法話

今月の法話

こんにちは 副住です。
今日は築地本願寺への出勤日でしたが、会議があり欠席させていただきました。
さて、今月のご法話をさせていただきましょう。
以前、自宅の録画機で録画をしていたTV映画、「佐賀のがばいばあちゃん!」を見ていたら、こんな一幕に出会いました。
小学校の低学年であった時分の島田洋七さんは、お婆ちゃんと二人で生活をしていたのでした。ある日お婆ちゃんが、
家の近くのきれいな川で洗濯をしていると、上流からトマトが流れてきたのです。お婆ちゃんはトマトを拾い、大切に持ち帰りました。
その様子を見ていた洋七さんの学校のお友達が、翌日、洋七さんに向かって“おまえの家は貧乏ばい”とからかったのです。
洋七さんは家に帰るとすぐ、お婆ちゃんに“うちは貧乏なんか?”と問いかけます。するとお婆ちゃんは“貧乏ばい”と答えたのです。
がっかりする洋七さんに、お婆ちゃんは続けました。“でも貧乏人はよか!金持ちは色々大変ばい。おいしい食べ物を選んだり、旅行する所を探したりしよるから。
でも貧乏人は、選ぶ必要なんか無か。あるものをそのままいただくだけばい”と。
確かに、お金持ちの人は、お金で買えるものなら、何でも手に入れ易いです。あとは自分の好みに合わせるだけです。
好みに合わない物は、切り捨てればいいのです。ただ自分の好みに合わせ、選ぶところに色々な迷いが生まれるのです。お金持ちは大変です。 
でも貧乏であれば、自分の好みに合わせ、選ぶ必要なんかありません。自分の好みに合わせる必要がないのだから、迷いが生まれることも無いのです。
ただ手に入る物を、そのままいただけばいいのです。お婆ちゃんの言葉には、そのような意味があるのです。
そのような貧乏人を、お婆ちゃんは“よい”と言ったのです。そこには“そのままをいただく”という心の豊かさが感じられます。
 この世界のあらゆる物事には、同じ物など何一つありません。一つ一つが、かけがえのない、有り難いものなのです。
“そのままをいただく”とは、あらゆる物事の、かけがえのなさに気付いているからこそ言える言葉だと思います。
まさに仏様のお心が、お婆ちゃんの言葉の中に生きているのでしょう。
仏様のお心とは、お金持ちや貧乏人を差別することがないお心です。全てを平等に慈〈いつく〉しみ、あわれみ、みつめて下さるお心なのです。
そのようなお心からすれば、あらゆるものは、一つ一つ尊くて、それぞれが大切なのだと気付かされるでしょう。
“そのままをいただく”お婆ちゃんの言葉の背景には、仏様のお心が隠されていたように思われました。
  最後に、お婆ちゃんは、こんな事も言っていました。
“お金は大切ばい”  “でもお金よりも大切なものもあるばい”

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