こんにちは 副住です。
今日は雨ですね。お彼岸の日曜日に雨とは、お参りが少なくなります(T ^ T)
このお彼岸から、業者の方が試しにお店をだしてくださいました。
焼きそば・おはぎ・おでんが売られています。
今後も定期的(お彼岸やお盆)に出店してくださる予定です。
せっかく初めての出店をしてくれたお彼岸の日曜日に雨だなんて、
宣伝にもなりません(;_;)
正直、お彼岸の連休の雨は避けてほしかったです。
しかし、雨も降らないと困るし・・・人間ってのは本当に自分の都合で考えますね。
南無阿弥陀仏
“お彼岸の出店” への1件のフィードバック
とよくん、お彼岸の法要終わったよ、今回は、わたしがおとりつぎしたよ、
原稿アップします。
2012 9月21日 蓮生寺 彼岸会
「悪人正機」
大阪教区榎並組 蓮生寺
三品唯典
善人なほもつて往生をとぐ、
いはんや悪人をや
『歎異抄第三条』
(浄土真宗聖典・註釈版八三三頁)
ようこそお参りいただきました。
歎異抄の第三条に、「善人なほもつて往生をとぐ いはんや悪人をや」という親鸞聖人の有名な言葉があります。
これは「善人でも往生できるのだから、悪人が往生できないわけがない」といった意味で、いわゆる「悪人正機説(悪人こそが阿弥陀様の救いの目当)」と呼ばれるものです。
世間一般では「悪い人でも救われるのだから、良い人ならばなおさらだ」というのが普通の考え方ですけれど、そのまったく逆なことから「悪人正機説」は多くの人に誤解を与えることにもなりました。
たとえば「お念仏よる救いは悪いことをしてもちっともかまわない」とか、さらには「悪いことするほど救われる」などと言い出す人まで出ました。
もちろん親鸞聖人はそのような意味で仰られたのではありません。
内向きにながめる目
親鸞聖人がここで仰る、「悪人」とか「善人」とかは、世間一般で言うそれとは異なります。
世間一般での「あの人は良い人だ」「悪い人だ」とか、「私はこんな良いことをしている」「悪いことをしてしまった」とかは、すべて目が外向きなんです。
もちろんこうした善悪も社会生活においては大事なことです。
けれども親鸞聖人がここで仰る「善悪」とは、そういった外向きではなく、自分自身を内向きにながめた時に気づく、もっと根源的な「善悪」なんです。
欲と怒りと愚痴の「三毒の煩悩」といわれる心が、絶え間なく起こる自分自身の内面的な悪を指しています。
また、他の多くの命を頂きながらしか生きることの出来ない私の根源的な姿を仰っています。
この内向きに見る善悪は、世間一般で言う善悪とは、往々にして逆になることが多いです。
なぜなら、私自身の内面の恥ずかしさを知れば知るほど、少しでも良い行いをしなければという思いが生じ、結果として世間からは尊ばれる人となるでしょうが、逆に、自分で立派な人間だと思い込んでいる人にはおごりの心が多く、他人からはあまり良い人と見られる人がいないのが一般的です。
つまり南無阿弥陀仏の御本願による救いは、自分自身の愚かさに気付いた人こそが目当てだというのが、「悪人正機説」です。
ご門主様のお言葉
この理解はなかなか難しいのですが、実は去年、ご本山での750回大遠忌法要で、ご門主様がこのことを非常に分かりやすくお話し下さいました。
それは、「阿弥陀さまの救いの目当てが、『悪人』だというと分かりにくいのですが、救いの目当てが『病人』だといえば理解しやすいのではないのでしょうか」というお話しでした。
確かに、お医者さんの目当ては病人であり、健康な人よりも病人の人を優先にする、といっても誰も文句は言いません。当然のことだと思います。
同じように、阿弥陀様から見れば私たちは重病人であり、重病人であることに気付いて阿弥陀様に診てもらおうとする人が優先して救われるということであれば納得がいきます。
その重い病をすべて阿弥陀様に任せきった上で、『世のなか安穏なれ』と、少しでも世のため人のためと尽くさせて頂くのが念仏者としての姿勢と聞かせていただきました。
一方であの東北を襲った震災を思うと、自分にはなにができるんだろうか、一瞬にしてすべてを失ってしまうと、どうなってしまうのかと想像ができません。他人のことより自分のことで精いっぱいになるのが目に浮かびます
