モチベーション

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
ここ数日、モチベーションが下がっていってます。
3月末までに、さらなる仕事が3つほど増えてしまい、精神的に嫌気がさしているのが原因だろうなと思ってます。
こんな時、私は現実逃避をします。
嫌なことを無理やりしない。どうせモチベーションが上がってこないのですから。業務にも影響します。
下手をして精神的に凹んで、悪循環となるよりも、時間がないけど気分が上向くまで極力待ちます。
もちろん、時間がないので焦る気持ちはどうしようもありません。
ここが大事。
焦るんだけど、業務をこなさない。
もうどうなったって、いいや!くらいの覚悟です。
そうすると、不思議と気分は切り替わります。(私はそうなのです)
気分が変わると、考え方も柔軟になり、業務も効率がよくなります。
焦って気分が乗らないまま業務をすると、効率も悪くなるのです。

沈みゆく太陽の方角に合掌

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日はお彼岸のお中日です。しかし、とてつもない強風が吹き荒れています。
せっかくのお彼岸のお中日なのに・・・
お参りも多くはありません。残念です。
さて、今日は太陽がでていそうなので、沈みゆく方角を確認して、合掌しましょう。
慌ただしくしているため、今日は一言にて失礼します。

明日は晴れて

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
お彼岸ですが、雨。明日はお中日ですので、太陽が沈みゆく西を確認したいものです。
昨日も、多くの方がお墓参りに来られました。
一昨日よりも若干気温が低めでしたが、天気は良かったので、お墓参り日和だったと思います。
でも今日は不日和ですね。お墓参りもだいぶ少ないです。
先ほど、お線香を求めに来られた方は、予定していたものですから、雨だけど仕方ない。と仰っておられいました。
さて、明日は西照寺では彼岸会が営まれます。
昨日ブログにて、綴った『仏説阿弥陀経』をお勤めします。

