日記

地域行事を行う理由・意義。(「迷惑をかけたくない」からの卒業)

こんにちは 副住です。
昨日は運動会。
この地区では、いつの頃からか小学校の運動会と兼ねて、地区の体育祭も行われているのです。
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(私が小学校の頃は、別日に行われてました)
こどもが少なくなったこと、別日にしても人が集まらなくなったこと、など色々な理由があるのだろうなと想像します。
そこで、小学校の運動会と地区の体育祭を兼ねてしまったのでしょう。
これはこれで、コンパクトで無駄がないような現代向けのあり方のような気がします。
今は、地区の体育祭などが行えるところは少ないのではないでしょうか?
そういった意味では、参加するのは大変ですが、大事なコミュニティーと考えます。
参加するのは面倒(日曜日だから、お寺の法事もあるし)なんだけど、そこに大切なものがあるのです。
面倒だし、気も使う。そんなことから地域のシガラミを拒み、自分たちの楽な方向に進もうとした結果、無縁社会と言われる孤立化が顕著に確認できるような現在となりました。
気が付けば、自分のことは自分でやらねばならない と考えることが当然だと思われる社会となってしまった。 
迷惑をかけたくない。・・・そんな言葉が当たり前のように聞こえてきます。
そんな寂しいこと言うなよ・・・と思います。
そもそも、初めから自分だけで生きているのではありません。
もちろん迷惑なんてかけたくないし、かけられたくもありません。でも迷惑をかけざるを得ないことだってあるのです。
迷惑をかけざるを得ないということが解れば、迷惑をかけられる人も、仕方がないなと頷けるはず。
肝心なのは、「仕方がないな」と頷ける心を育てる環境をつくること。
地域の体育祭は、皆が仕方がないから参加するか・・・と予定をあわせ力を合わせることで成り立つ場所。
きっと、体育祭なんてわざわざやらなくっていいよ!と皆(特に実行委員の方は尚の事そう思うでしょう)が思う時代です。
でも、苦労してそれを行うのにはきっと理由があるはずです。
その理由こそ、「迷惑をかけざるを得ないこと」を伝えていく練習なのではないかと私は思います。
皆が、「仕方がないな」と思える心を養う場所。それが地域の体育祭なのかなと思わされました。
そんな体育祭が成立しない環境では、やはり「自分のことは自分でやらねば」という環境となるでしょう。
西照寺の近辺は、田舎ですが、まだ支え合いが確認できる地域と言えるでしょうね。
因みに、私は綱引きをやってきました。妻は綱引きに長縄跳び。
因みに因みに、こどもの紅組は優勝しました。
さらに地域の体育祭では、わが第2エリアも優勝しました。
今年は強かった!

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