そんなわたしを目当てとしてくださるのというのですから、わたしには如来様より他に、救いの手立てはないようです。その如来様のお心をむねに、自分ができることを社会の一助となればいいと考えるようになりました。
自分のこともままならないわたしですが、お念仏を広めていくことは、如来様の大きな大きなはたらきの助けのなかでやっていけると勇気をもらえます。
それにしても世のなか安穏なれと願うばかりです。
本日は
3月11日午後2時46分、三陸沖を震源として発生した未曾有の大震災から約一年半たちました。
今もなお原発事故の処理問題や余震で不安が募り、被災者の方々の様子を見るにつけ、ほんとうに心が傷む思いであります、一体この先どうなるのであろうかと心配になります。
一寸先には何が起こるか分からないというのが、この娑婆世界であることを、まざまざと見せつけられる思いがしました。
だからこそ、今、仏教の必要性が問われているように思います。
最近では、中学生の虐めによる自殺も耳にします
五木寛之さんが『生きるとは』という本の中で、「生きているということだけで、本当はすごいことなんです」と仰っておりました。
おかげさまに気づくこがだいじなんでしょう、最後にはありがとうの感謝の気持ちがともなってきます。
インド人の人生観
五木寛之さん
の話にインドには、人生を四つの時期に分けて言い表す言葉があるそうです。
それは、
「学生(がくしょう)期」
「家住(かじゅう)期」
「林住(りんじゅう期」
「遊行(ゆぎょう)期」
というのだそうです。
「学生期」とは、文字通り学ぶために生きる時期です。大体20代位まででしょうか。
この時期は人生のために一生懸命勉強をする時期です。
そして次の「家住期」というのは、家に住むと書きますが、つまり家庭や家族を中心に生きる時期です。
一生懸命働き、子供を育て、家庭中心として過ごす時期です。大体60歳くらいまで続きます。
この時期は人生の中でも大変な時期です。
そして次の「林住期」というのは、林の中に住むと書きますが、つまり自然の中に住むという意味です。
仕事から解放され、家庭のことも今までのように気を使わなくてすむようになる。
ただし一方では、だんだん今まで出来ていた事ができないようになり、人からそれほど当てにされないようになってくる。
そんな中で、今まで気にもとめなかった自然の中のいのちが感じられるようになり、今まで見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえるようになる。
つまり「おかげさま」と感じることのできる年代、これが「林住期」という時期なんです。
人生の最後に待つものは
そして最後の「遊行(ゆぎょう)期」。
実はこれが大事なんだと五木さんはおっしゃいます。
この「遊行」という字だけを見ると、「ああそういえば、老人クラブなんかではよく旅行に行かれますよね」という声が聞こえそうです。
はたして人生の最後は、「遊び廻る時期」なのでしょうか。
老いが進み、病んだ身では、とても無理ですが…… 。
旅の楽しさとは
実はこの時期こそが大事なのだと作家の五木さんは仰います。
旅行を思い返してみて下さい。
旅行の楽しさは、いつもの生活から解放され、自分の行きたいところへ行けるというところにあります。
けれども、旅行が本当に楽しいのは、はたしてそれだけでしょうか?
実は旅行が本当に楽しいのは、「帰る家がある」からなんです。
「帰って来いよ」と待っていて下さる人が有るからこそ楽しめるんです。
帰る家もなく、待つ人もいない旅は「放浪の旅」といいます。
「帰る家」「待つ人」があるからこそ、楽しい「旅行」なんです。
人生の本当の意味
人生の終盤に迎える「遊行」という時期は、この私が人生の行き着く先、帰り着く先を定め、待ってくれている人を目当てとして、安心の中で過ごさせて頂く時期。
だからもっとも大事な時期なのだと、インドの人は考えたそうです。
たとえ年老い、病に伏しても、人生のしがらみから解き放たれ、新しく生まれ往く先を、確かなものにして、自由奔放な精神性の中で過ごさせて頂く人生最後の時期。
これがなければ、人生はなんの意味も無いという考え方があります。
