日記

モーニングバードのコメンテータに懐く住職の失望

皆さま こんにちは 西照寺の住職です。
今朝、テレビでモーニングバードという番組をみておりました。
ニュースでは、佐野厄除け大師さんにて、初詣が終わると、外にあった観音様が
盗まれていたことが判ったとのことが報道されていました。お寺によれば、外にある観音様は
監視カメラの死角となっていた上、初詣のため用意されたテントに隠れ、見えない状態であった
とのことでした。 報道では恐らく盗んだ目的は売買目当てだと思われるとのことでした。
その報道の後、あるコメンテーターのコメントに私は驚きました。
コメンテーターは“大事なものであれば、カメラをつけとけばよかったのに”とのものでした。
私は唖然としてしまいました。
本当にコメントしなければならない問題は、神仏を盗むようになってしまった盗人の心だと思うからです。
盗人が日本人であったならば、事態は尚のこと深刻です。昔の日本人は神仏に有難さや怖れを懐いていたと思います。
そこにこそ、宗教心という大事な大事なものがあったと思うのです。恐らく神仏を盗むという発想すらなかったのだと思います。
それが今、神仏が盗まれる時代となった。もし日本人が盗んだのであれば、日本人の宗教心は悲しいほど薄れてしまったのだと
問題にすべきところでした。核心をつくコメンテーターなら、当然触れるべき問題だと思いますが。
辛口のコメンテーターなら、そこから飛び火して、宗教心を育てられない神社やお寺は何やってんだ!と責めてくれるでしょう。
しかし現実のコメントは、“監視できてないお寺が悪い”という真逆なコメントが。
主従が完全に入れ替わってしまってます。このコメンテーターは従(監視の問題)を主として取り上げたのです。
主の問題は、盗人の心。従として、盗まれては困るからという理由で、監視という従の問題があるだけです。
現在は、監視の問題を主として考え、盗人の心の問題を従とするような発言が 表だってされる悲しさ。
なんともいえません。
あまりに失望したので、ブログに怒りをぶつけてしまいました。
ご苦読、ありがとうございました。

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