日記

お坊さんだって 何かのせいにしたい

おはようございます。副住です。
ああ、何てこった(つд⊂) 更新が途絶えがちなので、気合を入れ直します!と言っていた矢先に・・・ああー゚(゚´Д`゚)゚
そんなものです。私の決意なんて、そんなものです。あああー(´Д⊂ 最低・・・
昨晩更新しようと思い、こどもを寝かしつけつつ、自分もそのまま・・・ZZZ
最近、西照寺では、家族が色々なトラブルを抱えてまして、精神的に疲れてます。
(トラブルといっても病気とかです。精神的に疲れるとは、心配するから疲れるという意味です)
今年は家族の複数人が病院に入院したり手術したり受診したりと続いてます。
昨年までは全く皆無だったのに、今年にはいっていきなりです。
あまりに続くものだから、厄年だ!と思うようになりました。
でも、親鸞聖人は厄年とかだからそうなったのではない!すべては縁によるものだ!との姿勢です。
当然そうだと思ってますし、わかってます。
でも、色々と続くと厄年にすべての責任転嫁をしたい気持ちがでてきます。
厄年が原因ではないんだけど、とりあえず厄年が原因ということにしておいてくれ!と思う気持ちがでてくるものです。
そうすれば、なんとなく楽になれる。
(因みに、私は世間でいるところの厄年ではありません。厄年ではないんだけど、そういうことにしておいてくれ!と思っているだけです)(笑)
親鸞ご聖人様。すみません。
これこそ「わかっちゃいるけどやめられない♫」ですね。
人間の気持ちって、そんなものなのかもしれません。
すべてを論理で納得できるというわけではないのです。
おそらく、親鸞聖人も頷いてくださると思います。(親鸞聖人も弱い自分を認めておいででしたから)
ああ~ ナンマンダブ (阿弥陀仏という仏様は、そんな私の弱い部分を知っていてくださる仏様だと言われます)
(弱さを知っていて、そんな弱いお前でいいんだ! 大丈夫、私(阿弥陀仏)がついているから。と寄り添っていてくださる佛様なのだそうです)
そんな仏様がいてくださると思えれば、「ありがとうございます。よろしくお願いします。仏様」との気持ちでナンマンダブと念仏が口からでてきます。