お彼岸にすること

投稿日: カテゴリー: 仏事・情報・更新仏事のお作法・宗派別情報・お知らせ日記法話西照寺情報

おはようございます。副住です。
昨日はお彼岸の入りでしたので、お墓参りに来られる方々が多かったです。
また、暖かい一日でしたので、お墓参り日和となったことでしょう。
お彼岸はお中日(春分の日と秋分の日)を挟んで、前後3日づつの一週間です。
春分の日と秋分の日は太陽が真東から昇って、真西し沈む日です。
浄土真宗では、太陽が沈みゆく真西に西方極楽浄土を想い、大切な仏縁としてお勤めが営まれます。
法然聖人(親鸞聖人のお師匠さま)が定められた浄土三部経というお経があります。
浄土三部経は、浄土真宗の拠り所の経典でもあります。
三部経(サンブキョウ)といわれるのですから、三つのお経があるということです。
一つ目が『仏説無量寿経』(ブッセツムリョウジュキョウ)
二つ目が『仏説観無量寿経』(ブッセツカンムリョウジュキョウ)
三つ目が『仏説阿弥陀経』(ブッセツアミダキョウ)
この中の『仏説阿弥陀経』の中には、初めから
「如是我聞一時仏在舎衛国祇樹給孤独園与大比丘衆千二百五十人
倶皆是大阿羅漢衆所知識長老舎利弗(中略)・・・
 爾時仏告長老舎利弗従是西方過十万億仏土有世界名曰極楽其土
有仏号阿弥陀今現在説法舎利弗彼土何故名為極楽其国衆生無有
衆苦但受諸楽故名極楽」
とでてきます。
意訳すると、
「 以下のように、わたしは聞きました[如是我聞]。ある時[一時]、お釈迦様は舎衛国というインドにある国の
祇樹給孤独園という園におられました[仏在舎衛国祇樹給孤独園]。
大比丘(僧侶の別名)の方々、千二百五十人と一緒でした[与大比丘衆千二百五十人倶]。
みなこれ大阿羅漢という偉い位の方達でした[皆是大阿羅漢衆所知識]。
有名な長老の舎利弗さんや(中略〈中略部はそこにおられた偉いお坊さん達の名前が記載されてる〉)[長老舎利弗]・・・
そのときお釈迦様は、長老舎利弗さんに告げられました[爾時仏告長老舎利弗]。
これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界があります。極楽と名づけられています[従是西方過十万億仏土有世界名曰極楽]。
その土には仏様がおられます。阿弥陀と号するのです[其土有仏号阿弥陀]。
いま現におられまして、仏の教えを説いておられるのです[今現在説]。
舎利弗さん、その土がどうして極楽と名付けられているのかというと、[舎利弗彼土何故名為極楽]
その国におられる衆生には、諸々の苦しみが有ることが無いのです[其国衆生無有衆苦]。
ただ、諸々の楽を受ける為に極楽と名付けられているのです[但受諸楽故名極楽]。」
このように書かれてあります。こう見ていけば、皆さんもお経が読めるでしょう?
お経って漢字だらけで、難しい専門用語も沢山でてくるし、意味が解らないですからね。
呪文みたいに思われてる方もいるかもしれませんが、こう見ると、呪文ではないことが判ります。
さて、『仏説阿弥陀経』の初めには、上記のように書かれてあるわけです。
その後、西方極楽浄土の世界について、詳細に綴られてあります。
ただ、今このブログでは、お彼岸のことについて視点をあてているので、そちらの詳細は綴りません。
お彼岸は太陽が真東から昇って、真西に沈むという自然の摂理によって方角を確かめることができる貴重な日です。
太陽が沈みゆく真西には、『仏説阿弥陀経』に説かれてあるように、阿弥陀仏の極楽浄土がみられます。
そこで、昔から亡くなった方が極楽浄土に往かれたと受け止める方々が、お彼岸という機会に故人を偲ぶとともに
西方極楽浄土をお参りしてきたのです。とても大事な仏縁です。
お彼岸で大切なのは、故人を偲ぶと共に、故人から賜った仏縁を通じて 阿弥陀仏の教えを聞いていくという「やるべき事」があるのです。
どうぞ、お墓参りだけでなく、お寺で営まれるお彼岸の法要にもご参列ください。

お坊さんも泣き言はしょっちゅう言ってます。

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
昨日は築地本願寺のご本堂にて、東京仏教学院の卒業式が行われました。
私は、東京仏教学院の本科に関わらせていただいておりますが、この一年
皆さんと共に学ばせてもらい、貴重なご縁であったなと思わされました。
寂しい気持ちになりながらも、卒業されていかれる方々の今後のご活躍を念じています。
さて、埼玉組の組会資料の作成を急ピッチで進めております。
昨日もバタバタしており、早く終わらせたい気持ちです。
今日は、これからご法事を勤めたあと、午後から作成作業に移うと思います。
お彼岸に、お寺のイベント準備、組の資料作成に組会、さらに教誨師の埼玉大会の企画会議
法話原稿の作成に、研究所の調査・・・3月中にしなくてはならないことが山積みです。
もう嫌だ、はやく3月終わってくれ~(泣き言・・・お坊さんも泣きを言うのです)
・・・でも仏様は何も言わずにこんな私をみていてくださいます。
仏様は泣き言を言っている私に何も言わないけど「泣き言も自分がつくっているのだよ」と教えてくれます。
それが仏様の教えです。
そうなのです。仕事が多いことを泣き言のようにしてしまうのは自分なのです。
やることが多いことは、それだけ有難いことでもあります。
だって、それらを任せてもらえるのだから。
だって、それらがこなせる元気さがあるのだから。
灯台もとくらし。
ついつい、我が身を確認しないで、当たり前と思い、自分の愚痴がでてきてしまう。
自分は愚かだなあと知らされます。でも愚痴がでてきてしまうのはやめられないやい。(>_<) わかっちゃいるけど、やめられない♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦

