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仏教ってどんな教え

こんにちは 副住です。
・・・越谷の勇者さまが浦学出身だということを知りませんでした。(笑 嘘でしょ?)
今日は入学式が沢山ありますね。東仏も入学式なので、今から築地に向かいます。
さてさて、連載
【1-2 苦しみの根源】
 私たちは「私」が大好きであるため、日々「私」が望むものを満たそうとしています。「私」が眠たくなれば寝ますし、食べたくなれば食事をします。しかし、条件が整えば整うほど、望むものも大きくなっていきます。これを欲と言います。「私」の欲は、とどまることをしらないのです。「私」が望む通りに、事が運べば喜ばしいですね。「私」を満足させるので嬉しくなるのです。しかし、逆なこともあります。それは「私」が望んでいることが叶わなかった時、あるいは「私」が望まないことがおこったときなどです。この時、「私」は苦しくなります。「私」の思い通りにならない場合に直面するからこそ、満足できず苦しみを感じるのです。
(もちろん「私」は人によって違うのですから、思い通りにならないケースも人によって異なります。
 「私」の思い通りにしたいという欲は、どのようにできるのでしょうか?それは生まれ持った「私」〈因〉の違いによりますし、「私」が育った環境〈縁〉も違うのですから、「私」が求めるものや、大切にしていることも異なるという構造なのです)
 さて「私」が抱く苦しみは、どうしてできあがったのかを見てきました。そこには「私」の思い通りにならない場面と遭遇したことによって「私」が苦しみを抱くという構造が明かされました。より端的に言いますと、「私」が望むことと違うことが起きたとき、「私」に苦しみがおそってくるという構造です。
 ではこの構造を軸として、「私」の苦しみを解消させる方法を考えるならば、どうしたら「私」の苦しみを解消できるでしょうか?答えは2つ。
1、「私」の思い通りにしたいという世界を実現する。
2、「私」の思い通りにしたいという欲を消す。
・・・仏教は2番目の道を進んでいったのです。