ご正忌報恩講

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こんにちは 副住です。
・・・そうだなぁ ゆいてん。その通りなんだなぁ(´Д` )
(ブログへのコメントをみて・・・)
2013年のスタートは静かなもので、本格的に活動しはじめるのは1月13日からなのです。
13日から15日は京都へ行ってきます。1月16日は親鸞聖人のご命日にあたり、京都のご本山では
「ご正忌報恩講」が修行されます。
今年は埼玉組(埼玉の浄土真宗本願寺派のお寺の団体)が北ブロック(浄土真宗本願寺派の東京教区というエリアを南北中と3つに分けたブロックの1つ)
を取りまとめる役なので、埼玉組の役職者として参加することに。
北ブロックは埼玉・群馬・栃木・茨城と千葉も入ってたかな!?
その地方でご活躍のお寺さまがご本山にお参りに来られるので、取りまとめさせていただくことと、懇親を深める為の企画を開催することが使命となります。
下準備はできているので、あとは遂行するだけ・・・
それまでは、会議が一つあるくらいなので、雑務を止め、休みに専念するつもりです。
予定を入れなかった過去の私を褒めてあげたいと思います(^O^)

「気になって」からの卒業

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こんにちは 副住です。
しかし、今季の冬はずいぶん寒いですね。
冬って嫌いです。風邪をひくし、乾燥しているのでウイルスが多発するし。
危険極まりない冬を年々嫌いになっております。
いつか、冬は温暖なところに移住したと本気で思ってます。
相変わらず喉や調子全般は不調ですが、熱がないので行動ができてます。
こんな状況の中で活動しなければいけない自分が辛いですが、休んでばかりもいられません。
徐々に身体を慣らしていくしかありません。
さて、新年は過ぎてしまいましたが、今年の抱負を・・・
「気兼ねなく休みを取るゾ!」に決定してみました。
これまでは休みがあっても、溜まっている雑務があったり、気になって仕事をしてしまっていました。
結局休みがない状態となって、疲れがたまっていったのです。
どうやら、この「気になって」がいけないようです。疲れのもとなのでしょう。(たぶん)
こんな病気になりたくないので、もう気兼ねなく休みを過ごすことにしようと思い、今年の抱負としました。
これを予定表の色んな場所に書いて気をつけるようにしようと思います。

活動はできるようになりはじめました。

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
体調も復調しつつあります。
ただ、やっぱり長引きそうです(>_<) 背中の痛みですが、後遺症のようなものだと思います。 実は数年前、インドに一ヶ月ほど知人10名ほどで仏跡旅行に行っていたことがありました。 ツアーなどでは組まれない、現地の人しかいないような場所の連続です。 さすがに、帰国するやいなや発熱。その後、後遺症みたいに扁桃腺が腫れ、 音程はとれなくなるし、声は変な声だし、鼻水がでるし、フラフラする違和感を覚えるし、 そんな状態が半月くらい続いたのでした。最後は味覚がなくなって、一週間が経過するようになって、 ようやく治まった・・・そんな経験があります。 お医者さまは、肉体的にも精神的にも疲弊しすぎて、免疫力が落ちたまま回復してません。 疲れすぎには気をつけてください。と言われました。 ・・・これと同じです。ウイルスというより、後遺症のような感じです。 熱は解熱したままですが、身体に違和感が。声も鼻声。咳もでる。 鼻水も。フラフラする違和感も感じてます。・・・やっぱり同じ気がする(;゚Д゚)! きっとこの状態が半月くらい続くはずです。そして、また味覚が無くなるんだろうか(゚д゚lll) あの時は、梅干食べても全く味がしなかったことを覚えてます。 レモンをかじった時に、かすかに酸っぱいことを感じたことを覚えています。 何を食べても味がしないんですから、食事の楽しみなどありませんよ。 再発したくないな・・・(/ω\*)