睡眠時間

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
余談ですが、最近眠りが浅いのか、よく寝れてないような気がします。
季節の変わり目が原因でしょうか。睡眠時間はいつもと変わらないのですが・・・
私は昔から睡眠をしっかりとります。
おおよそ6~7時間が私の睡眠時間です。忙しい時は4時間にしますが・・・
でも4時間睡眠を続けると疲れます。(忙しい期間はそうなる)
私の思いの中でのベスト睡眠というものは、基本7時間睡眠を続け、一週間に1~2度4時間の日を作る。
このような感じだと思います。(過去の経験から)
たまに4時間の日をつくると、却ってシャキッとします。頭が冴えるのです。
睡眠はとても大切で、例えば、受験勉強などで徹夜をする方がいますが、私は無理なのです。
頭が回転しない。これまでも、できるだけ睡眠はとってきました。
きちんとした睡眠をとっていないと、勉強や仕事もきちんとしたものになりません。
ですから、私は翌日を無駄にしたくないので、必ずきちんと寝ることにしています。
私の場合、睡眠は4時間をきってしまうと却って疲れてしまうので、どんなに短くても4時間は寝たいです。
また、分散型睡眠というものがあるようですが、私は慣れてないので、今のところは その良さを知りません。
私は基本朝方なので夜に寝ます。これは学生時代もそうでした。
なので、昼寝が苦手なのです。太陽の明るさがある時に寝ることはあまりないのです。
眠いときでも、頭がボーとしているだけで昼間だと寝れない。(もちろん例外もあります)
なので、寝不足は辛いです。(おおよそ、頭がボーとしている時間は午前中だけです。午後になると眠気がさがるようです)
そんな感じで、今日は朝からボーとしてます。もう少し経つと、もとに戻るのでしょうが。
ただし、睡眠時間はしっかりとっているのに、寝不足ぎみ。変な感じです。
1週間くらい前から、こんな感じになってます。どうしてなんだろう?

冬に着物でいる寒さ

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日は暖かな日のようです。ヒートテックの下の着用をやめました。
冬の週末は着物で過ごす為、ヒートテックが無いと スースーして寒さ倍増なのです。
女性のスカートって 同じような感覚なのだろうとなと想像します。
冬は寒いですね。
着物の時は、足に足袋を履いています。
足袋って靴下よりも総じて生地は厚いです。おそらく草鞋や下駄など(和の靴?)を履くことを前提としているような造りとなっています。
ただ、和の靴は、足裏以外の部分は、基本丸出し。結果、⇒寒さは倍増なのであります。
また、和にはスリッパなどという文化は無かった為、屋内は足袋のままが自然。
だから板の間など、足袋のまま歩くことが多いのですが、だからこそ寒いのです。
やはり足袋でもスリッパは履きたいな・・・
結果、真冬に着物の時(しかも風などある時)は、スカートのような感じで下から風が入ってきて寒さ倍増。
さらに板の間に足袋のままいると、足の裏から深々と冷えてきて寒さ倍増。
普段着(上下ヒートテック着用)時よりも4倍くらい寒いような気がします。
下から冷えますから。
でも昔(着物を着ていた時代)は、皆このような格好だったのでしょうからね。
そう考えると現代人は(着ているものが)温暖化しているのかもしれません。
・・・いや、地球の寒暖の差が激しくなっているということも考えられるか。

サーカス 梅小路公園

投稿日: カテゴリー: 日記

こんばんは 副住です。
今日は土曜日で、午前中ご法事が勤まりました。
その後、私は埼玉県の久喜市にある西願寺さまの彼岸法要にお参りさせていただきました。
ご法話に呼んでいただいたのです。
行きの道中、菖蒲市を通っていたと思うのですが、サーカス?がきてました。
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車内から携帯でパシャリ。運転中に撮ったので、上手く撮れませんでした。
私は大学生の頃、京都にいたのですが、下宿先の近くに梅小路公園という大きな公園がありました。
今は水族館もできたようですが・・・。
その公園には、年に1回 一ヶ月ほどボリショイサーカスが滞在しておりました。
上記のようなテントを張って。
動物もきていたようで、夜になると、鳴き声が聞こえたものです。
キリンやゾウなどの鳴き声は 結構声が大きいので、驚きました。
学生時代、近くまでサーカスがきていたのだから、見に行けばよかったのですが、
あまりに近く、いつでも行けると思ってしまい、結局行かずじまいとなってしまいましたが。
今日、サーカスのテントをみて、学生時代の梅小路公園を思い出した瞬間でした。

