今年のこども祭り 7/21 西照寺本院

投稿日: カテゴリー: イベント情報・お知らせ

来月21日は「西照寺こども祭り」が開催されます。
おかげさまで過去2回大好評・多数ご来場(120名以上のお子さん)で、
今年は3回目となります。
ほとけさまのおはなし・流しそうめん・ヨーヨー釣り・焼き鳥(東松山流本格)
ほか例年のイベントに加えて今年からの新規イベントも予定しています!
(追ってお知らせ)
11時スタート、海の日の祝日です。
大人の方も楽しめます!
皆さんふるってお運びください!

7月の法話会 7/12 西照寺別院

投稿日: カテゴリー: 仏事・情報・更新情報・お知らせ

7月の法話会ですが、12日に西照寺別院(新東松山斎場)で開催されます。
法話会は毎月(8月は除く)第二土曜日の
13時半~勤行 14時~ 法話
となっております。お時間の許す方は法話の後、お茶会をしています。
どなたでもご参加いただけます。どうぞお気軽に仏教の話を聞いてください。

比企氏のお墓(比企郡の歴史を探って)

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
さて、比企能員は鎌倉幕府の二代将軍、源頼家の乳父となっています。
頼朝の息子、頼家の育ての親的な感覚でしょうから、頼朝からそれだけの信頼が置かれていたということなのでしょう。
また能員には娘がおり、若狭局と言われています。若狭局は、二代将軍の頼家と子(一幡)をもうけます。
つまり能員は、将軍家の外戚となり、権力を握りつつありました。
比企能員の力がドンドン強くなり、影響力が高まることを懸念したのが、頼朝の妻である北条政子でした。
実は北条政子、息子の頼家を比企氏の屋敷で出産しているとのことです。
その後も比企氏の屋敷には頻繁に出入りしていたとのことです。比企氏には、それだけ頼朝の信任があったことが判ります。
その後、外戚関係へと進展し、影響力が高まる比企能員へ危機感を募らせたのが、北条政子であったというのです。
北条政子とその父であった北条時政は共謀し
頼朝の死後、まだ若い二代将軍、頼家を廃し、その弟であった実朝を将軍に立てるように企てます。(頼家と実朝は兄弟で、ともに政子の子供です)
当然、比企能員は反対します。能員にとって頼家は義理の息子となっています。また頼家と若狭局との間には嫡男の一幡が生まれていました。
自分の義理の息子、そして孫が将軍家を継いでほしいに決まっています。
ここに北条家と比企家の対立が鮮明となってくるのです。北条氏も比企氏も権力が欲しかったのでしょうか。戦となったようです。しかし、戦といっても一日で決着したようです。
軍配は北条氏に上がりました。わずか一日で比企氏は滅ぼされてしまったそうです。
北条氏が比企氏の屋敷に攻め込み、わずか数時間で比企氏は滅亡したとのことです。(確か、急襲だったと聞いたような)
昔の比企氏の屋敷であった妙本寺には、今でも比企一族のお墓があります。
比企の墓
お墓の横に碑がたっていました。比企能員一族の墓と書いてありました。
比企の碑
妙本寺に行った時、たまたまご住職が外におられ、色々とお話を伺うことができました。
ご住職さま ありがとうございました。
ご住職

比企氏を訪ねて (比企郡の歴史を探って)

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日は、先日ご紹介した比企の歴史についての続きです。
比企の尼と、その養子である比企能員は、頼朝によって鎌倉に招かれました。
頼朝へのこれまでの支援が実った結果です。(特に比企の尼の支援は、頼朝にとって、かけがえの無いものだったでしょう)
鎌倉の地で与えられた比企氏の住居は、今は妙本寺となっています。広大な敷地です。
鎌倉に屋敷を移した比企の尼達は、以前住んでいた武蔵の国を偲んだのでしょうか、
鎌倉の住居近くに、比企郡を感じさせる名前をつけています。
例えば、この川
滑川
そう滑川です。西照寺をもう少し西にいったら、滑川町になります。
滑川という名称は、鎌倉以前からあったのですね。(;゚Д゚)!
また、鎌倉の比企氏の屋敷があった(今は妙本寺)エリアの麓には幼稚園がありました。看板には比企谷とあります。
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まさに比企氏の比企からとったものでしょう。
このように、鎌倉と比企郡には繋がりが確認できるのです。

