西照寺 盆法要

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
今日は西照寺の合同盆法要です。
11時から新盆法要が
13時から盆法要が勤まります。
数日前から準備などで、すでに疲れきってしまったように感じますが、しかし、今日が法要の当日。
頑張って乗り切ります。

ビックコミック 月をさすゆび

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
ビックコミックという漫画雑誌があるとのことですが、皆さんはご存知ですか?
その雑誌の中で、
月をさすゆび
が掲載され始めました。
どのくらい続くのかわかりませんが・・・
どうやら、舞台設定が築地本願寺っぽい模様です。
2ページ目(表紙?)くらいに、築地本願寺の外階段が描かれています。
上記の無料お試し素読のページの中には、まだ登場していませんが。
この内容から、築地本願寺とどう繋がるのか?あるいは繋がらないのか??
全く判りません。
一体どんな内容なんだろう?と興味をもち、ビックコミックを買ってみようかな。と思っています。
ビックコミックは買ったことがないので、どこで売っているのだろう?と判らず、とりあえずコンビニでも行ってみようかと思います。

強風で墓石が倒れる

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
昨夜の強風はすごかったです。今朝、お寺のあらゆるもの(ベンチや傘立て、ゴミ箱など)が沢山倒れていました。
一番驚いたのは、お墓の横に付属としてついている墓碑(故人の名前とか法名、あるいは亡くなった日とか年齢とかが刻まれる石)が、倒れていたこと。
一つだけですが。こんなことは初めてです。(この墓碑は、縦が60センチ 横が40センチ 厚さが10センチくらい・・・強風だったら、かなりの力を受けるサイズです)
(大人二人~三人でないと持ち上げることはできません)
石材店の方に聞いたのですが、雨や雪、湿度などによってセメントが劣化するようです。お墓のある場所ごとに劣化の仕方に違いがでるのだとか。
墓碑はセメントで固定されて建っている物もあるので、その場合、セメントが劣化すると倒れてしまうのです。
墓碑は倒れても、墓碑の外側にある石(外柵といいますが)に寄りかかることで、転倒しないで発見され、補修となることが多いのですが、
今回は強風でお墓の外に倒れ、地面に落ちてしまい、割れてしまっていました。
すぐに所有者にお電話したのですが、携帯は不通。ご自宅も変られたのでしょうか、繋がりません。
これでは、管理者としても困ってしまいます。
引越しされたのであれば、住所や電話番号の変更を電話で構わないので、連絡して欲しいものです。
定期的にお手紙などをお出ししているのですが、どうしても連絡を忘れられてしまうみたいです。
近年は、住む場所を頻繁に変えることも当たり前の世の中です。
地域社会も崩壊してきていますし、昔よりも引越しをし易い環境となったのでしょう。
しかし、お寺としては、これらの環境に如何に適応していけばいいのかと、悩みどころです。
ある意味、お寺って、現代社会のあり方に適応しきれていない側面もあります。
取り残されないように変化も必要。でも変化しすぎてお寺の本来の魅力を失うことは避けねばなりません。
良きところを残して、変化すべき部分を変化させる。簡単そうで、難題ですね。
さて、墓碑を参道に倒れたまま放置できないので、住職と共に石置き場の場所まで運びました。
とてつもない重さです。
腰を痛めないように一輪車を使い、移動をしました。

涼しい夏日

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
昨日から台風の影響でしょうか? 最近天気予報を見てないので、人から聞いた話ですが・・・
雨がふって、とても涼しい夜でした。窓をあけたのですが、寒いくらいでした。
今朝も涼しかったですね。今頃になって、ちょっと蒸してきたように感じますが、とても涼しいです。
昨日は涼しかったので、ご法事を終え、初めての草刈機での草刈をしました。
お盆を迎えるので、やってみました。
以外に簡単。ただし危ないので、注意してやらないといけませんね。
草をかるので、万一ハチなどに出くわしても大丈夫なように、長袖のウインドブレーカのような上下を来て
草刈をしました。外は涼しいけれど、来ている服のおかげで、とても汗をかきました。
私は運動不足なので、たまにはいいかもしれません。
今後は、もっと草刈をしていこうと思いました。
でも疲れましたが・・・
今日もこれからやろうかと思っていましたが、一時的にですが、強い雨が降ってきます。
だから草刈はやめて、別院の管理にいこうと思います。
お盆が終わるまでは、頑張らないと・・・

