日記

心育(しんいく)

こんにちは 副住です。
突然ですが、今私はこれから西照寺が向かう方向性を模索している段階です。
そのため、色々なことの準備をすすめています。
今のお寺は法事やご葬儀をする場所であると多くの方が思われているのではないのかなと感じてます。
西照寺ではお墓もあるので、お墓がある場所とも言えるかもしれません。
もちろんこれらも大切なことですが、それだけではお寺の存在価値が問われかねないな!と個人的に思ってきました。
本来お寺って、とても沢山のことをする場所であった歴史もあるのです。例えば、寺子屋だったり、駆け込み寺という言葉もあるように
勉強を学ぶ場所だったり(今で言う学校)、悩みを相談する場所だったり(カウンセリング的なもの)。
また江戸時代では檀家寺として戸籍を管理していたり(今で言う役所)。
様々な分野で生活に密接に関わってきたからこそ、お寺の存在価値は高かったのですが、
それらを全て取り剥がされ、残ったものが仏事だったという現状なんだろうと思ってます。
現代において、仏事は生活に密着したものと言いづらい側面もあります。
そんな中では、お寺の存在価値も問われかねないのだろうと思ってます。
そこで、新しい試みをしていくことも大切だと思います。
上記のものは、すでに失ってしまったのだから、取り戻す必要などありません。
むしろ、今から必要になるものを提供していくことが大切でしょう。
それも生活に密接に関係するようなもの。
まだまだぼんやりですが、これからのお寺は「心を育てる」(仏様の教えに沿って)
道場というか場所にしていくことはどうかな!?と考えてます。
勉強などの知識は学校で。心の育成はお寺で。みたいな。
それには 色々なプラクティスを検討することも大事でしょう。
楽しさや有難さなども大切でしょう。
いつの日か、「ありがとう」「お陰さま」「有難い」「お互い様」など
若い人でも普通に言ってるような日がきたら素晴らしいと思いませんか。
そんな言葉を言えるような心を育てる場所としてお寺が利用されていればいいなと思ってます。
「仏教をライフスタイルの一部に!!!」

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