役配

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日も寒いですね。・・・天気は荒れ模様です。
今から、妻の用事で所沢に付き添ってきます。
あまり行きたくはないのですが、これも家庭の仕事!
普段から家庭に貢献できていない私は、文句を言いたくても言えないときもあるのです。
午前中に所要をすませ、帰宅してから 浄土真宗本願寺派の埼玉にあるお寺で結成された団体
「埼玉組」組内会議(年度末だから)の資料準備をする予定です。
新年度から ある事情によって 私の組の役配が格上げされ、資料作成などを任されることとなりました。
2年間の期限付きお役目です。2年たったら、解放されるのです。
役というのは、いずれはまわってくるものですので、早いか遅いかの問題です。
仕事は早めに片付けてしまいたい性格なので、今頑張ることにしたのです。
一度やってしまえば、もうやらなくてもいいのですからね!
さて、お彼岸前に仕事が増えたな。頑張ろう!

心に余裕を

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日は電話が多い日です。
ご門徒の方とお話しておりましたら、電話が鳴り、
電話が終わると、お届け物が・・・会話を再開しはじめると 再度電話が・・・
ご門徒さんとの会話も途切れ途切れになりながら、申し訳ないような、仕方がないような・・・
お寺とは意外と忙しいものです。でも人との触れ合いが沢山ある場所なので、あったかいような場所でもあります。
意外かもしれませんが、本当は私は一人が好きな人間です。
もちろん、贅沢な考え方。人間一人では生きていけません。
周りに人がいてくれるからこその、一人好きということです。
色々と動き回っていますと、時々一人の時間が置き去りになります。
そういう時、やはり余裕がなくなってきます。そんな時は何をしても上手くいかなくなると思います。
肉体的にも精神的にも疲れやすくなりますね。
ですから、時には一人の時間を無理やり作ってあげる必要があると思います。
そんなちょっとしたことを意識するだけでも、その後が違ってくると思うのです。
私は今のところ、そこら辺が下手なのです。
もう少し、上手くやれればいいですね。
さて、さっきフッと思ったことがあります。
自分だけの為ではなく、それが他の為になるような意識をもって行動してみようということ。
例えばですが、時々私は西照寺の浄苑を掃き掃除しています。(最近、あまりしていないけど・・・)
なぜ掃除をするかといえば、自宅を掃除するような感覚なのです。
綺麗になると、自分が嬉しいから。
ある時のことですが、掃除をしていた時、お参りしに来られた方が、私に「ありがとうございます」と言ってくださいました。
私は、?と思いました。だって、自分の為にしていた行為のように思っていたからです。
しかし、お参りに来られた方は、「自分のお墓がある浄苑の掃除をしてくれている」と受け取ってくださったようです。
だからこその「ありがとうございます」だったのでしょう。
自分の為にしていたことが、実は他の方の為にもなっていた!と教えてもらった瞬間でした。
この発想は、色々なところで見かけます。
そこのお店で買い物をすれば、買い物をした1パーセントが社会貢献に使われる!とか、
このペットボトルを買えば、それはエコに繋がっているとか。
自分の為が、他の為に・・・・
などなど。
ただし、これらは実感が乏しいですね。
理論ではそうなのでしょうが、実感として乏しい。
しかし、私の掃き掃除は、実際に「ありがとうございます」と御礼を言われたので 実感そのものでした。
ちょっと嬉しくなりました。掃除もいつも以上に頑張ってしまいました。
たぶんそういうことなんだろうな と思います。
「自分の為に」が、「他の為に」そんな実感を持てるようなことを考えてみて行動してみると、自分勝手な生活にも心の余裕が持てるようになるかもしれません。
皆さんにも、そんなことってありませんか?