「まってるから」「帰ってきてね」と呼び続けて下さる親がいる。だから楽しいんです。だから安心できるんです。
このように振り返ると、インドで示される4つの人生の時期は、単に人生が4つの時期に区切られているのではないことに気づきます。
「学生期」は「家住期」を迎えるためのもの。
「家住期」は「林住期」を迎えるためのもの。
そして「学生期」も「家住期」も「林住期」も、実は「遊行期」を迎えるためにあるのだと説かれています。
わが親に出会う
したがって、4つ時期はそれぞれに大切な時期ではあるけれども、「遊行期」こそが、人生の最終目標で最も尊く大切な時期なのだと示しているんです。
このことを念仏者の人生に照らし合わせると、
「若い頃に一生懸命勉強した」ことも。
「家族や社会のために一生懸命働いた」そのことも。
「おかげさまと自然の中でいのちを感じられるようになった」そのことも。
実は、みんな大事な大事な阿弥陀様の呼び声を聞かせて頂くためのものだったんです。
この味わいこそが大切なのでしょう。
もちろん人生は、そんなに順調なばかりではありません。
このことはこの度の大震災でも思い知らされています。
若くして、この娑婆と別れなければならない人も沢山います。
また同時に、いくら年を重ねても仏法に巡り会えずに、縁の遠い人もおられます。
そんな中で、私達はここまで人間としての命を頂戴し、聞き難し仏法を今聞かさせて頂いている。
これは大変な恵みであるとともに、大きなお育てでもあることを、改めて悦ばさせて頂きたいと思うことであります。
作家の五木寛之さんは、親鸞聖人、蓮如上人が大好きな方だということはご存じの通りです。
これまで仏とも法とも縁のなかった人達の中には、五木さんの書き物に触れ、親鸞聖人に親しみを持ち、お念仏のみ教えに育てられた方も多いことだと思います。
ある方が「五木さんは平成の蓮如さんだ」と仰いましたが、この混迷する現代社会において念仏の輪を広められているその行為は、なるほど蓮如さんを彷彿させます。
その五木さんが、ある講演でこのようなことを仰っていました。
(インターネット動画による講演内容)
鬱(うつ)の時代到来
これまでの日本は、戦後復興を果たして高度成長期に入り、それ以降約50年間、躁(そう)の時代だったと仰います。
いわゆる躁鬱(そううつ)の躁ですが、「頑張ってひとに負けてはいけない」「涙なんか見せずに常に明るく前向きでなければいけない」「弱音を吐くなんてとんでもない」といったふうな時代が続いてきたということです。
ところが、どうもこのところ、息切れがしてきた。
前へ前へと進んではきたが、後ろを振り返ってみれば、なにか大事なものを無くしたり、忘れてきてしまったような感じがする。
現代の日本国民、みんな心の中になにかドーンと憂鬱なものを抱えてきてしまっているような気がする。
つまり、日本はこれまで躁の時代だったけれども、どうやら鬱の時代に入ってきたようだと仰るんです。
しかも、躁の時代が約50年続いたのだから、多分鬱の時代もこれから50年ほどは続くのではないかと仰いました。
この五木さんの発言は、的を得ているように思えるだけに、ますます憂鬱な気分になりそうです。
ところが面白いことに、五木さんは「鬱」というものは、けっして悪いことではないとも仰いました。
人間には「躁」も必要だけれども、「鬱」も大事なんだと仰います。
つまり、元気で明るく前向きなのも良いけれど、人の悲しみに涙する。人間の命のはかなさ、生きることの切なさ、そういったことに「ふ~」と大きなため息をつく。こういうことも、とても大事なんだと。
むしろ躁の時代よりも鬱の時代にこそ、人間として大事なものがある。
問題なのは、これまで日本人がその鬱というものを否定してきたところにこそあるのではないかと仰います。
歓びノート
五木さんの著書、「人間の関係」の中で大変面白いことを書いておられます。
五木さんは非常に繊細な方で、これまでの人生の中で何度か鬱の状態に陥ったことがあるそうです。
一度目は40代の後半の頃からで、何を見ても聞いても興味がわかない、憂鬱な状態が続いたそうです。
その時に「歓びノート」というのをつけたのだそうです。
