)
ただ卑怯だなと思わされたのは、鬼がタッチしようとすると座り込むのです。
座り込んでいる時はタイムなのだそうです。タイムの時は鬼はタッチできません。
小学校3年生(我が子は2年生)の子供達が大半だったのですが、足もそれなりに早い。
追い掛け回し、ようやくタッチできると思った瞬間、座り込んでしまう。
次の子を追い掛け回して、ようやくタッチできそうと思った瞬間、座り込んでしまう。
その繰り返し。
私が疲れて走るのをやめると、私に向かって「へんなおじさん、こっちだよ~。じじい!(笑)」と憎まれ口を・・・
そんな鬼ごっこというか、もはやイジメのような遊びを20分ほど付き合わされました。
私はもう疲れすぎて、どういうわけかまた首が痛くなってきました。最悪だ。
さて、「相続問題 逆なんじゃないの?」と題したブログへ、またもや嬉しいコメントを頂戴しました。
「相続」は「想族」だとのご指摘です。確かにそうですね。コメントに納得というか、勉強させてもらいました。
自分でこしらえたと思える財産も、実はご先祖様からのいただいたもの。確かにそのような受け取り方が大切ですね。
どうしても、自分で築いた財産は自分でこしらえたもの!と思ってしまいがちですね。
しかし、考え方次第では、自分が生まれてこれたのは、ご先祖様が連綿と受け継いでくださった命のバトンでもあります。
この世界に生まれさせていただいたことで、財産が築けたという受け取り方をすれば、ご先祖様からいただいたもの!と思えるかもしれません。
その財産を、次の世代のことを想いながら引き継いでいく。・・・「想族」なるほど。
終活は取り組む方の心が一番大切ですね。手続きなどの準備よりも、心の準備こそが終活のキーポイントです。

暖冬なのかもしれません

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
連日、寒波の影響で「今シーズン一番の冷え込み」と放映されています。
寒いのが苦手な私は、それを聞いて覚悟を決めて床につきます。
明け方、確かに寒いのですが、「この程度ならまだ大丈夫!」と思って起きています。
しかし、私よりも寒さに強いはずの妻は、「寒い」と言ってます。
私は、「そこまで寒くないよ!」と言うと、「歩いているから、寒さに強くなったんじゃない?」と言われました。
そう言われると、何だか寒さに強くなったのかもしれない!と嬉しい気持ちになっているこの頃です。
昨シーズンの今頃は、上下のヒートテックを着込んでいましたが、今シーズンは上だけヒートテックです。
下は履いておりません。履かなくても大丈夫なのです。
もしかしたら、本当に寒さに強くなったのかもしれません。
ただし、まだ冬の入口。本当の寒さは1月から2月。
きっとその頃は、寒さに悩んでいるかもしれません。
そういえば、数日前、エルニーニョ現象がどうやら起きているようだ!と天気予報で報じられていました。
エルニーニョだと暖冬なのだそうです。それを聞いて、嬉しくなったことを今思い出しました。
暖冬であってほしいな。

相続問題 逆なんじゃないの?

投稿日: 1件のコメントカテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨日は終活の会主催の講座が開催されました。
人数は15名ほど(思ったよりも多かったです)。
ケーブルTVさんが取材にきてくれていました。
講座の内容は「私の資産の調べ方」(~相続争いをおこさないために~)とのものです。
実際あった相続争いの具体的例話や、その背景にあった事象などをお話いただき、生前からの事前準備が揉め事を減らす方法であることを学びました。
相続争いによって、兄弟がバラバラとなり、両親の法事にも来ない事態を引き起こすのは、本当に悲しいことです。
そうならない為に、生前から子供達の前で決まりをしておくことが 揉め事を減らす為の方法だということなのです。
また、土地の所有がある際は、土地は分けられないし、地目によって価値が全然違う為、自分が所有している土地について
予め調べておくことも、子供達に迷惑をかけない為の行為であるとお話されていました。
もっとも、生前から子供達に資産の贈与をすることは大変不安でもある為、適切な遺言状の活用がオススメであるとのことでした。
講座に参加してみて、子供達が親の資産を争い、仲違いをする状況がある現実は ある意味親の責任でもあるのではないか と思ったりしました。
当然、自分亡き後に、子供達が財産のことくらいで争うことはないであろうと 親は考えるのでしょうが、現実はそうではないところに親子のズレを感じます。
本当に子供達のことを考えてくれるのであれば、生前から子供達に言い聞かせておくことも大事な責務かもしれません。
もっとも、子供も資産に目がくらみ、親の法事に来ないなど、もっての他だと思います。
もちろん、お金は大切ですけど、子供が平等に分け合う絆の大切さを感じてほしいと思います。
確かちょっと前、チョコレートのCMだったと思いますが、一枚の板チョコを兄が二つに割ったのだけど、上手く割れず 大きいチョコと小さいチョコになってしまいました。
お兄ちゃんは、大きいチョコを妹にあげ、自分は小さいチョコを食べた。そんなCMがあったと思います。
兄弟は、年長者が下の者の為に自己を犠牲にして分け与える姿勢こそが、ある意味責務であり、教育でもあったはずです。だからこそ、下の者は上の者に敬意や尊敬を抱けたのでありましょう。
そんな美徳が日本にはあったのだろうと想像します。
それが今や・・・上の者だから多くを貰って当然などと権利を主張したり、だからこそ下の者は上を敬わなくなってしまったり。
なんだか逆なんじゃないの?とか思ったりします。
(何だかんだ言って、私も生活が苦しかったら、そんな風にしてしまうのでしょうかね?そんなになるくらいなら、僕はプライドを重んじて生きたい)