HELP ME

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こんにちは 副住です。
更新がスムーズにいかずすみません。
実は年末の30日から発熱して寝込んでおりました。
身体の節々まで痛みがあったため
大晦日、インフルエンザを疑い近くのお医者様に無理言って観てもらい検査を・・・
しかし、結果は陰性。
お薬をいただき、様子をみることに。
元旦。薬の効果も虚しく、39・9度を更新。
お正月から人生の記録を更新してしまいました。(記憶の中では、高熱の記録更新)
翌2日も39度の高熱と戦いました。しかし、背中に痛みが・・・
3日、熱は38度~37度をいったりきたり・・・
ようやく今日36℃少々に落ち着いてくれました。
しかし、本来は良くなる気配を感じるものですが、背中が凝ったように痛いのであります。
無精髭も頭の痒さも気になったので、ようやくお風呂へ・・・
熱は上がりませんでしたが、背中の首から方にかけて凝ったような痛みが・・・
僕、何かのウイルスに感染してると思います。(こんなに治んないんだから)
明日の夜、講義があるので、何とかそれをこなしたあと、再びお医者さんに観てもらうこととします。
そんな理由で、ブログの更新が途絶えていました。住職、やってくださいよ!!!

大掃除

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは。寺務です♪
今年最後のブログなのに私ですみません。
副住職は風邪で、住職は外の枯葉の大掃除で不在の為、代わりにご挨拶させていただきます。
皆様、今年一年大変にお世話になりました。ありがとうございました。毎日、西照寺ブログを
ご覧いただき、コメントを入れていただいたり、お会いしたときに励ましのお声を掛けていた
だいたことなど、住職をはじめ西照寺スタッフ一同、とても励みになりました。ありがとうございました。
どうぞ来年もよろしくお願い申し上げます。
寒い日が続きますので、皆様御身体大切に、よい新年をお迎えください。
PS. 副住職は今日病院へ行き、インフルエンザではないと診断していただいたようです。薬を飲んで
   寝ています。寺務は今日やっと寺務所の大掃除です・・早くしないと年が明けちゃう・・(汗)
   あ~~~~~~\(゜ロ\)(/ロ゜)/

風邪

投稿日: 1件のコメントカテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
風邪をひきました。(>_<) 昨日、疲れすぎたのかもしれません。 倦怠感と咳です。発熱しなければいいのですが。 残念ながら、自宅の大掃除ができませんでした。 自分の部屋も・・・ 何とかお正月までに治ればいいけど。 さて、また休みます。

落ち葉の所有者って誰?

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
あ~・・・疲れた。
今日は朝から外掃除です。 今日の予報は曇→雨となっていましたが、外れましたね。
穏やかに晴れていたので、張り切って掃き掃除から始めました。
流石に、お墓のお掃除に来られる方が多かったです。
私は早速参道をキレイに掃き、排水溝の落ち葉やヘドロを取り除き、浄苑の落ち葉を集めたり・・・
ぶっ続けで気がつけば6時間が過ぎていました。昼も食べずに頑張ってました。
・・・でも全然終わらない(゚д゚lll) 広すぎるのです。自然が多すぎるのです。
住職が作った木箱に落ち葉を集め、一箇所に纏めようと何回もやったのですが、
一向に落ち葉は減りません。
取り敢えず、木箱5杯分纏めてみました。

まだ、10杯分くらいは残っていると思います。
しかしこの落ち葉、ほとんどが違う敷地から飛んできたもの。
こんなに散らかして、“所有者は誰や~”ヽ(`Д´)ノ

心育(しんいく)