毎日なんでもいいから一つだけうれしかったことを見つけだして、それをノートに書き続けられたんだそうです。
とにかくなんでもいいから、例えば「ネクタイが一度で上手に結べて嬉しかった」とか、「新幹線の中から富士山がきれいに見えて嬉しかった」とか、どうしても浮かばない時には「今日も一日無事に過ごせてうれしかった」などと、無理矢理にでも嬉しかったことを見つけて書き続けられたそうです。
そうしたら、鬱状態が少しずつ消えていったというんです。
悲しみノート
ところが、50代を過ぎて60代を迎えた頃に、また鬱状態がやってきたそうです。
そこで、その時も「歓びノート」を作り、鬱状態を回復させようと思ったそうなんですが、今度は一向に気分が変わらない。
60代くらいになると、嬉しかったことにあまり感動を覚えなくなり、むしろなんともいえない悲哀の気持ちといったような感情の方が多くなったそうです。
けれどこの悲哀の感情は、そんなに不快なものではなく、むしろ人生においてきわめて大切な感情なのではないかと思って、今度は「悲しみノート」というのをつけ始めたそうです。
一日の中で、最も悲しかったことを思い返してノートにつける。そして最後を「悲しかった」でしめくくるのだそうです。
世の中の出来事や、自分のちょっとしたこと。とにかく一つ悲しかったことを見つけだして、「なになにだから・・・悲しかった」と書くのだそうです。
そうしたらかえって気持ちが解放され、なにか風がふっと吹き、すぎるような気持ちになって、少しずつ鬱状態から解き放たれたというのです。
つまり、人間にとって、「喜ぶ」とともに、「悲しむ」ことも心の働きとしては大事なのだと気づいたそうです。
あんがとノート
ところがご丁寧にも、また70歳を過ぎた頃に、三度目の鬱状態がやってきたそうです。
そしてこの三度目は相当重傷だったそうで、今度は「歓びノート」も「悲しみノート」も役に立ちそうにない状態だったそうです。
そんな中でふと思ったことは、自分がこうして生きていること自体が、なにか奇跡のように思えてきたというのです。
毎日の生活を続けていられること自体が、素直に「ありがたい」と思えてきたというのです。
そこで今度は、「あんがとノート」というのをつけ始めたそうです。
あんがととは五木さんがいぜんお住まいであった北陸の方言で「ありがとう」ということですが、一日に一行、なにか「ありがたい」と感じたことを一つだけ書く。いくつかあったとしても一つだけに絞って書く。
ところが「ありがたい」ことを、あらためて書こうとすると結構多いそうで、一つだけに絞るのは案外迷うそうなのですが、このノートは
ものすごく効果があったそうです。
「歓びノート」や「悲しみノート」は回復まで半年くらい掛かったそうですが、「あんがとノート」は一ヶ月も経たない内に鬱状態が回復したそうであります。
阿弥陀様のこころ
人間は若い頃「歓び」が中心の人生を送り、ある時期から「悲しむ」ことの大切さに気付き、そして締めくくりはやはり「ありがとう」の世界なのでしょう。
阿弥陀様のご本願の働きを表す言葉に、「慈悲」という言葉があります。
「悲」と言う字は、「胸が張り裂ける心」という意味で、仏さまは私の悲しみを一緒に悲しみ、救わずにはおかれないと救済の本願を立てて下さっています。
「歓び」の中で生活を送り、「悲しみの心」を大切にし、そして最後には報恩感謝の「ありがたい」と思える、そういう豊かな人生を目標にしたいものです。
ぐるぐると円を描くだけの世界にとらわれすぎていれば、欲のために平気で人をだましたり、人を傷つけたり、あげくのはてには人を殺めることさえあるでしょう。
親鸞聖人ご自身も、「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」と仰られております。業とは、行為、縁とは条件です。人間、行為と条件が整えばなんだってしてしまう存在であるということです、他人事ではありません、わたしのことです。
最近の信じられないような事件を見るにつけ、つくづくそう感じます。
ブラウン管ごしに、一般的な悪をみるばかりで、なかなか、内向きに見る自身の悪をみようとしないのではないでしょうか?