終活講座

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
今日は終活の会第6回目の講座が行われます。
「私の資産の調べ方」(主に相続について、揉めないようにするための話題・あるいは相続人がいない場合の老後の過ごし方などが話題だと聞いています)
しかし、テーマが問題だったのでしょうか、「うちには資産なんてないから」・・・という声が多々聞かれました。
テーマで内容を上手く伝えることができなかったのかもしれませんね。
私個人は、内容はとっても興味深いものです。今後問題となってくるであろう事象を前もって予習できるからです。
参加人数が少ないと聞き、勿体無いなと思っています。
とりあえず、私は参加をしてきます。

浄土真宗本願寺派の報恩講 日の違い 

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
昨日から今月の16日まで、築地本願寺では報恩講(ホウオンコウ)が勤まります。
築地本願寺
報恩講とは、親鸞聖人のご命日に、聖人を偲びながら、私が教えに出遇えた喜びを感謝し、営まれる法要です。
浄土真宗では、一番大事な法要なのです。
因みに、親鸞聖人のご命日は、旧暦の11月28日と言われています。(この日をとって、西照寺では11月28日に行っています)
明治時代でしたか?旧暦から新暦に変更されました。その際、旧暦の11月28日は、新暦の1月16日にあたることが判明しました。
以来、京都の西本願寺(ご本山)では、1月16日に合わせて一週間(1月9日~1月16日まで)報恩講が勤められています。
西本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山であり、従って、一番大事な報恩講が勤まる際には、全国の僧侶やご門徒(信者さんのこと)のお参りが期待されます。
当然のことです。
しかし、中には遠方に住んでいるため、京都までお参りにいけないご門徒さんもおられます。
だからこそ、一番近いお寺で報恩講が勤まれば、京都までいかなくてもお参りができます。(ただし、本来は西本願寺にお参りすることが望ましいことです)
そのような理由もあって、全国にある浄土真宗のお寺のそれぞれでも報恩講は勤められてきたのです。
現在でも、全国に1万以上ある浄土真宗本願寺派のお寺がそれぞれ、報恩講を勤めているのです。
ただし、暗黙の了解というものがあって、西本願寺で勤まる報恩講(1月9日~1月16日)と日程を重ねないように配慮をしています。
築地本願寺は、西本願寺の関東における出先機関のようなもので、ちょっと前までは別院と呼ばれていました。(今は別院とは呼ばず、築地本願寺と呼ぶこととなりました)
簡単にいえば、関東における西本願寺と考えれば、わかりやすいかもしれませんね。
当然ながら、報恩講を勤めるのですが、ご本山に配慮して、1月9日~16日には行いません。
築地本願寺では、11月の11日~16日まで報恩講が勤められています。
私の勝手な推測ですが、きっと旧暦の11月に合わせて、報恩講が勤められているのだろうなと思います。
でも旧暦に合わせるなら、なぜ28日ではなかったのでしょうね?そこまではわかりません。
現在、浄土真宗の多くのお寺が、10月の末から11月に報恩講を勤めているようです。
西照寺でも、11月28日に行っています。(因みに、京都の東本願寺(大谷派)では、今でも11月28日に報恩講が勤まっていると思います)
ただし、地域によっては、時期も違うのだそうです。
特に北海道では、お盆の直後に報恩講が勤められるのだそうです。
10月から11月だと、寒いし 雪が降っている地域もあるのだとか。だから夏に報恩講を行うと聞いたこともあります。
地域事情も色々とあるのですね。
最後に、報恩講の起源は、親鸞聖人のひ孫である覚如上人(カクニョ)が、親鸞聖人の33回忌法要を勤められたところから始まっているとのことです。
親鸞聖人がご往生された年が1263年ということですから、凡そ1300年には始まっていた法要です。
かれこれ750年以上続いている法要なのですね。ヽ〔゚Д゚〕丿スゴイ