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こんにちは 副住です。
突然ですが、今私はこれから西照寺が向かう方向性を模索している段階です。
そのため、色々なことの準備をすすめています。
今のお寺は法事やご葬儀をする場所であると多くの方が思われているのではないのかなと感じてます。
西照寺ではお墓もあるので、お墓がある場所とも言えるかもしれません。
もちろんこれらも大切なことですが、それだけではお寺の存在価値が問われかねないな!と個人的に思ってきました。
本来お寺って、とても沢山のことをする場所であった歴史もあるのです。例えば、寺子屋だったり、駆け込み寺という言葉もあるように
勉強を学ぶ場所だったり(今で言う学校)、悩みを相談する場所だったり(カウンセリング的なもの)。
また江戸時代では檀家寺として戸籍を管理していたり(今で言う役所)。
様々な分野で生活に密接に関わってきたからこそ、お寺の存在価値は高かったのですが、
それらを全て取り剥がされ、残ったものが仏事だったという現状なんだろうと思ってます。
現代において、仏事は生活に密着したものと言いづらい側面もあります。
そんな中では、お寺の存在価値も問われかねないのだろうと思ってます。
そこで、新しい試みをしていくことも大切だと思います。
上記のものは、すでに失ってしまったのだから、取り戻す必要などありません。
むしろ、今から必要になるものを提供していくことが大切でしょう。
それも生活に密接に関係するようなもの。
まだまだぼんやりですが、これからのお寺は「心を育てる」(仏様の教えに沿って)
道場というか場所にしていくことはどうかな!?と考えてます。
勉強などの知識は学校で。心の育成はお寺で。みたいな。
それには 色々なプラクティスを検討することも大事でしょう。
楽しさや有難さなども大切でしょう。
いつの日か、「ありがとう」「お陰さま」「有難い」「お互い様」など
若い人でも普通に言ってるような日がきたら素晴らしいと思いませんか。
そんな言葉を言えるような心を育てる場所としてお寺が利用されていればいいなと思ってます。
「仏教をライフスタイルの一部に!!!」

法話

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こんにちは 副住です。
最近ご法話を更新しておりませんでした。
なので、今日は数年前に書いたご法話を載せたいと思います。
タイトルは「阿弥陀さまの本願力」にしましょう。
阿弥陀さまという、見えないはたらきについて書いたものです。
 私には一歳半の娘がおります。この一年半、初めての子育てに試行錯誤しながら、日に日に成長する娘の姿に驚かされつつ、親としての苦労も学ばせていただきました。親の思い通りに行動してくれない子どもを育てていくことは、思っていた以上に大変なものなのですね。
数ヶ月くらい前のことです。娘が歩き始めるようになってから、私達は二人で手を繋ぎ、お寺の境内をよく散歩するようになりました。私は以前から、ご本堂の前を通り過ぎるときには、阿弥陀さまの正面で手を合わせ、礼拝をしておりましたので、娘との散歩のときにも、同様のおこないをしておりました。
ある日のことです。いつものように二人で手を繋ぎ、ご本堂の前を通り過ぎようとしたときでした。娘がいきなり私の手を離し、阿弥陀さまに向かって手を合わせ、礼拝をしたのです。私よりも先に。
本当に驚かされました。まだ一歳を過ぎたばかりで言葉も話せない娘が、阿弥陀さまに手を合わせ、礼拝しているのです。しかも嬉しそうに笑っているではありませんか。
きっと娘には、自分のやっている事の意味はわかっていなかったでしょうし、笑っているところを見れば、遊んでいたつもりかもしれません。しかしながら娘の本心がどうであれ、私の眼には娘が阿弥陀さまをお参りしているようにしか見えなかったのです。
もちろん、いつも父親がやっていることを真似ただけだ!と言ってしまえば、それで終わりかもしれません。 
けれども、私は娘の行為の背景に、大きなはたらきを感じずにはおれませんでした。阿弥陀さまのはたらきを感じずにはおれなかったのです。
なぜならば、仮に娘が私の行為を真似しただけにしても、私が阿弥陀さまに手を合わせ、礼拝するのは、もとをたどれば阿弥陀さまに導かれたからなのですし、普段から親の思い通りに動かない娘が私の行為を真似したのであれば、尚のこと阿弥陀さまのはたらきによってとしか言いようがありません。
娘は間違いなく阿弥陀さまのはたらきによってお参りをしたのです。阿弥陀さまは、私に手を合わさせ、礼拝をさせ、娘を導いておられたのです。そして何よりも、阿弥陀さまは、そのような娘の姿を私に見せしめ、伝道のあり方を教えて下さいました。阿弥陀さまの願いは、私達のはからいによってではなく、阿弥陀さまのはたらきによって伝わっていくものなのです。何とも有り難い仏縁でございました。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。