日記

心に余裕を

こんにちは 副住です。
今日は電話が多い日です。
ご門徒の方とお話しておりましたら、電話が鳴り、
電話が終わると、お届け物が・・・会話を再開しはじめると 再度電話が・・・
ご門徒さんとの会話も途切れ途切れになりながら、申し訳ないような、仕方がないような・・・
お寺とは意外と忙しいものです。でも人との触れ合いが沢山ある場所なので、あったかいような場所でもあります。
意外かもしれませんが、本当は私は一人が好きな人間です。
もちろん、贅沢な考え方。人間一人では生きていけません。
周りに人がいてくれるからこその、一人好きということです。
色々と動き回っていますと、時々一人の時間が置き去りになります。
そういう時、やはり余裕がなくなってきます。そんな時は何をしても上手くいかなくなると思います。
肉体的にも精神的にも疲れやすくなりますね。
ですから、時には一人の時間を無理やり作ってあげる必要があると思います。
そんなちょっとしたことを意識するだけでも、その後が違ってくると思うのです。
私は今のところ、そこら辺が下手なのです。
もう少し、上手くやれればいいですね。
さて、さっきフッと思ったことがあります。
自分だけの為ではなく、それが他の為になるような意識をもって行動してみようということ。
例えばですが、時々私は西照寺の浄苑を掃き掃除しています。(最近、あまりしていないけど・・・)
なぜ掃除をするかといえば、自宅を掃除するような感覚なのです。
綺麗になると、自分が嬉しいから。
ある時のことですが、掃除をしていた時、お参りしに来られた方が、私に「ありがとうございます」と言ってくださいました。
私は、?と思いました。だって、自分の為にしていた行為のように思っていたからです。
しかし、お参りに来られた方は、「自分のお墓がある浄苑の掃除をしてくれている」と受け取ってくださったようです。
だからこその「ありがとうございます」だったのでしょう。
自分の為にしていたことが、実は他の方の為にもなっていた!と教えてもらった瞬間でした。
この発想は、色々なところで見かけます。
そこのお店で買い物をすれば、買い物をした1パーセントが社会貢献に使われる!とか、
このペットボトルを買えば、それはエコに繋がっているとか。
自分の為が、他の為に・・・・
などなど。
ただし、これらは実感が乏しいですね。
理論ではそうなのでしょうが、実感として乏しい。
しかし、私の掃き掃除は、実際に「ありがとうございます」と御礼を言われたので 実感そのものでした。
ちょっと嬉しくなりました。掃除もいつも以上に頑張ってしまいました。
たぶんそういうことなんだろうな と思います。
「自分の為に」が、「他の為に」そんな実感を持てるようなことを考えてみて行動してみると、自分勝手な生活にも心の余裕が持てるようになるかもしれません。
皆さんにも、そんなことってありませんか?

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