夏休み

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日は日記というか、出来事です。
一昨日、実家に帰省していた妻子が、帰ってきました。
昼間は暑いという理由で、夜の飛行機で羽田まで飛んできたのですが
私はお迎えに車で 羽田まで向かいました。
平日にも関わらず?夏休みの影響か、高速は渋滞。
関越道の東松山インターから入って、本線に合流しよとした際の画像です。
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すでに渋滞です。
上り方面を東松山インターから乗って、すぐに渋滞ということは、ほぼありません。
渋滞の原因もよくわからず・・・
5キロくらいの渋滞で、時間的にも然程ではありませんでしたが、8月は時間が読めないなと思ってしまいました。
(夜ということもあったのでしょう。19時くらいのことでした)
無事、羽田まで着き、妻子を乗せて帰宅してきました。
しかし、ゆっくりする暇もなく、お盆に突入します。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」の疑問には誰も答えられない 仏教からの一つの答え

投稿日: カテゴリー: 日記

こんばんは 副住です。
今日は更新が遅くなってしまいました。
佐世保の事件も手伝ってでしょうか、こんな記事を見つけました。
記事
なぜ人を殺してはいけないのか?
これは、あまりにも当たり前なこととして思われているのですが、意外に答えが難しい問題です。
以前、五木寛之さんがTVでお話されていたことを思い出します。
それは、五木寛之さんがアメリカに行った(宗教に関してのTV取材を通じてのことです)時、お話されていた内容です。
それは、ある少年が、「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と宗教者(仏教者だったか?)に質問をしたのだそうです。
すると、宗教者は明確な答えをだせなかったと話しておられました。
なるほど。これは確かに大変な問題ですね。
人を殺してはいけないの?と考える時点で、正常ではないと私たちは考えてしまいますが、
しかし、そのように考える人にとって、明確な理由が説明できない私たちのあり方は、もっと疑問にうつるかもしれませんね。
さて、仏教を学んだ私的には、以下のように考えています。この話はよく子供たちにしています。
仏教の教祖であるお釈迦様は、私たちのレベルにあわせて教えを説いてくれました。
その教えの一つには、お釈迦様の誕生時の説話も含まれていると思います。
お釈迦様は、この地上に生まれた時、すぐに立ち上がり、
東西南北それぞれの方向に七歩づつ歩き、「天上天下唯我独尊」と仰ったと伝えられています。
その意味ですが、
「お釈迦様はこの地に身をもって生まれてきて思われたことがありました。東西南北、それから天上天下、つまり、あらゆる方角を見回したけれど、
私ほど大切なものは見当たらない(唯我独尊)」ということです。(この解釈には、他にも数個ありますが)
さらにこの背後には隠れた意味があって、私がそう(上記のように)思うのだから、他の人も私と同じように考えているだろう(つまり、自分が一番大切だと思っている)。
だからこそ、他の人と接する時は、自分と接するようにしていきましょう。
(つまり、自分がして欲しいことを他の人にもしていこう。自分がして欲しくないことは、他の人にもしないようにしよう。ということです)
これは、私たちがつい自分を優先してしまう生き物ということを、お釈迦様は見抜いておられ、だからこそ、そのレベルに合わせて説いてくれた教えであると理解します。
そう考えると、「なぜ人を殺してはいけないのか?」との疑問にも答えがでてくるのではないでしょうか?
自分がして欲しくないことを、他の人にしないようにしよう!ということです。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」と思っている人は、自分が殺されたいのでしょうか?
けっして そんなことはないと思います。自分は殺されたくないけれど、人を殺してみたい!・・・こんな発想は、自分勝手極まりないあり方です。
この世界は自分一人で成り立っているのではありません。様々な物事が関わり合って私も成り立っているのです。
だからこそ、あらゆるものに敬意をはらう必要がありますし、だからこそ、自分勝手な行動は謹んでいかねばなりません。
そこのところが最近余計に見えなくなってきてしまったのでしょう。
個人を重んじ、尊重していく風土です。ある意味では楽ですが、ある意味では大間違いです。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」難しい問題にみえますが、そんなことにも答えられないのは寂しすぎます。
こんな質問がでてくること事態が、自分勝手な世界となっている現状社会を確認させてくれます。
もう少し、この社会を整えていく必要があるように思います。
 

9月の法話会 9/13 西照寺別院

投稿日: カテゴリー: 仏事・情報・更新

9月の法話会ですが、13日に西照寺別院(新東松山斎場)で開催されます。
法話会は毎月(8月は除く)第二土曜日の
13時半~勤行 14時~ 法話
となっております。お時間の許す方は法話の後、お茶会をしています。
どなたでもご参加いただけます。どうぞお気軽に仏教の話を聞いてください。