一週間の始まり

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
今日もいい天気。少し暑くなりそうですね。
昨日の残念感を仕切り直し、今日からの一週間に向け、気持ちを前向きにもっていこうと思います。
今週は忙しく、仕事がたまっているので、頑張らないといけません。
これから、築地です。さて、頑張ろう。
明日は、比企氏の続きをアップしたいなと思ってます。

次はギリシャ戦です。頑張れ!

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日はサッカーWカップの日本代表戦がありましたね。
私はご法事でLIVEで見ることができなかったのですが、試合が終わってから結果を知りました。
逆転負けということで、本当に残念です。
やはりグループリーグを突破するには、第一戦が重要となってくると言われていたので、残念ですね。
今年は個人的に4月下旬から今まで良くないことが続いているので、そういった意味でも勝って欲しかったです。
個人的に少し嬉しくなりますしね。(笑)
やはり仏教徒でも、自分を中心に考えてしまうもので、そういった意味で浄土真宗で良かったなと思います。
第2戦は20日ということです。ギリシャ戦ですね。早朝らしいので、LIVEで見れそうな感じです。
日本代表、頑張れ!! 

比企能員 (比企郡の歴史を探って)

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨日の続きです。
比企一族は、頼朝の招きで鎌倉に転居しています。
もちろん、一族の中には、武蔵国に残った方々もいたことでしょう。
少なくとも比企の尼と、比企氏の養子に迎えられた比企能員
鎌倉に行っています。
当時、鎌倉で住居を構えていた場所こそ、現在の妙本寺です。
鎌倉駅から歩いてすぐのところにあります。
先日、鎌倉まで行ってきたので、写真をとってきました。
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比企

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
西照寺がある東松山市付近は、比企郡(ヒキグン)と呼ばれる広域なエリアとなっています。
比企郡
比企とは、昔(平安時代後期から鎌倉時代前期) 比企氏(ヒキシ)と呼ばれる豪族の一族が取り仕切っていた地域だからだと言われています。
特に着目すべき方は、比企の尼という方です。
当時、旦那さまが無くなると、妻は寺にこもったりしたので尼と呼ばれたそうです。
比企の尼は、鎌倉幕府を開いた源の頼朝の乳母でありました。
頼朝がまだ、力を持つ前から関係があったようです。
乳母として、赤ちゃんにお乳をあげ、頼朝が大きくなると 比企の尼は武蔵野国に出向きました。
西照寺がある一体は、昔からお米がよくとれる地域だったそうです。
比企の尼は、遠方で苦労する頼朝にお米(当時はお金のようなものでしょう)を送って援助していたそうなのです。
当時、乳母は何人かいるのが普通だったようですが、比企の尼は頼朝が苦労していた時でも乳母の役割をこなし
頼朝から絶大な信頼を置かれていたというのです。

視察

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
梅雨ですので、連日雨が続きますね。今年は雨の量が多い気がしますが。
さて、今日はご法事が勤まります。
その後、来年の夏に行われる 北ブロック門徒子弟研修会の会場の視察をしに行きます。
埼玉組の幹部と午後から待ち合わせです。
まずはガリガリ君の工場を視察させていただき(ガリガリ君の社長さんは、浄土真宗のご門徒さんなのです)
その後、長瀞にいって、会場の視察です。
当日は山登りも計画に入っているようですが、今日は雨なので、登らないでしょう。
子供達の安全と当日の進行がスムーズにいくように、一年前から視察をするのです。
(来年の会場は埼玉とのことなので)