私たちは、命の行く末の問題も置き去りにしてしまい、『今は忙しいから』『こっちのほうが大事だから』と、目先の欲得にとらわれてしまっているでしょう。
わたしもそうです。互いにあやうい存在なんです。
自身の姿をかえりみず、いのちの行く末の問題も、今はそれどころではないというのが本当のところでしょうか。
せっかく仏教とめぐりあったならば、ぜひとも先人がまかれた、種がお念仏と
なって花開くことを願ってやみません、
すべては、如来様のおはたらきの中にあります。あんがとノートのように、
念仏者は、報恩感謝のお念仏の日暮をさせていただきたいです。
わたしなんか、皆様にくらべ、人生経験もなければ、思慮深さもありません、
しかし、
如来様のおはたらきは老若男女関係ありません、遊行期までいかないと味わえ
ない教えではありません。如来様はいつも、今も、はたらいとってください
ます。本堂にまで足を運んだお気持ちは様々でしょうが、今、尊前に手を合わ
せ、正信偈をお勤めさせていただいた私たちの口からナンマンダブツがでてく
ださった真実は本当に尊いことなんです。わたしが悪かろうが、尊いお念仏は、
口をついてでてくださいます。
命の行く末の問題を、はやく気づいてほしいと如来様が願ってくださいます。
この世での忘れ物
ある詩人の「生」という作品に、
ものを取りに部屋へ入って 何を取りにきたか忘れて
戻ることがある 戻る途中で ハタと思い出すことがあるが
その時は すばらしい
身体が先にこの世に出てきてしまったのである
その用事は何であったか いつの日か
思い当たることのある人は 幸福である
思い出せぬまま 僕は すごすごあの世へ戻る
とあります。何を取りに来たか忘れてしまい、さっぱり思い出せない。あきらめて部屋を出たところで、ハッと思い出す。このときはどんなにか嬉しいものです。
ところがこの詩のように人間としての命を頂き、なにか大事な用事があって生まれてきたはずなのに肝腎のその用事を忘れてしまった。帰る途中にでも思い出せればよいが、「思い出せぬまま すごすごとあの世へ戻る」ではえらい事です。
人間として生まれ、仏教のご縁をいただいたならば、この世の目的は、お浄土に参らせていただくことであると聞かせていただきましょう。
なぜ、あやういこのわたしがお浄土にまいらせていただけるのかは、如来のお慈悲のはたらきにあうからです。仏法を聞かせていただくからなんです。
今日のご讃題の悪人正機でいう、悪人、このわたしを、目当てとしてくださいます。
「闇に烏(からす)」
「闇に烏」という言葉がありますが
これは真っ暗闇の中では黒い烏を見分けることは難しいでしょう
この言葉は、
「たとえ自分が間違っていても、間違いの世界にいる間は、その間違いに気づくことが難しい」ということの譬えです。
これは私達の存在にも当てはまります。
私達は「凡愚」といわれ「迷いの存在」だといわれています。けれども現在住んでいるこの娑婆世界が迷いの世界ですから、自分が「迷っている」ということになかなか気がつかんのです。
ところが、闇の中のその真っ黒な烏も、ひとたびお日様の光に照らされると、はっきりとその姿が見えてきます。しかも、むしろその烏が黒ければ黒いほど、より鮮やかに見えてくるものです。
それでは、このお日様の中で烏の姿が見えるようになったのは、烏自身が変わったから見えるようになったのでしょうか?
実はここのところが大事なところなんです。
烏自身は真っ黒のまんまですが、お日様の光に照らされることによって、今まで見えなかった烏が見えるようになったんでしょう。
これからも、わたしは、ええじゃ、悪いといいながら、愚痴をこぼしながら迷いながら、生活していくことでしょう。わたしは、何一つかわりません。
変わったのは、そこに、如来様が、いっしょにいて、わたしを見てくださっていることに勇気と、喜びをもらったことです。
私中心の世界でありますから、大変な事態にまきこまれたら、頭の中では、台風や、地震、火事のように、大惨事で、おおごとですが、現実には、風ひとつ吹いていなかったりします。
そんな小さな私の都合にふりまわされる世界しかもちえないわたしにたいして、浄土の世界、おはたらきは、限りがありません、条件も、障害もありません。
わたしが包まれていることを聞かせていただくと、なんて、私の思うことなんて小さいことなんだ、と思うようにもなりました。迷いながらではありますが、方向修正してくださるんですね。帰り着くところを用意してくださっているからです。ぐにゃぐにゃと遠回りをしようが最後にはお浄土で仏様にしてくださると約束してくださっています。
如来様の無限な尺度の中で、こんな砂の一粒にもみたない 小さな私にきずいて、願いをかけつづけてくださることが、より明確に思えるようになり、喜びとなりました。わたしも浄土に連なる会座にあわせていただきました。
帰るところがあることはすばらしいです。
インドの四つの人生観、「学生期」も「家住期」も「林住期」も、「遊行期」を迎えるためにあるのだとお話をしました。
命の行く末、お浄土に参らせていただく我々であることをきかせていただくためであったというインドの思想です。
如来様は、その時期を問わず、早くも遅くも年齢も関係ありません、『今』です。
わたしに寄り添い願いをかけ続けてくださいます。
あらゆるいのちを奪い、傷つけることでしか生きられず、なにより自己の煩悩に傷ついてしまっている救いがたき身の私を、そのままにしてはおけぬと願われているお慈悲は、そのままお念仏となってはたらいてくださいます。
先祖が残してくださった、お仏壇、お念仏の種を相続し、この私の口からナンマンダブツと花開くとき、報恩感謝の喜びとなります。
肝要は、拝読の御文章で。
コメントは受け付けていません。