「自殺した途端に「イイ人」に改める報道への違和感」に賛同

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
笹井氏のマスメディアの件に関して、まさに同感の記事がありました。
フリーライターの方のようです。
自殺した途端に「イイ人」に改める報道への違和感
多くの方も同じように思っているのですね。
だからこそマスコミも、もっと取り合える視点の方向性にバラつきがあってもいいように思います。
そうならないかな。
集団的自衛権の問題にしても、理解しようと思う部分もあるけれど、当然不安要素を多く含んでいます。
ここに関しては、マスメディアも危険性を報じているので、政府の抑止力となっているように感じます。
しかし、仮に日本が危険な方向に進みそうな時に、政府とマスコミが一斉に同じ方向性を向きだしたとしたら
とても怖いことだと思います。
だからこそ、私たちは自分の考え方をしっかりと持ち、時としてマスコミにも立ち向かえるような力強さも必要だろうと思います。
さて、マスコミについての話は数日取り上げているので、今日で終わりとします。
最近、今までと違い、当ブログで熱弁長文を展開しておりますが、ご勘弁ください。
(数日前のブログ記事に関して、読者の方よりお便りをいただいたこともあって、少し真面目に自分の考えを綴ってみようかと思い続けています)
今後は、時には意見を展開し、時には日常の出来事を綴ったりしていこうと思ってます。
一宗教者としての意見を大事にしながら発信していこうと思ってます。

「話のわかりやすい人」になる、たった一つの方法。

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
昨日のブログ内容に関連してですが、今日のニュースで触れられていました。
「NHKスペシャル」で15分にわたり厳しい追及 理研・笹井氏自殺に影響はあったのか
自殺の一因になったかもしれない と書かれてありましたが、一番肝心な 「反省」あるいは「今後に向けた課題」については触れられていませんね。
さて、今日は話題を変えまして、私が関心の高かった話題があったので、ご参考までに。
「話のわかりやすい人」と「話のわかりにくい人」のちがい
私は僧侶として、お寺でご法話(仏様のお話をさせていただくこと)をさせていただく機会があります。
自坊(私のお寺)、あるいは他のお寺さまでお話させていただく機会もあります。
ご法話では、わかり易い話をしたいものだと考えています。
(仏様のお話は、私たちの思考レベルを超えている部分があるので〈私たちの思考が追いつかないという意味です〉、それを私たちのレベルに落とし込むことは、とても大変なんです)
そういえば、私が学生だった頃の様子を、ある先輩は教えてくれました。
「相手にわかってもらおうと思ってないように感じる」と教えてくれました。(つまり、自分だけわかっていればいいということと同義かもしれません)
これは、おそらく私が書いた論文について、先輩から見えた感想ということだったかと想像しています。
私は特に、精神的な部分(特に宗教の部分)の問題については、個人の問題だと思う節があって、論文にはその姿勢が出てしまったのでしょう。
先輩はそのあり方を指摘してくれたのです。
しかし、ご法話(宗教の部分の話)をさせていただくようになって、他の方々へも解ってもらいたいと思う部分もでてきました。
そうなると、「話のわかりやすさ」は大切になります。では、どう話たら「わかり易い話」ができるのか?
仏教の教祖であるお釈迦様は、対機説法(タイキセッポウ・・・その人その人に適した説法ができたという意味)ができたと伝わっています。
お釈迦様は、理解能力が異なる人々に、その人に一番適した方法(話し方)で教えを説いて理解させることができたのです。
それは、相手そのものがわかっているからこそ可能な技です。
いかに相手を察することができるか、いかに相手の立場(あるいは視点)で自分をみれるか、そこがものを言うのではないかということでしょう。
人間一人一人違います。同じ話をしていても、聞く人が異なれば、聞き方は違います。
だからこそ、「複数の方の前で話をする方法」と「個人的に話をする方法」は分けたほうがいいのかもしれません。
私はこれまで、ご法話では「伝えたいこと」に重きを置いていました。
皆がわかろうが、わかるまいが、「大切なこと」を伝えようと思ってきました。
しかし、上記の考え方からすると、「本当に伝えたいこと」は個人的に話をする方法で。
複数の方の前で話をする時は、「多くの方が共感できること」を大事に話をしていかねばならないのかと思っています。
ご法話に関していえば、複数の方の前で話すことは、「本当に伝えたいこと」に導く為に、「多くの方が共感できる話」をしていこうかと思います。(難しそうですが)
最終的な結論ですが、「話のわかりやすい人」になる為には、相手をいかに察することができるか が問題となります。
人間は人それぞれ違うので、あくまでも個人に視点をあてるべきです。
相手の立場を考え、顔色、仕草、目線など、あらゆる情報を察知し、話を展開できる能力が必要となります。
日々、そんなことを心がければ、いつの日かスキルが上がっていることでしょう。